高樹のぶ子のSIAブログ
性と性格
先のブログで、日経連載「甘苦上海」について、盛り上がっていまして、作者としては嬉しいかぎりです。
性描写に関しての様々な反応は、とても良くわかります。
ちょうど今日11月12日に掲載された(42回)を例にとって、私の苦労というか工夫について、ちょっとだけお喋りしてみたいと思います。
石井京とベッドをともにしてしまった紅子のところへ、その夜遅く、ショートメールが入ります。京からです。「診断書」というかたちで、彼女との性(身体)の感想が書かれています。
このショートメールは、かなり猥雑です。ハスッパな表現で言えばエロい(はず)です。
けれど、これを猥雑だと感じることができる人は、かなり体感力のある人です。
なぜなら、このショートメールの中の性的な言葉は「体位」と「コンドーム」ぐらいのもので、男性器女性器の名称はもちろん、性行為の描写も無いからです。
それでも事後に送られてきた短いメールのになかに、どんなセックスが行われたか、紅子の身体を石井京はどう感じたか、のみならず、石井京の性格や二人の関係性が見えてくるはずです。
この部分を書きながら、まったくなんて男だ!と作者も一緒に呆れてしまいました。
性描写への反発として、もっともポピュラーなのが「教育上」という言葉です。
けれど、一例としてこのショートメールを男女関係に未知な中学生が読んでも、そこに書かれた単語だけは拾えるけれど、猥雑さもエロさも感じないでしょう。
「何が書かれているか」が良く解らないはずです。いえこれは、年齢ではなく、体験や想像力の問題かもしれません。
つまり、文章を読んで「猥雑で、けしからん」という反応を持たれる人は、とても成熟した感性や、豊かな体験を持たれている、という証です。
もちろん、「甘苦上海」で、性をテーマにするつもりはありません。
性は人間の欲望の、判りやすいものの一つでしかありません。けれど、避けて通るつもりもありません。登場人物たちが、自分の性や他人の性をどう扱うかは、その人物を描く上で重要だからです。どんな料理が好きで、どんな香水が好みか、という以上に、その人物を表現してくれます。
今日は、言わずもがなのお喋りになってしまいました。
近々、このブログでも発表しますが、「甘苦上海」の別サイトができます。
サイドストーリーや、上海市街の「甘苦案内」も入ります。
また、数日読み落とした読者への「救済」も、可能にします。
もう少しお待ちください。
高樹のぶ子
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毎日、日経を買ってくるのも億劫だし、本になってからでいいか、と思っている口です。
でも、メールによる間接的な性描写、という高樹さんの工夫にはいたく関心を惹かれます。
直接描写でなく、間接的にいかに本物らしく、というか真髄を描写する。
物書きにとっては、表現力が拡がるわけで、永遠のテーマです。
実際に読んでないので、こんな見解が当を得ているか問題ですが。
書きながら「まったくなんて男だ!」とご本人自身が呆れてしまったと言う。
ともかく今回はすぐにでも読んでみたい気になりました。
是非、読まれてください。本ではない、リアルさが伝わってきます。
のぶ子先生、私も何て男だ!!と心の中で叫んでいます。
でも、紅子さんは、今はじっと我慢を?していらっしゃる・・・
さて、これから反撃してくれるのか、それとも、京さんを、
悩める男性にしてしまうのか・・・それとも・・・それともでしょうね。作者をあっといわせるのぶ子先生です。
期待大です。
そういう考え方もありますね。
勉強になりました。
ありがとうございました!
