高樹のぶ子のSIAブログ
舞台
このブログを開設して、ほぼ二年半です。
SIAの発信基地であり、コミュニケーションの場にもなっています。
集まってくださった方の中には、アジアに寄り道してくださる方も、
きっといらっしゃると思います。
このブログの状況を、どう喩えるのが 一番適切でしょうか。
いまや一つの舞台です。
その舞台上で、匿名の仮面を付けて、出演者がそれぞれの気持や意見を述べています・・
そんな喩えが一番わかりやすいのではないかしら。
舞台上で、言葉を発しておられる方がすでに何十人もいらっしゃいますが、
実はその数十倍の観客(個人数)が、日々この舞台を楽しんでおられます。
ちょっとその光景を想像してみてください。
スポットライトを浴びた舞台からは見えない暗い客席に、びっしりと観客がいる・・
開設した当初の目標訪問者数や目標訪問ページ数を、とうに突破しています。
ブログ主の力ではなく、舞台上の出演者のお陰が大きいのです。
もちろん、ブログ主の記事だけを読んで行かれる訪問者もいらっしゃるけれど、
舞台上のあちこちで上がる声の流れを、日に何回か訪問して追いかけてくださる
方がかなり多いのも確かです。
私自身が客席に身を置いてこの舞台を眺め、どんなところに興味を持ってもらえる
のかを、想像してみました。
当然ですが、出演者がみな同じ衣装、よく似た演技だと、つまらない。
「個」と「個」の違いがあって初めて観客も惹きつけられます。
出演者は自分の感性と考えに正直で率直であることが何より大事。
知識や知恵をいただくのももちろん有り難いけれど、それ以上に
「そこに一人の人間と人生がある」という実感が、観客を引き寄せているのだと
思います。
異論反論も在っていいけれど、否定的な意見であればあるほど、感情を排し、
仲間を作らず人に働きかけず、 一個人として屹立してください。
舞台上で輝くためにも。
その時々のテーマにより、舞台上の出演者が客席に降り、新たな出演者が舞台に
上がる。
舞台上と客席の行き来が自由に出来るのも、ブログならではですね。
写真は、我がベランダの枯れ尾花です。
高樹のぶ子
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なるほど。実態について、本当にうまく分かりやすい表現ですね。全く納得、同感です。
「仮想劇場主」としても、ご活躍ください。
バーチャルなサロンのマダムとしても、魅力を発せられていますよ。
上記の甘苦上海サイトで、愛読してくださった読者へのご挨拶を掲載しました。
稽古のとき、調子に乗って台詞を模範のつもりで演じたら、主役の女性から「あなたがやればいいのに」と言われ、主役の男性からは顰蹙を買いながらも気分がよかったことを思い出す。
その時以来、芝居は舞台に立つものの物で、見る者の物でないとかたく信じている。
音楽は才能がないのでそういう風には思わないが・・・。
小説はもちろん、映画も見る側の想像する余地があり、自身の世界を構築することが出来るが、芝居はそうはいかない。
やはり、大観衆を前にその反応を感じながら演じる役者はさぞ気分がいいだろうなと、いつもそっちの方ばかり思う。
何でもいいが、晴れ舞台に立つ日を夢見ながらいつの間にか月日は過ぎ去りぬ。
市民会館のホール、舞台上にはグランドピアノと私だけ。順調だったのは最初だけ。途中で指が全く動かなくなり、頭の中は真っ白。覚えたはずの楽譜は頭の中のどこを探しても、音符1つ見つからない。ピアノの前で凍りつく私、音のない舞台。
どのくらい静寂が続いたのかはわかりません。ついにピアノ教室の先生が舞台にあがり私のそばまで来てくださって、最初から弾き直すように促してくださいました。どうにか弾き終えた私は逃げるように舞台を降りました。
舞台を降りる時には大粒の涙を流していて、両親も友達も私を腫れ物にでも触るような扱いでした。
それがきっかけでピアノは嫌いに、先生も教室のお友達も嫌になってしまいました…。
今思えば、私はなんと自己中心的な考えであったことか…。私がピアノを嫌いになるのは仕方がなくても、心配してくれた教室の先生やお友達の存在まで疎ましく感じるなんて!
