高樹のぶ子のWEB SIA(SIA=サイア)〜アジアの心の情報を発信する〜

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高樹のぶ子のSIAブログ

2009年11月05日 / 最近の出来事

心の運動機能

こんな言葉は、私の造語ですが、自分で創った言葉をあちこちで便利に
活用しています。


運動機能といえば、頭「頭脳」やもちろん身体があります。
でも、心にもあるのだと思っています。


誰だって、心の運動機能を高めたいけれど、どうすればいいのかしら・・
万人に向けたアドバイスはありませんが、「傷をチャンスだと考える」
ってこともその一つのような気がします。


私の場合、「痛い」「腹立つ」「不愉快」「苦しい」ということに耐えるとき、
その耐え方として「このネガテイブな状況から、何か面白いものが生まれない
か・・」
と本能的に思います。すると運動が起こる。
そして、ネガテイブな状況が、反転してくるのです。
面白さに変転してくる。


これから用事で出かけますが、またこの続きは、みなさまと共に、、
コメントのなかで。


高樹のぶ子

コメント ( 76 ) | Trackback ( 0 )

« コップの中の大海 舞台 »

ブログ主の人格、活動、作品を貶めるコメントはご遠慮ください。
明らかに事実と異なる事柄や個人への誹謗中傷が著しい場合、運営側の判断でコメントを削除する場合がございます。予めご了承ください。
 
コメント
 
 
 
生命力 (JOY)
2009-11-05 10:49:36
高樹先生の生命力に感服いたしました!

ピンチはチャンス! ですね!


(まだまだ、「甘苦上海」の余韻に浸っておりますが、私の「熱」もそろそろ微熱から平熱に戻りつつあります。周敏さんについてのヒントありがとうございました。私の想像と一致していたようなので解釈は間違っていなかったかとほっとしました、(テストの答え合わせした後のような・・・。))




 
 
 
フレキシブル (乃阿一葦)
2009-11-05 12:09:03
柔軟な心と発想。出来ているようでなかなか出来ないです。
そのようなフレキシブルなところが創作の原点なんだと思います。
 
 
 
エネルギー (satoko)
2009-11-05 13:25:27
ブログを運営?も、忍耐力を要することでしょう。
時間も取られますし。ほんと、時々ヒヤヒヤします。

私もささやかにブログを書いていますが、これが又止められない。凡人たる我は、それが快感です

先生の次回作楽しみにしています。

そうなったら、きっとブログどころではなくなるのでしょうか。それも淋しい。
 
 
 
腹の立つこと (昭和のマロ)
2009-11-05 15:12:13
 大なり小なり、毎日腹の立つことがあります。
 心の動きは前のめりになって、増幅し、いろいろな心の動きに悪影響が出るのが常です。
 
 先日、ツアーでウイーンへ行ったのですが、与えられた部屋に入ったら、ベッドメイキングがしてない。
 ゴミ箱にゴミが入ったまま、洗面所にはタオルが使われたまま。
 早速、カッカして、フロントに文句を言いにいったら、次の団体が入ってきたばかり。
 二人の係りが受付や、バスから降ろされたたくさんのトランクに番号を貼ったりテンテコマイ。
「そんなことより、こっちの処理が先だろう」と言いたいところでしたが、 ぼくは前のめりになっている心を先ず抑えました。そしてしばらく見ていました。

 そのうち前のめりの気持ちが変化してきて、昔行ったツアーで、仲間のおばさんがニューヨークで枕銭を置かなかったら、翌日ゴミ箱とか枕とかが放り投げ状態だったと言っていたことを思い出しました。
 そこで、これはブログに使えそうな<得がたい経験>じゃないかと思ったら、心が収まりました。

 結果的には、別の部屋を取ってくれ、レストランでの飲み代をカバー、翌日はさらにいい部屋に替えてくれ、りんご、オレンジ、ぶどう、キューイの果物籠の差し入れがしてありました。

 同じ結果であっても、さんざん怒鳴り散らした後では心の転換は期待できなかったでしょうね。
 
 
 