またお邪魔させていただきます^^
私、前回のコメントで、「教育上」という言葉を使ってしまいましたので、少し気になりました。ゆめゆめ、甘苦上海を否定する発言ではありませんので、どうぞ誤解なさいませんように。(おまけに「びっくり」と「非常に」という言葉の重複がありました。推敲不足です。)
昨日の紙面、拝読。確かに間接的な表現ですね。京は、本気で紅子さんを好きになりかけているのでは?(いや、最初に会った時から好きだったのでは?)と思いました。紅子女史も、強がりを言っているけれど、京の外見だけでなく、内面にも非常に興味を持ち、魅力を感じているのでは?と拝察しました。二人が今後、内面的にどんな風に結びつきを深めていくのか毎日、楽しみにしています。
なになに、甘苦上海のサイトができるって?これもまた、楽しみです。いろいろな意見が集まるでしょうが、まぁ、余り御気になさらずに、自由奔放に書いて下さい。作家は、作品を紡ぐ時、心が自由に解き放たれていなければ、良い作品を書くことができないように思いますから。
人間の生をあぶりだす上で、性愛の問題は回避できない事項でしょう。
どうも連載小説を読むにはせっかちな性格なようでして、
小説は一気に読みきりたいものですから・・
実は、本が出てから・・と想っていたのですが、
satokoさんに教えていただいたので、
今日思い切って図書館に足を運んでみましたよ。
猥雑なシーンにはまだたどり着いておりませんが、
とりあえず10月までの分は読ませていただきました。
佐藤泰生さんの挿絵については、
それなりに味わいのある、皆さんが想像されているような「いかがわしい」ものではありませんでした。
小説にちょうど良い彩り、、そんな印象を受けました。
小説とのコラボは素敵だな~と思ったくらいです。
この様な小説を新聞で公開することの肯定・否定は人様々でしょうが、
ネット社会の今、
これ以上に猥雑な文章は考えられないくらいに氾濫していますよ。
子供たちは大人が考える以上にかなりな「耳ダンボ」になっていること間違いないでしょう。
子供を無菌室で育てることはどだい無理な時代なんだと思いますよ。
子供は・・・
親の導き方が、いや?教育がしっかりとされていれば、
物事の善悪の区別を学習する能力があります。
そういうことは、
もう~こちら側(家庭)でしっかりと教育していけばよいことだと、
私は思うのですけどね。
無菌室で育ったお子さんが・・
加減というものがわからずに、
また、妄想の世界に走って凶悪な犯罪を起こすのではないでしょうか。
読み物はあくまでも「読み物」
こちら側で色々想像を膨らませながら、
楽しませていただいたらよいのだと思います。
でも・・・
やはり私は連載小説を読む根気がありません(笑)
しっかりと書店で出回ってから、
「甘苦上海」を読ませていただきたいと思います。
(ちょっと・・喉詰まりの状態が続きますけどね~仕方が無いですね)
こちらにコメントするには、
やはり読んでみなければと思いました。
いつもこちらの皆さんのバトルとか、
「揺籃の樹」の穏やかなやりとりを見せていただいてました。
私は、
「揺籃の樹」の小皿さんの感性が一番高樹さんに近いと思っております。
小皿さんの敏感な感性と高樹さんの感性がドッキングしていると思うのですよ!
違いますか?
ネットの中での書き込みの難しさも・・・
こちらでは勉強させていただいてます。
皆さん・・・
高樹さんと、
どのように?お話したいのかが・・・
正直読み取れないブログではありますね。
かなり難しい雰囲気なので、
コメント出来ないでいました。
私は・・・
素直に高樹さんの感性が好きなだけなのですが・・。。
それでは・・
いけません???
こちらにコメントする資格がないですね。(沈)
「マイマイ新子」
きっと多くの人の心に伝わると思いますよ~♪
薄紅子さんのコメントにドキドキ・・・。事実は小説より奇なりですね。私は年上の男性しか好きになれないのですが、女性もある程度の年齢に達すると、年下の男性とそう年齢差を感じずに日常空間を共にすることができるようになるなぁと、最近よく思います。今も一周り年下の売れない画家君にメールを打っていたところでした。(あの、診断書ではありませんよ、念のため。恋人ではありませんから!汗)
かわいいですね。
診断書ではありませんよ、念のため! 汗なんて。
高樹のぶ子先生は、紅子を社会的には成功したのに、満たされず、焦燥感を感じている女性として描いておられます。
姿がいいと言うだけで、お金をねだりに来た京に執着するのは、京によって足りないものを得られると予感したからでしょう。
現実には、京のように、多分不特定多数の女性と関係している男性とは、病気感染の危険を避けるように注意しますが、そうでないのは、高樹のぶ子さんの作られた設定、京はいわば高樹のぶ子さんの、心理学で言うところのアニムスなので、病気の感染の危険性というリアリティは無関係なのでしょう。