原因は全部自分の中にある、練習不足だった。それを素直に認めて、次の発表会にチャレンジしなかったのは舞台を降りてからのさらなる失敗でした。
あの時意固地なまでにピアノを嫌いになっていなければ、今頃おチビちゃんたちに弾いてあげられたかもしれないのに…。
植えられたものですか?
雑草でしょうか?w
甘苦上海 Ⅳの出版日は間近でしょうか。
楽しみにしております。
さて、本日は冷戦の終結、共産主義政権崩壊の象徴となるベルリンの壁が崩壊して20年。昨年はリーマンの破綻が世界を震撼させ、それが引き金となり金融危機が世界を襲い、自由市場経済の失敗と言われました。市場原理主義の失敗。いや、むしろ市場原理の浄化作用のもたらす結果なのでしょうか。かつては絶対的と思われたものを改めて問い直す時期にきているのではないでしょうか。政治単位・帰属対象としての国民国家の意味と限界。。。グローバリゼーションが進むほどにグローバルガバナンスの問題が発生します。その意味でも、アジアについて様々な観点で個人レベルで大所高所に語れるこのブログの意義は大きいと思います。
と、個人的なコメントから壮大なるテーマに向けて、大風呂敷。。。 エネルギーしっかりと充電です。ありがとうございました。
ただ、高樹先生に見てほしいという下心でいっぱいで(笑)
勢いで舞台に立って見えてくるものがあります。
空気が読めていない自分がいたりとか。。。
satokoさんの声かけがあってうれしかったりと。。。
舞台に立ちながらその舞台に溶け込めるようになりたいと欲が出てきました。
私にはまだ知らないことがたくさんあることを感じます。
舞台に立つ人と交流を深めたいと思っています。
20世紀中にベルリンの壁が崩壊することはない・・そう言われていたのですが・・あっという間でしたね。
「百年の預言」を書くために東欧へ出かけたのは、それから10年後でした。ウイーンに流入した亡命者の収容所跡と訪ね、またウイーンの教会の地下を集会所としていたルーマニアからの亡命者にも会いました。女性でしたが、別れるとき、いきなり唇にキスされてびっくりしました。
アジアもこれから大きく動いていくのだと思います。
しづさん
これからもう一度、ピアノの練習もいいですよ。私もNHKの趣味悠々「小原孝のクラシックピアノ」に触発されて、再挑戦です。
しゆさん
ベランダのススキは、風情のために植えたのですが・・はびこってはびこって・・もはや引き抜くこともできません!
まだ青いうちに根元から刈り続けると枯れちゃいますよ。
枯れてから刈ってもダメですが・・w
演目次第で台詞が、がらっと変わるのが面白い
あれだけ おちゃらけた台詞や 下品な台詞を吐いた役者が
のうのうと硬派な台詞を喋る
この落差が実に興味深い
九州大学を経由して、あるいは別ルートで手元に届く、いくつかのお手紙について、お返事をいたします。
それぞれの人生や交友関係を、楽しく拝読していますが、原則として、お返事はいたしませんので、どうかご了解ください。
けれどどのお手紙も、ありがたく丁寧に拝読しています。
ブログは仮面劇です。
これまでブログと言えば、匿名のネガテイブな面だけが強調されてきましたが、匿名ゆえ正直に言える、また自分のある一面だけを出せる、という優れた特性を持ってもいます。
舞台、と言ったのは、別の言葉で言うと、公共性、という意味です。けれど公共性ゆえに、「お行儀良く」ということではなく、個人の内面が正直に出せる、いえ出てしまう、という意味です。決して「何か良いことを言わなくっちゃ」なんて身構えないでください。また、若い世代の方が、上の世代の方にいろんなことを教えてもらう場にもなればいいなと思っています。
舞台裏の様々な人間関係については、ブログ主は、申し訳ありませんが首をつっこまず、見聞きしても無視して参ります。
どうぞ、表の舞台にて、思い切り意見交換やときにはファイト、楽しい盛り上がりをお願いします。