 
憧れ (のん)
2009-11-05 15:52:12
私の好きな心理学サイトの中で精神科医の先生が「ココロの燃費を上げる」というタイトルでよくコラムを書かれています。ほんのわずかの衝撃ですぐエンストしたりせずにどんな時も軽やかに楽しみながら生きてゆけるといいですよね。
一見マイナスに思えることもプラスに考えてみる、頭では分かっていてもなかなかできないことを軽やかに実践され創作物へと昇華させてゆく高樹先生に憧れます。私もしなやかで強靭な心の筋肉を身につけたいものです。
 
 
 
造語 (miriam)
2009-11-05 18:05:21
高樹さんお得意の「造語」ですね。

たしかに身体ばかりではなくて心も常に運動しています。

SIAも五感を働かせて受け取るものと思っておりますが、
これがなかなか難しくて。。

五感が正五角形で保たれることがありません。
どちらかに微妙に偏ってしまう。

私の心も常に偏っているのは自覚しています。


「痛い」「腹立つ」「不愉快」「苦しい」ということに耐えるとき、
その耐え方として「このネガテイブな状況から、何か面白いものが生まれないか・・」
と本能的に思います。すると運動が起こる。


そんな風になれたらいいなぁ~

以前よりはずっと辛抱強くはなったのですが、
それでも私はどちらかというと常に直球勝負!

これって・・・
血液型とも関係してます?
ちなみに私の血液型はO型。

だいたいこちらに集う皆さんの血液型などを想像しながら、
一人でニタニタしておりました(ごめんなさい)

五感をフル稼働させたいです。

でもね~
少々私の「心」は運動不足なのかもしれません。

まるでマラソンランナーのようなこちらの皆さんのコメントから、
新しい感覚を取り入れることができて嬉しいです。

それから・・・

嵐の去ったあとのこの「凪」のような静けさも束の間のこと???だと思う。
高樹さんが新しい小説を発表されたら・・・
きっと、
たちまち嵐が舞い戻ってきてしまうのでしょうね~

そういう激しいところが怖くもあり、
楽しくもあり。

今、高樹さんの頭の中で
どんなことが渦巻いているのか・・・
とても楽しみです。

私には・・・
「造語」は作れない~~~~~~(涙)


 
 
 
O型 (怜子)
2009-11-05 18:20:14
miriamさんも、O型ですか~。
実は、私もO型です。

私の記憶違いでなければ、miriamさんと歳も一緒でしたよね。
なんだか、嬉しいです♪
 
 
 
あら・・・・ (miriam)
2009-11-05 18:31:39
私も嬉しい~♪

こんな私ですが。。(笑)
 
 
 
私はB型 (しづ)
2009-11-05 18:46:42
ちょっと血の気が多いところは父親から!?
そう父はO型。

でもそんな父にでも一歩も引かぬ毒舌な母はB型。

2人を掛け合わせると、こんな私のようなB型が生まれる。

ちなみに私はマラソンは苦手です。代わりに水泳が得意です。
ほぼ毎日、1日に2キロ泳いでいた時期もあり、おかげで15キロのダイエットに成功した経験があります。これもB型の性格でしょうか?

どなたかB型の方はいらっしゃいませんか?
 
 
 
あれ~ (satoko)
2009-11-05 18:47:11
私も、正真正銘のO型なんですが、
O型って意外と多いんですよね。直球、分かりますよ~

先生は何型でしょう。

O型ではないと、思いますね。まず。芸術家ですから。

昭和のマロさん、
ヨーロッパの旅、楽しかったことでしょう。

 
 
 
ポジティブ思考!ポジティブ志向! (クッカバラ)
2009-11-05 19:05:24
恒常性維持機能を如何に活性化させるか、とのテーマ。先日、夢の中へさんがコメントにさらりと入れていらっしゃいました。だから人間は生きていけるのですね。

活性化の方法は皆さんそれぞれ。なるほど、高樹先生はポジティブ思考でありポジティブ志向!

そうなると、やはり、人生、どう料理するか。
幸せの鍵は、我が掌中にあり、と強く再確認です。

なんだか、楽しくなってきました。
ありがとうございます!
 