もちろん、その後の展開で、京から病気を移され、紅子の人生が落下の一途をたどるということも用意されているのかもしれません。
この作品を読むと女性の世代間の戦いを感じます。
それは、最近読んだ「エイジハラスメント」という小説のせいかもしれません。
こちらは、40歳の女性たちをイタイと見、自分はイケてると思っている35歳の主人公が、世間からは「オバサン」扱いされ、憤慨、20代の女性とのバトルの顛末を描いています。
何故、成功した実業家で一人前の、良い年をした紅子が、そんなことをするのだろうと考えてみました。
それを考えながら読むと、高樹のぶ子先生の構成の才能と筆の力を感じました。
紅子は、避妊する必要がないと京との関係を結ぶ時、読者は知ります。
つまり高樹のぶ子先生は、このことで、紅子がもう閉経していることを示唆しています。
それに対比して、周敏が生理中である、という記述があり、生殖能力旺盛な若い女性周敏ともう生殖能力を失った紅子という対比が、密かに読者の脳裏に送り込まれます。
紅子が、自分の力だけで実業家として成功したと自画自賛しながら、自分の今までのことを振り返る時、紅子の今までの恋愛の形が浮かび上がるように、高樹のぶ子先生は、仕組まれています。
すなわち、妻子持ちの恋人にエステについて教えてもらい、また別の恋人と別れる時、もらったお金(手切れ金のようなものと、紅子自身言っている)でパリに留学したと書かれています。
これらの表記で、紅子の若い頃の恋愛は、妻子持ちだったり、手切れ金をもらうような立場でしかない恋愛だったことと、実力で今の地位を築いたと自負しているが、実力のうちには、付き合った男性のお蔭で得たものが大きなターニングポイントになっていることが読者に分かるようにしてあります。
生殖能力の無い、快楽だけの性は、紅子の強みであり、また弱みでもあるでしょう。
毎日、「甘苦上海」を読んで、高樹のぶ子さんの緻密なストーリーの造りを感じました。
今後、紅子が満足を得られるのか、展開が楽しみです。
先ほどの投稿では、敬称が一致してなくて失礼しました。
「先生」で統一するつもりが、完全に書き換えられていなくて「さん」表記が混在してしまって、読みづらく、すみませんでした。
高樹のぶ子先生は、もうアドヴァンテイジの季節を過ごされておられるのでしょうか。
「快楽(けらく)」という本を読んでいたので、おっしゃっていることに賛同します。
そういう季節が来ると先輩の諸姉から聞くと、安心で楽しみな気がします。
高樹さんの小説に登場する女性のすべての感情を、
自分のものと置き換えることができるので・・
先生というよりも、
私の分身のような気持ちでいつも読ませていただいてます。
あ・・
今、現在、不倫をしているということでは決してありませんよ!(苦笑)
感性の問題ですから。。(笑)
高樹さんが示しているところの、
女性の限界・・そんな時期に私は突入しているわけでして、
ひかりさんのコメントをとても興味深く読ませていただきました。
安心と安全と、不安と不満と、、
私の年齢はとても微妙な惑いがあるものなのです。
高樹さんは・・
たぶん、
そういう季節を越えて、
なにか気持ちが吹っ切れたのでこの小説を書かれたのかな・・・なんて、
勝手に思っていました。
今の私には・・
リアルで、ちょいと痛くて、それでいて「う~~ん、、」と頷ける小説ではあります。
私の成長とともに、
高樹さんの小説が(物語が)続いていくことに、
なんとなくドキドキしているのですよ。
どうぞ!
紅子さんに幸せな結末をお願いしたいものですね(笑)
私だって・・
幸せになりたいですもの。。
イチイチそんなこと報告することも無いんですが、
的外れでも失礼かと思いまして。
うわあ、皆さまのコメントで、興奮しています。
参考になります。
早く本になってほしいです。
いつもあなたは若いんだから自信を持ちなさいよ・・・
と、言えるのは、若い時を過ぎてしまったから言えるのではないかと思ったりします。
若いことが必ずしも恋に関して有利ともかぎらないこともあるのでしょう。
そんな風な小説にしてくださいと、お願いしたいです。私も。
何だか、私が書くと何だか、まるで下手な恋愛小説のように感じますが、上海の実業家の野望、そこに生きる人間模様、
さまざまな描写が面白そうです。
的外れなことを書いていたら、お許しを。
ブファ~!!
猪はPC不調の起動デスク再起動で、時間が出来てしまった。
猪が予測したように、ちょっとパスをすべき盛り上がり様で、はたまた猪は何をコメントすべきか、躊躇してしまうが・・・。
還暦を過ぎたとは云え猪は未だ生殖能力は有り、動物の世界だったら新たな家庭を持つべきなのだが、猪は何故そうはしないだろう。
先ず人間の世界では子育てと教育が面倒だからだな。
知人の中には果敢に挑戦しているものもいるが稀だな。笑
生殖能力の失くなった女性の性的アドバンテージは、なかなか成立は難しそうですが、現実に挑戦する度胸が有りますか?