私がこのブログのためにならないと考えているのは、「他人をたのむ悪意」だけです。読む人の心を「刺す」力はないけれど、ただ「汚す」からイヤなのです。
私はブログ主として、自分の名前以外は使ったこともないし、他の誰かがブログ主の名前を使ったこともありません。
何でもありの舞台ゆえ、その柱だけはキチンと守ります。
いくつかのお手紙へのお返事になったでしょうか・・
この先は、作家のつぶやきです・・
小説というものも、実はペンネームという匿名?により表現されるフィクション(作り物)なんですね・・だから真実に近づけるし、読者の心を打つんですね・・
明日の11日は、アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」の東京での試写会です。
わたしが他の用事で東京に行けなくなり、関係者が右往左往していましたが、突然の朗報です。
鳩山幸夫人が、来てくださるそうです・・
幸夫人の大きい目に、新子ちゃんがどう映るか・・また報告が入りましたら、ここに書きますね。
週末は、新子ちゃんの舞台、山口県内での先行試写会で、こちらには私も駆けつけます。
「マイマイ新子」当時の首相は、鳩山一郎氏ですね。
鳩山家とはご縁があるのですね。
一層華やかな会になられることでしょう。期待に胸が膨らみますね。
でも映画楽しみですね。
しんと静かな間(笑)も色々考えていました。
「小説というものも、実はペンネームという匿名?により表現されるフィクション(作り物)なんですね・・だから真実に近づけるし、読者の心を打つんですね・・」
という所です。
確かにAさんがこう言った、という少ない情報よりも、作家が力を注いで作り上げた作品の中に、豊かに読者に近づくすべがあるのかもしれないですね。考えさせられました。
手紙を差し上げたうちの1人です。
お忙しい中、高樹先生に目を通して頂けたようで大変恐縮です。
ありがとうございます。
しかも私が差し上げた手紙の内容はこちらでコメントさせて頂いていることとほとんど変わらない、『甘苦上海』の感想などでした。
誠に申し訳ないことですがその実、ちょっと実験してみたいような気持ちもありました。
九州大学アジア総合政策センターの高樹先生宛てで出した手紙は、本当に高樹先生のお手元に届くのかしら?
ネット上でやり取りが可能な便利な時代に、わざわざ手紙をしたためる人はどのくらいいるのだろうか?
その結果は、手紙は大学経由でも届くし、手紙を送付してきた人は私以外にもいらっしゃる、ということでした。
多少の興味から実験的な気持ちもありましたが、私自身は、こちらで不特定多数の方の目にとまるコメントも、一対一のやり取りである手紙も、どちらも正直に書かせて頂いたつもりです。
高樹先生には今一度お礼を申し上げます。ありがとうございました。
こんな夜だからというわけではないのですが
ずっと気になっていたマイケル・ジャクソンの
「This Is It」をレイトショーで見てきました。
今夜は見た後の興奮冷めやらぬまま
マイケルの思い出に浸って
夜更けにコメントさせていただきます。
わたしがマイケルを最初に好きになったのは
ラジオから流れてきた「Rock With You」
という曲を聴いてからでした。
高校受験の勉強の合間を縫って
FMラジオに流れる洋楽をカセットテープに録音しては
繰り返し聴いていた時代で
「Rock With You」はその中でお気に入りの一曲でした。
それから数年後に発売した「Thriller」の
伝説的な大ヒットで
彼が時代の寵児となってゆく経緯は
いまさら説明する必要もないでしょう。
「This Is It」はこれがリハーサルを撮ったものだとは
にわかに信じられないぐらい
その質の高さに驚かないではいられませんでした。
リハーサルを撮った映像を編集しただけに