 
 
私も B型です。 (ぽんた)
2009-11-05 19:17:17
しづさん、はじめまして 私もB型ですよろしくお願いします。
好きなことは一生懸命、あまり興味の無いことは気にしない系です。
私事ですが 昨夜高田馬場まで出かけ 帰宅の途中 知り合いと駅の近くでバッタリ。
もうかなり酔っ払っている様子で 仕上げにラーメンを食べに行くとか。ゴルフコンペの帰りだったそうです。
強引に引っ張られ 居酒屋さんへ。
飲んでいるうちに 何と4人全員B型という事が分り大笑い。
私の山口の友人の説によると B型には頭の上に B型を呼び寄せるアンテナが付いているんだって。
で、もう1つ、世の中でB型の女性が1番性質が悪いって。
因みに友人は B型男性です。
何をおっしゃるやら。
B型女性が1番正直で分りやすいんじゃないのと思っている私ですが・・・・。


 
 
 
「本気」 (夢の中へ)
2009-11-05 19:41:18
「傷をチャンスだと考える」
実践を伴っておられる先生のお言葉ですので、深い感銘と共に、魂から勇気付けられますね。

「失恋」=「心の傷」に関して、「孤独のオーラの活用or効用」というのが、エッセイ「うまくいかないのが恋」にありましたね。
失恋でも徹底的に傷つけば、傷に比例して異性にアッピールできる「強いオーラ」に転じて、発することが出来るということでしたね。
要は、「傷をチャンス」と、どれだけ本気で、全身全霊考えることが出来るかポイントなんでしょうね。
中途半端は無に等しい。(いや、時間的にはマイナスかも)

中国四千年の英知(易経)から、《またSIA?》
「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず、通ずれば則ち久し」

いずれにしても、「本気」で、主体性をもって生き抜くことが肝要!ポジティブに!
小柴昌俊先生談:「やればできる。ただし本気でね!」


余談ですが、
「切ない気持ち」を本気で思いつめていけば、古い年代もののピアノの音が聴こえてきたそうです。
「本気疼苦(ホンキトンクウ)」とか?!
 
 
 
女子プロ野球復活! (のあ いちい)
2009-11-05 19:41:55
前向き思考・志向の話題に花が咲いていますが、いよいよ来春女子プロ野球が始まります!

1950年51年と2年続いたのですが、女子プロ野球はプロの世界から消えうせましたが、とうとう復活ですね!
女性の活躍する時代です! スター誕生が待たれるところです。
名前にリンク貼っておきました。興味のある方はのぞいてみてください!
 
 
 
共感 (エイミヒロ)
2009-11-05 21:24:34
最近は高樹先生の本「甘苦上海」が一番こころに響いてきます。女性の本能を感じます。

若くない女性の今の充足だけで未来はないというフレーズは特に。。。。

「透光の樹」の映画は1回は舞台挨拶で高樹先生を見たときは感激しました。それからもう一回観て、泣ける映画でした。

こんなに身近に高樹先生を感じることができるのは感激です。

あと、最近記事で読んだのですが、高樹先生が自分が悪いと思うことで立ち直れると。。。励みになりました。

私のブログにも載せています。

 
 
 
ぽんたさん、わかります! (しづ)
2009-11-05 22:26:20
B型仲間がいてよかったです。

ぽんたさんのおっしゃる通り、よくも悪くもB型は、興味のあることにはとことんのめり込み、あまり興味のないことはさらりと通りすぎますね。

そして、B型がB型を引き寄せるアンテナもわかる気がします。
ちなみに我が家は、主人もB型、2人のおチビちゃんたちは未だ幼いので検査してませんが、ひょっとしたら家族全員がB型かもしれません。
超個性的家族!?

B型の人は変わってるよねぇ~と言われても、はい、私変わってます!と素直に認め、変わってると言われることも個性的であることの1つだと思う。そんな楽観的なところもある気がします。
 
 
 
血液型 (アン ノーウン)
2009-11-05 22:50:25
血液型ねー 会話の中では そうねー なんて合わせていますが、私は120%信じていません

どの血液型の説明を読んでも、自分にぴったりだと思いませんか?
 