まあ、紅子さんにお任せした方がいいと思えます。
そこで子育ての終わった世の男性も、自分の仕事や趣味に安心して没頭でき、新しい家庭を作ろうともしないでしょう?
京に似た生き方をせざる負えない知人は、資金繰りに困り、若い頃から肉体関係のあった、かなり年上女と再接近、しかしながら彼女に、この歳になるとセックスはしたいと思わないのよ、とけんもほろろ、僅かな資金援助の目的は果たしたものの淋しげでした。
もちろんこの知人は或代理店プロデューサーのホモのお相手もしています。
猪もこんな男性は彼しか知りませんが、京のようなタイプはかなりいるのかも知れませんね。
女性が社会進出する時代、出世や利益の為だけでなく、男性も中年女性の対処の仕方は、知っておく必要は有ります。
猪の性は自然主義者なので、ちょっとフェロモンがないと難しい、ご勘弁下さい。
ドーッ、ドッ、ドッ、ド、ド・・遁走。
satokoさん、昨日の連載分は、またまた間接的表現があって刺激的です。是非、御一読を。
ひかりさんのコメントには感服しました。すごい分析力ですね。
紅子さんと同じ年のmiriamさんの御意見にはリアリティーがあります。
私は、紅子さんと周敏(京の元々の恋人)の年齢の丁度まんなかくらいの齢(さばよみすぎ?)なので、両方の立場に立って甘辛上海を読んでいます。
あと4、5年後に、紅子さんと同様に女性としての生殖能力を失うことに、実は大きな恐怖を感じていました。でも、高樹先生のコメントを拝見していたら、気持ちが明るくなった次第。そうですよね、性的アドバンテージと考えれば、人生より豊かで楽しくなるかもしれません。
一方で、京を失うであろう(?)周敏の胸中を思うと、胸が痛くなったりしています。殊に、今日(いや、昨日)の紙面にあった「恋敵」という言葉を目にした時には心臓がドキドキして息苦しくさえなりました。
私は、紅子さんと違って、恋をする上で絶対に敵をつくらないタイプです。いえ、つくれないのです。大好きな人に恋敵が現れると、いつも、すっと身をひいてしまいます。自分に自信がないのかもしれません。紅子さんのように、是が非でも自分のほしいものを手にしようというタイプの女性とは、対照的です。だから、かくいう女の争いには少し耐えがたいものを感じました。
しかし、紅子さんは、本当に何をかもを手に入れたのでしょうか?読み進める度に、実は彼女は、人生を生きる上で本当に大切なものは何も手に入れていない寂しい人のような気がしてきました。読者にそう思わせることも、また、高樹先生の狙いなのでしょうか。
主人公より一回り年下の、はすっぱでどうしようもない男として京を描いているのは、読者をひきつける小説のひとつの小道具なのでしょう。周敏という若くて才色兼備の生殖能力のある女性を京の恋人に配したのも、小説の仕掛けなのでしょうね。
でも、私、こうして(左脳を駆使して)小説を理詰で読むのって実は大嫌いで、普段は、(右脳を使って)感覚的にしか読みません。小説は文字で形成されたものではありますが、一幅の絵のように、理屈抜きで感覚に訴えかけてくるものであってほしいと思っているからです。
(そういう意味で、崖さんの意見は、直感的かつ感覚的である点において多少、頷ける点があります)。
ひかりさんのコメントを拝見していたら、父の看病のために読み逃した二回分の欠落を埋めることができました。そうですか、紅子さんの若い頃の恋愛は、妻子持ちとの恋だったり、手切れ金をもらう立場でしかない恋愛だったのですね。いわば、ある意味男性の援助によって得た成功だったわけですか。
それもステレオタイプの古い女性の生き方ではありますが、きっと紅子さんは、この後、そのステレオタイプの枠を京と手を携えて破っていくのでしょうね。京は、紅子に何かを与える男性ではなく、紅子さんが育て愛しむ男性であり平等に生き支えあっていける対象として描かれようとしているのやもしれません。
「社会的成功を得ているが焦燥を感じている紅子」が「容姿がいいというだけでお金をねだりに来た京に執着するのは京によって足りないものが得られると予感したからだ」というひかりさんの解釈は私も正しいと思います。
とここまで書き及んで、仮に紅子の登場で周敏が京と別れることになるとするならば、周はかつての紅子がそうだったように、手切れ金をもらうのだろうか?という疑問が頭をもたげました。
私だったら、どうするだろう???物凄く腹がたって、今までの私の誠意をお金に換えて弁償して!と言うかもしれない。いや、本当に好きな相手なら、一度、そう言っても、後で撤回するでしょうね。