ツアーをよりよいものにするために
さまざまな人が登場します。
ちょうどブログを「舞台」に例えられていましたが
一つの舞台(コンサート)を作り上げるのに
どれだけ多くの人によって支えられているか。。。
主となるアーティスト(ブログ主)
舞台に立つダンサーやミュージシャン(コメント者)
ファンや観客(ロムする人)
舞台スタッフ(管理チーム)
そのどれが欠けてもきれいな円は描けないのでしょう。
マイケルの一挙手一投足
決して手を抜こうとしない歌とダンス。
目と心に焼き付けようと
大きな画面いっぱいに映し出される彼を
必死で目と耳で追っているうちに
彼がもうこの世にいないということの実感が
相反するように確かなものになってきました。
彼が亡くなったと聞いた時
彼にやっと訪れた静かな時を
穏やかな気持ちで受け入れられたと思っていたのに
彼のこの世の不在が
自分の中に空けた空洞には
思い至らなかったことを
今夜の彼の残した映像を見て
気がつかされてしまいました。
ビートルズ以来のポップスターだったし
多分彼を継ぐべきアーティストは
なかなか生まれてはこないでしょうが
新しい世代に希望を託して
スターの登場を密かに待つことにします。
その間彼の残した楽曲と
わたしの青春時代を重ねて過ごすことにしましょう。
ーーー心に刻まれたお言葉を、折々に反芻しています。
「あなたは、何を、どう、感じ、考えてるの?」夫に、子ども達に、心惹かれる方々に、そして、自分にそう問いかけています。正誤や、勝敗ではなく、ただ、人の深いところにある、信じうる何かを分かち合いたくて。
舞台上で輝くために、異論反論の際には、一個人として屹立して、との演技指導に、日本らしいな、と思いました。人と異なる発言には勇気がいる、だから、仮面を用意しました、堂々と使ってくださいね、でしょうか。・・はい、もちろんです。
NYにて。私の拙い英語での異見をも歓迎してくれる、現地コミュニティよりも、同調を強いられる日本人の集まりに、孤独を感じることがあります。
NY。多彩な意見があって当然、人は元来ユニークな存在だから。でも、反論や批判と、人格攻撃を混同しないのは、「表現の自由」を認識、享受している社会だからでしょうか。
昨夜の団欒。「あなたが最高権力者だとして、人道や社会規範に明らかに反する本が出版されたらどうする?」・・・年若の二人は、「図書館に置かない」「値段を高くする」など権力の過剰行使とならないよう頭を捻る。でも、即刻答えを用意していた長子は、「表現の自由を行使して、抗議する。それしかない」と断言。
思わず、「正解!そう、だから、人の心に響く表現を磨こうね」なんて、口走りそうでした。
でも、そうなんです。先人が勝ち取ってくれた表現の自由は、噛みしめて、心して、言葉や、音楽や、美術や、行動で、今と未来の幸せのために、用いなくちゃならないんですよね。だからこそ、発し手の内側が問われるんですよね。
学生時代から有名人だったけれど、驕らず、見据えて追究してきた彼を、同世代だからという理由だけでなく、応援してました。政府役職就任は、正直、残念でした。ブレーンに留まった方が良かったんじゃないかな、、と。権力に取り込まれたら、表現活動が制約されてしまいそうで、心配。祝意なく、ただ活躍を祈っています。
木蓮さんは香織さん時代のコメントの方が正直で的を得ていた。ちょっとブログ主に気をつかいすぎ。
わたしは、貴女が嫌いではありません。バッハのリヒテル、聴きました。貴女の知性を感じさせる軽やかなコメントが大好きでした。あの、バランス感覚のあるコメントを、貴女によって紡がれ、作家への敬愛あふれるコメントを、もう一度この場で拝読したく思います。
高樹先生、ブログ主の意向を思い図らぬ当拙コメント、屹立して書きこみました。お許しください。
意図が今一つ理解できませんが・・・笑。
ところで殆どの職業作家は匿名性なんかないでしょう?