 
 
以前にも (いちい)
2009-11-05 23:17:16
血液型の話題は以前にも出ましたね。場をつなぐのには良いかもしれませんが、また同じことを書き込みたくなりましたね。(*^_^*)

日本でもこれを研究した人はいましたが、結局、母集団を増やしていくと、皆同じになってしまう、ということです。

因みに、「私は○型です」と実際とは違う血液型を相手に伝えてみてください。「あっ、やっぱりね、そうだと思った」などと言われます。
そのようなことから、純粋に学術的に血液型と性格を研究している人は居ないのではないでしょうか。日本でも、明治あたりにその辺の結論を出して居るのでは。まったく関係ないかと言われれば、0%とは言えないかもしれませんが。
そうであれば、その研究で疾うに、ノーベル賞を取る人が出ていなくては・・。
アメリカでは、もっぱら星の方が人気があるようですね?
因みに、私は、C型、です?
 
 
 
実は・・ (satoko)
2009-11-05 23:17:37
↑、前のコメントでいろいろ書きましたが、私も実は
アン ノーウンさんと、同じような気持ちです。

人はその時その時で、いろいろです。

大雑把だったり、クヨクヨしたり、陰気だったり、明るかったり。

ただ、当たっているならば私はB型に、憧れます。

私は根気がなくて、何事も続かない、飽きっぽい。

自分が悪いと思うことで立ち直れる・・・
先生が仰ったのですね。エイミヒロさん。

深い言葉ですね。

自分をとことん追い込んでいくということでしょうか。

幸いなるかな、心の貧しい人、
イエスの山上のひとつの中の言葉ですが、
私は長いことなんで貧しい人が幸いなんだ、と思っていました。

貧しいという事は、驕りのない人という意味なのだろうと、最近は解釈しています。

自分を虚しくしたとき、確かに光が見えることがあります。
苦しんだ後にやってくるご褒美みたいなもの。

ちょっと、柄にもなくぶってみました。
 
 
 
自分のルール (高樹のぶ子)
2009-11-05 23:55:01
血液型の話題で賑やかですね・・
私はO型です。家族や周囲はみんなO型。

昭和のマロさん・・ウイーンでは災難でしたね。災難というのは、不可抗力なのですが、なぜか重なってやってきます。弱り目に祟り目・・あれは本当ですね。

マロさんのようなホテルの災難の場合は、即刻抗議をするべきですが・・一般的に災難が重なるとき・・やり過ごし方が、大事な気がします。

「じっと動かない」というのも、とても効果的な対処です。
「機を待つ」そして、やるべき時には、一気にやる。
「心の運動」というのは、「じっと待つ」ことも含まれているのだと思います。あらゆる状況を想定したうえで、動かない。
そして自分でルールを決める。「このような状態が来たら、徹底的に、全知全力を掛けて行動を起こす」と。

さみだれ式に、いつでも怒っているのは、疲れてしまいます。
じっと耐えていて、自分のルールにおける堰が決壊するのを待つ。大事なのはその「自分のルール」だと思います。
心の運動機能というのは、「締め」と「開放」の両方が必要なんじゃないかしら・・

皆様全員にお返事できなくて、ごめんなさい。



 
 
 
日本のクリスマスは山口から (浜田英季)
2009-11-06 07:19:22
「マイマイ新子」の公開が終わったら、今度は「日本のクリスマスは山口から」に全力で協力します。今年のクリスマスは、私の古くからの友人で、日本のゴスペルを牽引する「亀渕友香&VOJA」を招待しました。ちなみに私の血液型もO型です。
 
 
 
高樹のぶ子さま (昭和のマロ)
2009-11-06 11:15:20
 直接のご返事、こころに沁みます。

 高樹さんは、O型ですか。予想通りでした。
 ぼくの妻もO型です。明るくて細かいところにはこだわらないのに、一途なところがある。
 ぼくは悩むAB型です。
 しかし最近は「のんきな父さん」といわれるくらい、心配事は気にしない。
 ともかく前へ進むのみ。
 
 
 
 
クリスマス (Unknown)
2009-11-06 13:07:34
現在の日本、山口のクリスチャンはどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
宗教的な側面をそぎ落とした現在のクリスマスと、当時の敬虔に祝ったクリスマスをひとつながりにしたイベントには、疑問を抱きます。しかも、町興しとあらば、なおさらのこと。いえ、住民の皆さんが、当時の求道者とおなじ信仰をお持ちならいいのですが。
こちらはアジアのサイト。愛、宗教を考える流れから、まじめな問いかけです。
 
 
 