御声がけが最後になりましたが、ヲタさん、また来てカキコして下さい。
いつも、声を掛けてくださってありがとうございます。
今日の新聞は、図書館が休みで見られません。
1日遅れでも良いので、読める場所があれば良いなあと虫の良いことを考えています。
紅子さん、昨日はちょっとだけ周敏さん、可哀想な展開になるのかなと思ってしまいました。
紅子さんは、まだまだ魅力的な年齢だと思います。
エステのお仕事なんですから、普通の主婦とはまったくちがうと思うし。紅子さんは、数多くの恋の遍歴を重ねてこられて、
多分男性が好むであろう・・テクニックも持っていらっしゃるでしょうし。それになかなかな内面も魅力的です。
ああ・・恋の話だけではないと分っていても、気になってしまいます。
恋の勝利者になるには、誰かを不幸にしてしまうというストーリー、それが世の常なんでしょうね。
京という男性、ここ二週間ほどしか読んでいないのでそれほど魅力的とも思えないんですが・・・
勿論、それは、人を好きになるのは個人差がありますし、ダメな人あるいは危ない人、そういう人に魅力を感じることも分りますが。
多分、紅子さんの場合は、京に恋をしているというより、
負けたくないという気持ちからの行動のように感じます。
やがて人生の黄昏時が訪れるということに、ちょっとだけ気が付いたのかもしれません。
などと勝手に想像して愉しんでいます。
From mexico the but humble admirer of Nobuko Takagi, with this composition that stops my a hymn is to the life and the teaching to the road that we should continue, I am happy because I have life and am I very rich because I can listen you Nobuko I LOVE YOU??
とくにビー玉さんは、お父さんのお加減が悪いとの書き込みを目にして以来、気になっておりましたが、こうしてネットに出てこられたので、病状が落ち着かれたのではと想像し、安堵しております。
>ひかりさんのコメントには感服しました。すごい分析力ですね。
分析と言うようなものではありません。
ただの単純な「気付き」を書いただけの感想文に過ぎません。
私は、他の作品を読んだことが無く、たまたま日経の連載で読み始めたので、予備知識も先入観もなく、全くの白紙の状態で読んでいます。
高樹のぶ子ファンの方たちは、これまでの作品から、お考え、作風など、良くご存知で、最初から感情移入することができると思うのですが、私はそういうものが有りませんので、作者と読者との相性と言うものもありますし、まだよくわからなくて、こういう読み方しかできないのです。
上海在住邦人の方、上海にゆかりのある方たちは、「上海でなら、お金があれば、何をしても許される」という風な文には、否定的な反応をされているのを、ネット上で見受けます。
しかし、高樹のぶ子先生は、実際の上海の一部分の特徴に触発されて、上海を舞台とされたのだと思います。
また「わたし」(紅子)が語る一人称で書かれています。
もしこの作品が、三人称で書かれ、地の文に「上海と言う街云々」と書かれると、それは作者の評価になりますが、一人称にすることによって、書かれている上海の評価は、紅子の下した評価だということになります。
どちらにせよ、小説の舞台だからと言って、上海のレポではなく、作家の創作した上海であると、私は思っています。
この作品は、紅子の視点で書かれた一人称の小説なので、紅子が知っていること以外は、他の登場人物の行動は見えません。
京や周敏の情報は、紅子の得たものだけしか、読者には提供されません。
そこで、読者は、「わたし」である紅子に寄り添って、フィクションの世界を生きることになり、疑心暗鬼になって嫉妬したり、一喜一憂する紅子の気持ちに同調・共感しやすくになると思います。
しかし、一人称にもマイナス面があり、それは、「わたし」の独白をずっと聞かされるので、独りよがりの能書きを聞かされているという印象を持ちがちです。
同じように一人称で書かれた作品「痴人の愛」を思い起こしました。
設定が、「甘苦上海」と「痴人の愛」とは、男女入れ替わりバージョンのようなところもあるように思います。