大勢の作家達もテレビに度々出てますし、棲かも少し調査すれば判明します。
例のイザヤ・ペンダソンさえも確か・・。
フランスのボリス・ヴィアンが黒人作家D・サリンジャーで発表したベストセラー「墓に唾をかけろ!」
のような匿名作品は例外的に有りますが一時的でしたね。
近代以降は巷の陶芸家でさえもサインを入れています。
匿名の立場の発言は自由な表現や意見より、明らかに自己の内面によく問い返した、意見や見解が少ないのは明らかな事実です。
事実に基づいた匿名意見の威力は、犯罪や強大な権力に向けられた時に発揮します。
殊にこちらのブログの匿名にしきりにこだわっていた方は、匿名の正直な善良な意見に対して、貴方の身元が解ったらどうするの!と確か今春威したりしていまたよね?
明らかに嫉妬からの悪意、あれはないでしょう!?
木蓮さんに対しての指摘もそれに近いと思う。
殊に人の間の愛に関しての互いの魅力の競争は、いにしえから自由市場であるのが基本原則です。
さて今月は花札でも雨の月ですが、関東地方もこの本降りの雨が続くようです。
先日久方ぶりに十月下旬に実家の草刈りをしたところ、
数年前は辺り一面に繁茂していたミズヒキが消え、庭の片隅に咲いているだけでした。
この20余年、毎年草刈りは土手はシルバー人材にもお願いし四度、
庭の部分は暮れと六月下旬に二度していますが、
そのパターンを繰り返えすと繁茂する雑草の種類が偏って来ます。
この間隔で草刈りをしていると、赤いミズヒキや黄色いミズヒキが偏って繁っていました。
事情が有って9・11の年だけは九月中旬に草刈り、
その頃は辺り一面に種の付く前のミズヒキが生えていたので、
その年は刈られて子孫を残せなかったようです。
そのミズヒキに替わって、先日の草刈りで目立って蔓延っていたのは、
赤まんまの呼び名で知られる陽気なイヌタデでした。
時々草刈りの季節を変わると、雑草の盛衰が見られ面白いものです。
このイヌタデも生け花の花材に、よく見ると綺麗で可愛いので使うそうですね?
他にも例年には見馴れない、青い可愛い花が群生して咲き新鮮でした。
「愛の林檎」が誰の手に落ちるかはキューピッドの気まぐれ次第ということでしょう。
崖様、
「愛に関しての魅力の競争」私にとってはとても新鮮な表現でした!
浜田さんのコメントにある自称「お化け集団」には、笑ってしまったけれど、ふと思うに、彼女たちは立派な現役オンナですよね。マイウエイを貫いて堂々と生きてこられた方々。
けれど自称「お化け集団」と表明したほうが、何となく居心地がいいというか、自虐的な落ち着きがある(自分たちにとって)のは、やはり日本的?
本場のアメリカのゴスペル歌手たち(すっごく豊満で、迫力ある女性たち)は、「あたしはオンナよ、何が悪いのよ」と、堂々とホルスタインみたいな胸を膨らませて言うでしょうね(笑)客観的にはホルスタインでも、自分では「オンナ」を主張する。
今なお美しいオンナたち・・「お化け?集団」の歌声を、一度聞いてみたいですね。
中年男性の方々、異論あるでしょうか(笑)
怖くて言えない?いえいえ、仮面かぶっていれば、奥さまにはばれませんから安全ですよ(笑)
常設の舞台であり、演目も登場人物も自在に変わっていく。
さらに言えば観客の出入りも自由。
なるほど!
仮面劇のようでいて、実は本性をむき出しにしているところも面白い。
脚本はないけれど、高樹先生が何気に脚本のベースをひいているような・・・。
それに踊らされる演者たち。(こうして書き込みしている私も含めて)
面白いですね。なんて、楽しめる余裕があるのもつかの間かな~。仕事仕事、はい、仕事。行ってきま~す。
自虐的な落ち着き、なるほど。
フランスの女達は間違っても自分達のことをお化けなんて言わないだろうと、ぼんやりと思いました。
一線から身を引かない。いつだってダイエット中。自分が最も魅力的に映る様に気を配っている。ベストコンディションにあるように努力している。
そして、それは、ちっとも辛さを伴わず、むしろビビットな緊張感。そして、観客は十分応えてくれる。
女性の魅力に対する感覚が違うんだろうな、と思っていました。若さへの比重が異常に高い日本とは。
そう、観客は貴重な存在。彼らが舞台に立つものを育てると言っても過言ではないと思われます。
心地よい緊張感を持って、さあ、今日もスタート!