浜田英季様、ごめんなさい (木蓮)
2009-11-06 13:30:47
上記コメントは木蓮です。
貴方様の精力的なご活動に、心から敬意を表します。どうぞ、ご気分を害さないでくださいませ。
複数のクリスチャンが身近におり、「日本のクリスマスは山口から」をコメントに目にするたびに、すみません、胸が痛んでおりました。。。
 
 
 
クリスマス (高樹のぶ子)
2009-11-06 15:05:24
浜田さん木蓮さん・・
クリスマスを冬の風物詩としてとらえる浜田さん(私もどちらかというと、クリスチャンではないので、浜田さんに近いのでしょうが)一方で、敬虔な気持でキリスト誕生を祝う木蓮さんのクリスマスへの感じ方は、どちらが良いとか正しいとかではなく、宗教について考えるチャンスですね・・

浜田さんのイベントについては全く知りませんが、どんなことをなさるのかしら?楽しいこと?山口県はザビエルが宣教の拠点としたので、それを町おこしにということなのでしょうか?

サンタクロースの由来はいろいろ説があるようですが、トルコ南部で、サンタクロース(になった聖人)のお墓を見たことがあります。
赤い服を着た例のサンタは、コカコーラが作り出したイメージだとも聞きました。ほんとかな?

変化を遂げながら、世界に広がっていった現在の姿は、キリスト教の勝利、だとも言えなくはないわけで・・

ベトナム南部の邪宗?カオダイ教は、キリスト、孔子、釈迦、三国志の関羽、さらにはビクトル・ユゴーまでお祀りしてありました(笑)
 
 
 
クリスチャンといえば・・ (satoko)
2009-11-06 15:36:22
日本人は、宗教を問われると、無宗教ですと答える人が多いと聞きますが、はたししてそれはほんとうか私は疑問に思います。

あの、お正月の初詣は、何を物語るのでしょうね。単に習慣だからというだけでも無いように思うのです。
それと、お祭りの時のお神楽などは、神に感謝をささげる祈りなんでしょう?

自分の宗教を振りかざして、戦争するよりはずっと、良いとは思いますが、ちょっと不思議です。

この間、カトリックの司教さんの公演を聞く機会がありました。
その方が仰るに、日本人は生まれてこのかた、キリスト教に無縁の人は殆どいないんじゃないか、と。

幼稚園、日曜学校、ボーイスカウトの集まり、中学、高校、大学、専門学校、勤め先、キリスト教関係の教育機関で学んだ人、自分でなくても兄弟姉妹、誰かは関わっているはずだと仰るのです。

もう今更キリスト教を知りません、とも言えないのです、と仰いました。
クリスチャンの多い会場でしたので、ちょっと過激だったかもしれません。もう遠い外国の宗教ではないと言う事が言いたかったのでしょうか。と思いました。

関わったというだけで、信仰を持ったという事ではないと思いますが。

今、ヨーロッパではキリスト教離れが激しいと聞きますね。
どうなんでしょうか。行事は習慣として残っていくことでしょうか。

日本人はどの宗教にも寛容ですね。私は個人的には素晴らしい財産だと思っています。

山口県は、フランシスコ・ザビエルが日本で初めて教会を建てたという事になっていますね。

焼けるまえのザビエル教会に、行ったことがあります。

その時、津和野の教会にも行きました。

取りとめもなく、長々と失礼しました。







 
 
 
クリスマスですね~。 (九寨溝)
2009-11-06 17:40:08
クリスチャンの話が出てきたので書き込みしますね。

私は大人になってからのクリスチャンですが、1人でも多くの人に今のまま、無条件で愛されているキリストの愛を知って欲しいと思っています。

クリスチャンにも色々な人がいるのかな。

私はコンサート大賛成です!ご成功をお祈り申し上げます!

またまた掘り返していたらすみません。

高樹先生の書き込みのタイミングと内容が素晴らしいと思いました!

色々勉強になるなぁと思って読ませていただいています。

そして、カバーされている範囲が広いのに驚きます!

