高樹のぶ子のSIAブログ
佐藤泰生さんと野見山暁治さん

今日は午後、甘苦上海の挿絵を描いていただいた佐藤泰生さんの原画展で、
佐藤さんとギャラリートークでした。
お昼間のデパートでのこと、立ち寄ってくださった方も、遠くからお見え
下さった方もあり、楽しいお喋りのひとときでした。
その後、佐藤さんの先輩である野見山さんを加えての、お酒となりました。
桜がほぼ満開の夜、二人の画家とのお喋りは、すばらしいものでした。
佐藤さんは私とほぼ同年ですが、野見山さんは私の父と同じお年です。
とてもそうは思えないほどの、お元気さで、びっくりしました。
野見山さんの絵は、長年、文芸誌「新潮」や「文学界」の表紙を飾ってこられました。
その点でも、私には、親しみのある画家です。
お元気の秘訣は、やはり未知のモノへの興味と関心ですね。
それも、人間への興味。
風変わりな人間や、思わぬ運命に翻弄された人間の話になると、目が輝きます。
ジョン万次郎の子孫と親しいそうで、日本の黎明期に思わぬ苦難に遭いながら
けれど優秀な日本人の姿を印象づけたこの土佐の人は、話を聞いていても
おもしろかったです。
ジョン万次郎が、漂流、そしてアメリカに渡り、「無事着いた」という知らせを
日本に送ったのが、日本で初の「郵便」だったそうです・・
1830年から40年代、ショパンやジョルジュサンドは、多くの書簡を取り交わして
いますし、システム化した郵便馬車も大活躍でした。
ほぼ、同じ時代か少し後の話ですね・・
写真は、佐藤泰生さんとの、ギャラリートークです。
皆様、桜は咲いていますか?
高樹のぶ子
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こちらヨコハマは、4.5割くらい咲いているでしょうか。
この寒さで、足踏み状態です。しかし、昨日、花見大会が催されておりました!
北海道から沖縄までの桜事情は・・
佐藤先生の2メートルの距離のお話が面白かったです。
近寄り過ぎず、離れ過ぎず一定の距離を置かなくていけない。
プロの仕事だって思いました。
それでも日中の暖かい時間を見計らっておチビちゃんたちと近所の公園までお散歩していると、小さな春を見つけられます。
こちらの桜はまだ三分咲き程度ですが、春の陽射しに敏感に反応しています。
お散歩の途中でつくしを摘みました。あちこちにつくしが顔を出しているので、ちょこちょこと歩いては摘み、また歩く。ふと気がつくと、夢中になっているのは私でした…。おチビちゃんたちはしゃがんで何か覗き込んでいます。何かと思えば、てんとう虫。草の葉っぱに見え隠れするのをじっと観察していました。
公園の池ではヌートリアの親子を見かけました。
一列になって泳いで池のほとりの巣穴に帰っていくヌートリアの親子の姿を、こちらも一列になってじっと観察していました。
坂本竜馬とともに近代日本が未知のモノへの興味と関心を抱いた先駆けを成した人物です。
今後の日本の生きる道も、やはりそれしかないでしょう。
ウチの近辺では井の頭公園や小金井公園の桜が有名ですが、ぼくのお奨めは何と言ってもICU(国際基督教大学)の桜並木です。
特に爛漫と咲き誇ってハラハラと散る風情は豪快で、一見の価値あり。・・・まだ5分咲きといったところですが・・・
寝坊の日曜だったので参加できなくて残念至極です。
そのかわり、家人と大濠公園を一周し、舞鶴公園の桜を堪能しました。
野見山さんは「四百字のデッサン」という面白い本も書かれていて、エピソードは豊富。
それに中州の伝説の店「みつばち」のママと再婚された方といいますから、男女の機微も知り尽くしていらっしゃるのではないでしょうか。
糸島半島にアトリエがあるとか聞きましたが、御三方の酒宴はどちらでなさったのでしょう。
桜の下でならまた会話も酒量もさぞすすんだことでしょう。
でも寒暖の差があるので
体調気をつけてお仕事
がんばってください(^-^)
国際版はモノクロなので、(それでも日本より購読料が高い。当たり前ですが。)悔しい思いはなくもなく。。
こちら、レンギョウが勢いよく、黄色を春景色にぬり進め、小ぶりの桜は枝先の一輪が咲き、木蓮は足並みそろえてふんわり膨らみはじめました。
ところで、万次郎の「郵便」ですが、当時「鎖国」していたアメリカから、どのような経路で「日本」に送ったのでしょう。その「日本」は「故郷」なのかしら。不勉強を開き直って安易な質問、不躾をお許しください。
今年は、日米修好通商条約の批准書交換の為、遣米使節団が訪米して150周年にあたります。
幕府にかかえられた万次郎の乗船した咸臨丸は随行船で、ワシントンDCには向かわず、サンフランシスコから引き返しますが、万次郎は、ここでも高い評価を米国人から得ています。
ホイットフィールド船長に気に入られた15歳の万次郎は、どんな少年だったのか、NYよりさらに北のマサチューセッツの現地校で、勉強に励んだ彼の姿を想像しています。
ICUの桜はみごとですね。
そういえば、昨年出版の、私の心に残った作品ベスト3は、「甘苦上海」(おべっかではありません)と、奥泉光、高村薫の両ICU卒作家による長編でした。
ジャンル分けしたらまったく違うであろう3作品が、ひとりの読者の心に沈んでいる。。。日本出版界の健闘をお祈りしています。