久々に秋晴れの早朝のパリより
白ワインを頼み、乾杯!と心で唱え飲み始めました。
明日Ekoさんもお元気そうで何より、皆さん失礼致します。
では皆さんの今日の日にも乾杯!
イメージ的には、吸われませんよね。
細胞の活性度が高そうですし、造語もお得意のようですから。
ちなみに、「たばこ」と「タバコ」(JT参照)
「たばこ」が製品で、その原料となるのが、「タバコ」というナス科の植物の葉です。
ですから、「タバコ」は吸えません。吸っておられるすれば、「たばこ」でしょう。
それでもって、nice bodyの同性には、あっけらかんと賛辞を贈る。そんな感じがいいんだな~。
それなりの嫉妬はあるかもしれないけれど、スコンと上昇気流に乗っけて、天空にて華咲かせてる、ポジティブパワー。
極東の、臭い物に蓋をし続け、そこから漏れてる地表近くに沈殿する妬みの層で、足を引っ張りあってる土壌では、謙遜を過ぎた自虐も自己防衛の手段なりきか?
以下は、ある米国在住日本人男性のつぶやき。「日本女性は世界市場でもてる。高い教養、控え目な態度。潤いある美。悔しいけれど、男性は・・・。」
そうかなぁ。私の知りうる素敵な日本人男性達が、世界市場で評価されないなんて。
でも、もしかして、日本の空気が、女性の魅力を、若さに偏らず、正当に賛辞できるようになったら、かわってくるのかな?
好き嫌い、善し悪しの判断の中に、微妙に嫉妬の湿り気がこもっていて・・だからそれを避けるために、あえて「お化け集団」なんて、彼女たちは自分から言ってしまうのかもね
夢の中へさん・・たばこ吸いませんよ~
夾竹桃さん・・マイケル・ジャクソン、評判いいみたいですね・・本番の数ヶ月前にすでにあれだけ完成度されたステージは、信じられないと、エアロビクスの先生が言ってました。
加えて最近は「スーパーかわいい」若い女性が世界市場の評価を得ています。
マンガとともに日本の<ソフトパワー>として世界を席捲するのではと期待されるほどです。
しかるに現在の日本人男性は?
木蓮さんの評価されるカッコイイ男性の基準も<亜西欧男性的>な評価でしかないのでは。
日本人男性というと、思い出すのが<サムライ>。
これは今や世界語になっています。
「江戸時代になると、形而下的な物欲や名誉欲に捉われず、つまり、チャンバラをするのではなくて、形而上的興奮を伴わなければかれらは動かなくなる。
人はどう思考し行動すれば美しいか、ということを考えるようになった。
類型のない美的人間ということで世界がめずらしがった」
と司馬遼太郎は書いています。
残念ながら現在、左様な男は日本に存在しなくなったが・・・。
私自身が剣道で鍛えてもらいましたので、「素敵な日本人男性達」とは、丹田に力こもり、気に満ち、嘘をつかせぬ眼差しの持ち主であります。彼らが、たとえば辻邦生のごとくに、女性の知性や想像力、倫理性を確信できるようになったら、世界市場でも評価してもらえるのに、という意味です。
それから、これは真っ向からの反論ですが、このご時世、厳しい第一線で活躍する男は、もはや物欲・名誉欲に捉われるどころではなく、むしろ、崖っぷちのところで「どう思考し行動すべきか」に支えられて頑張っておられます。女性もそうですが。
生意気申し上げて、すみません。不躾どうぞお許しください。
おもしろいですね~
木蓮さんの「生意気申し上げて、すみません。不躾どうぞお許しください。」の一文は要らないですよ(笑)生意気と不躾を避けていてたら、何も言えなくなりますからね・・