多分、私が、ここに集われる高樹のぶ子ファンの皆さんより、紅子に感情移入しにくいのは、私が、老若男女を問わず、恋愛で策を弄するということが、いやだからでしょう。
紅子は、最初に京のアパートを訪れる時、エステで身体を磨きたて、不意打ちを食らわせて、「手に入れる」と意気込んでいました。
(京に、軽くいなさされてしまうのですが。)
恋は「落ちる」もので、「落とす」ものではないだろう、と私は思います。
紅子が、京を「落とす」ために、いろいろ策を弄するのが、私が紅子に感情移入しにくい理由だと思います。
初めて京と関係を持った時、「久しぶり」だったようにと書かれています。
これは、若い頃はいろいろあったにせよ、しばらくは仕事中心で、異性のパートナーがいなかったと言うことでしょう。
そこに現れた京に対して、自覚しているか、いないのか、認めているのか、いないのか、分かりませんが、恋に落ちてしまった紅子だから、必死で京を手に入れようとするのは、人情として、理解はできます。
人生経験豊かな人であろうと、恋に落ちた人は、第三者が見れば、微笑ましくも、愚かなこともしてしまいます。
ですが、恋愛に関しては、例えば、周敏に対して、年上の話の分かる女性を装わず、真っ向勝負を挑んで欲しいなぁと思います。
先日の「プーシキン像云々」の部分は、間接的な文字による官能的なイメージの想起なんでしょうけど、私には、ちょっと違う印象がありました。
「マグカップにたっぷりと入った熱いカフェオレに唇をつけた。何日か前の京とのセックスでは、この唇がマグカップではなく今日の下半身を右往左往した。」
この部分を読んで「右往左往」という単語に、違和感を感じました。
「右往左往」は「うろたえてあっちへ行ったりこっちへ来たりすること。あわてふためいて混乱したさま」です。
「行ったり来たり」「行きつ戻りつ」なら、違和感は感じないのですが、「右往左往」?と思いました。
その後、官能的な雰囲気を表現されているのですが、「ここが○○で・・」と通りの名前をいって京の体を今日の下半身を上海の街に例える言葉が続きます。
この言葉は、心の中の声ではなく、二人を昂ぶらせる、戯れめいた語りかけのように読みました。
つまり紅子は、こういう言葉を発しながら、唇で愛撫しているという描写だと取りました。
京の体を指先で愛撫しながら、言葉を発するのは自然だと思うのですが、唇で愛撫しながら、語りかけているなら、唇は、「言葉を発する」と「愛撫する」の二つの仕事を与えられて、大変なんじゃないかなとという気がするのです。
もちろん、人それぞれで、唇で愛撫して、一旦離れて、「ここが○○」、道路をたどるように唇を這わせて、また離して、「ここが△△」というのが、興奮すると言うケースもあるでしょうけど。
なぜ、大変なんじゃないかなと感じたかと言うと、それは、さきほどの「右往左往」という言葉の違和感がボディブローのように効いて来ているからです。
「あわてふためいている」ニュアンスが、こんなところで蘇えってくるのです。
ロマンティックであるはずの場面が、私は、「紅子さん、お疲れさま!」みたいな気持ちになってしまいました。
何故、「右往左往」という言葉をここで使われたのか、高樹のぶ子先生のお考えが知りたいなと思っています。
今日の下半身を右往左往した→京の下半身
通りの名前をいって京の体を今日の下半身を上海の街に例える言葉が続きます。→京の下半身を上海の街に例える言葉
失礼しました。
私のパートナーは紅子さんより少しだけ年下ですので紅子さんと京とのセックスはとても興味あります。診断書のメールは通勤の電車の中で読んだのですが思わず彼女とのセックスをリアルで思い出しました。危険です。診断書メールよくわかります。私の彼女も年々「感度」数値が改善?されるようで叫び続けています。
京の自殺した彼女のことを早く知りたいですね。
京からの診断書、ドキドキしました。そしてさらに今日おどろいたのは、あの診断書を読んでドキドキするのは「体感力のある人」とこちらにあったことです。
わたしはあるの?体感力・・・あるのですね、きっと。
うれしいです。
明日も楽しみにしています。
高樹のぶ子さんの声が聞けるものを何かあったのでしょうか?
”彼女の声を毎日きいていて、聞くたびにのぶ子を思い出していとおしくおもっています。のぶ子、愛しています!”
直訳ではないけど、このような事だだそうです。
これからも読むことを楽しみにしてます。
タイムスリップしたような、とても好きな場所です。