「甘苦上海」後半、紅子さんにどうしてもモヤモヤしていました。嫉妬と優越感、どうしてそう若さに固執するのかと。紅子さんの年齢に達しておらず、あなたにはわからないわよって言われそうですが、それまでの恋愛・仕事の経験から、そこは突き抜けてこなければならないはず!と勝手に思っていました。
美しいお化け集団の方々は、突き抜けた感じがあって、好感を持っています。
私も、職場の男性先輩から、「女は35歳まで」なんて言われて、「女の魅力はそこからですよ。知らないんですか!?甘い甘い」なんて、生意気に不敵な笑みを浮かべて、お返事しました(笑)
仏上院により主催する『フランスの現状』を考察するシンポジウムが、仏で事業展開をする外国企業によって本日開催。この機会に実施されたアンケート調査によれば、在仏非仏企業の経営者は、フランスを強力な政治主導の下で非常にダイナミックであると高評価。革新さに富み、優秀な人材を抱え、質の高いインフラに恵まれ、人口構成も将来の安定的成長を確約しているとする。豊かな国フランスは古典的衣装(風習)を脱ぎ捨て、時代に見合った衣装を身に纏う。。。片やフランス国民。51%が不信感を募らせ、27%が疲労感を訴える。64%が危機はこれから襲うとし、26%のみが最悪期が去ったとしている。8%のみが資本主義の根本的変革がなされたとし、43%は変革がなされても時期を逸したものとなろうと悲観的。更に36%に到っては変革は見られまいとする。。。
一体同じ国について語っているのか。。。
面白いですよね。とってもフランス人らしいなぁ、と。ステレオタイプ的見方はしまい、と思いつつも、ついつい思ってしまいました。
コメントありがとうございます。
近年わたしがテレビで見聞きしたマイケルは
まさに人間離れしたその奇行ばかりが目についていましたが
それはメディアによるゴシップ志向の強い
ワイドショー的な脚色だったのだなと
彼の舞台に取り組むその真摯な姿勢を見ていて思いました。
結局のところわたしもそれに踊らされていた感が
無きにしも非ずで
木蓮さんも引用されていましたが高樹さんの
「他の誰をも味方とする必要のない、すっくと立つ「個」の内側からの言葉」
ということの難しさ奥深さを
自分に問いかけていました。
いま再び彼の死に対する好意的な報道も
かつての報道の在り方を思えば
掌を返したような傲慢を感じないではいられません。
その傲慢はわたしの中にも。。。
映画を見て以来
わたしのパソコンの前にずらりと並べられた
マイケルのアルバムを順番にかけて
彼の死を偲んでいます。
「彼の死を悼む」もしくは
「(生前の)彼を偲ぶ」ですね。
そのどちらの心情も表現したくて
変な言葉遣いになってしまいました。
<左様な男はいなくなった>というのは、女性の素晴らしさを強調するため反語的に、反射的に使ってしまったようです。
・・・よく周りを見回しもせず。
自分自身、ブログで<魅力的な男>を何人か取り上げているくせに・・・。
自分サイドを卑屈に見る、これこそ正さねばならぬ男の姿勢でかもしれません。
賠償千恵子さん扮する「おばあちゃん(という年代の女性、本当の祖母と孫ではありません)」が岡田将生君ふんする「青年」に真剣に「恋」をしてしまう・・・。彼のために一生懸命、お料理を作り、明るい色のドレスをきて、何とか気をひこうとひたむきな情熱を注ぐ、可愛いこと、可愛いこと、この「おばあちゃん」。が、「彼」は「おばあちゃん」の「恋心」には当然気がつかない。(普通はそうですよね。)それどころか、「僕の彼女にお料理教えてあげて!」とお願いしてしまう。
長谷川潤ちゃん扮する「ガールフレンド」に「嫉妬」した「おばあちゃん」のとった行動は!
「人生」「恋」「老人の性」などなど、ハワイの明るい太陽のもとで「さらり」と描かれていたとても良い作品でした。そうそう、松坂慶子さんもとってもよかったです。太めでのんびりでもいつも笑顔で、食いしん坊で。
「若さへの固執、嫉妬」は繰り返し「紅子さん」の心情として描かれていました。その鋭く的確な表現に共感し、何度も頷いて読み進んだものです。それは私が「紅子さん」と同世代だからということが大きいと思います。
30代、40代の頃は「老い」と「孤独」そしてその先にある「死」を意識することはあまりないでしょう。人生50年といいますが、人生の折り返し地点を過ぎ、仕事でも「60歳定年」へのカウントダウンを意識するようになると、「若さへの固執、あるいは嫉妬」という感情がふつふつと湧きあがってくるものではないかと思います。それに対して他人にどういう行動をとるかは、個人の人格によるものと思いますが。
どんなに仕事で立派な業績があろうと、過去にどんな素敵な恋愛があろうと、年老いてから湧きあがってくる若さへの嫉妬の感情やはオフセットできないように思います。しかし、その苦しみを克服することによって自分の「老い」を受け入れることになるのではと思います。それがどの時点で来るかは個人差があると思いますが。
若いうちは「老い」だの「孤独」だの「若さへの嫉妬」だの理解できなくても良いのでは。そんなこと考えて毎日過ごしていたら、「体」に「毒」ですから(笑い)。
紅子さんの「嫉妬・優越感」「若さへの執着」に触れるときに、2人の女性の顔が浮かんできます。
細かい話は避けますが、外見的には美しい方なのに、出ている雰囲気が・・・。また、苦しみを加速させるような言動が見えてしまって、ある意味女性らしいというか素直というか、いろいろ感じました。
ここ数年、人生について考える時間を持て、その「老い」と「孤独」そしてその先にある「死」について考え、また、自分はどう生きることが幸せなのかと向かい合ってきました。JOYさんご指摘のまさに体に毒をやっていました(笑)だけど、ぶち当たってみて、私はすごく良い時間を与えられたと思っています。
もちろんまだ若い?ので、今時点の考えではありますが、それでも必死に目を凝らして、観てきたなぁという思いがありますし、これからも問い続けていくんだろうと思います。
生き方というのは、その人の想いだけではそうならず、時代背景や環境も大きいと思っていますので、紅子さんの世代ぐらいがちょうど分かれ目のようにも思っていました。
反論を承知で書かせていただくと、紅子さん世代から、女の幸せ(これも一括りできませんが)と仕事の両立が見えてきたという感じでしょうか。
時代の流れの中で、どちらか一方に重きを置くことが必然だった時代というのでしょうか、そういうことを感じます。
かくいう私も、老いに抗い、美容に力を入れております(笑)
JOYさんのコメントを拝見しながらその時その時の苦しみや喜びを噛みしめながら、歩んでいくんだなぁと浸らせていただきました。
学生時代にエリカ・ジョングの「飛ぶのが怖い」という女性解放の小説が翻訳され「飛んでる女」という流行語も生まれました。「結婚しない女」という映画もありました。
しかるべき年齢になればお見合いして結婚するというのが、女性の生き方と親たちは考えていたのでしょうが、娘たちはなんとか解放されたいともがいていたような気がします。私だけかもしれませんが(笑)。
就職にしても「男女雇用均等法」の施行されるずっと以前でしたので、女性で一生を賭けられる職業は公務員、教員など限られていました。東京では「自宅通勤」以外の女子は大企業は採用しませんでした。これ、いまでも不思議です、地方出身者を差別していた(笑)。
女性が仕事を継続するインフラも整備されていなかったので、結婚、家庭を優先した女性も多いと思いますが、何よりもまだ女性の意識が完全に解放されていなかったのかもしれません。
でも、女性が経済的に自立し、意識が解放されても「恋」の悩みや苦しみは古代からずっと変わらないような気がします。
「恋」の悩みや苦しみへの対処は、その人その人の個性が出るだけなのかなぁ。世代による違いもあるのかなぁ。
恋愛小説って、だからおもしろいのかもしれませんね。また、世代による楽しみ方も千差万別。
楽しいひととき、ありがとうございました。