「甘辛上海」関連で物語を思いつきました。。。

主人公は日経読者。「甘辛上海」に反発しながらも、読んでいる(笑)

私生活で停滞しているかに見えた彼女の人生は、不思議と物語と同調しながら動き出す。美しく、有能な母とうまくいっていなかった関係も微妙な変化が表れ、気になる男性の存在も・・・。物語に影響を受けている自分にとまどい、反発しながら・・・。

そして物語の最後はやはり読者にゆだねられる・・・。

そして反発が起こる。

あ、最後はちょっと冗談ですが。失礼だったらごめんなさい。
 
 
 
お祭り好きの日本人 (万華鏡)
2009-11-06 20:12:57
日本人の宗教ってなんだろうと不思議でしたが、こんな話を聞いてなんとなく納得したことがありました。

日本古来の宗教は神道で、八百万(やおよろず)の神がいらっしゃるとのこと。天照大神をはじめとする正統な神々の他にも、自然や生活から生まれたさまざまな神様がその土地その土地にあって、祀られています。多くの神様を自然に受け入れてきたDNAがあるから、仏教やキリスト教も自然に受け入れ、生活の一部として取りこまれた・・・みたいな内容です。ベトナム南部の宗教もたくさんの神様がいるのでしょうね。

お宮参り、七五三、結婚式、お葬式、人生の節目だけではなく、季節の節目のお正月の初詣、秋にはお神輿をかついだり、今月はお酉さまもありますね。信者ではなくても生活の一部になっている宗教行事は結構ありますね。クリスマスもそういう位置づけ(季節行事)に近いのかな?

クリスマスだからといって教会に足を運ぶことはありませんが、この季節になると、世界中のみんなが幸せでありますようにと願ってしまう、私は根っからの日本人です。
 
 
 
「愛と平和」がテーマです (浜田英季)
2009-11-06 20:36:20
「日本のクリスマスは山口から」は、1998年、サビエル記念聖堂の再興を記念して、山口商工会議所青年部が主催している山口市最大のイベントです。イエズス会では「1552年12月24日、山口の宣教師コメス・デ・トルレスらが日本人信徒を招いてクリスマスの祝を催した」と認定してる史実が根拠になっています。宗教色は極力さけ、「愛と平和」をテーマにしたメッセージが町興しのテーマになっています。今年は3万本のクリスマスキャンドルが点り、町中がイルミネーションでコーディネートされる計画になっています。そのイベントに私の古い友人でゴスペルシンガー「亀渕友香&VOJA」を招聘し、これを契機に一気に「山口国際ゴスペル音楽祭」まで持っていければと考えています。私はそのお手伝いをしているに過ぎませんが、将来的には「広島」「長崎」と連動したイベントに育てたいと思います。もっとも「町興し」にはお金と時間がかかります。マイマイ新子の帰郷をお待ちしています。
 
 
 
降誕 (木蓮)
2009-11-06 23:54:23
早速にて多様なご反応を、静かに拝読いたしました。SIAブログは素晴らしい。高樹先生、みなさまに感謝。

そうですね、日本人も色々なように、クリスチャンもいろいろです。信徒の中でも、色々なご意見が交わされたことと想像しています。
記憶違いでなければ、当初コンサートはサビエル記念聖堂での企画だったように思います。宗教色を避けての遂行も、よくわかります。以前、浜田さんがキリスト教を勉強中、とコメントに記されていて、嬉しかったのを覚えています。

ある福音派のクリスチャンは、NYの教会は堕落している、と嘆きます。でもそのコミュニティ教会は、愛の働きそのものだと感じる私がいます。

キリストの誕生が12月25日とは、史実として証明できないともいわれます。
ヨーロッパに広がる過程で、日が短くなり、闇に支配されそうな恐れの中で、光を待ちわびる=降誕を待ちわびるが思いが、冬至を記念する当地の信仰と結びついた。。。
柔軟なのは、日本だけでもないような。

クリスマス。キリスト(救い主)は神様からの最高の賜物。それを喜び、記念して、人々は贈り物をしあう。
北欧の樹木信仰の影響か、もみの木。その常緑は永遠の命の象徴。
赤は、私たちのために十字架で流された、キリストの血。
金は、王の象徴。

知識に乏しいので、正確には書けず、誤解があればご指摘ください。共振にたって書いてます。

九寨溝さん、そうですね。ありのままを受容してくださるキリストの愛が、世に満ちることを、私も祈っています。



 
 
 
ちょっと気になって・・ (satoko)
2009-11-07 00:24:21
先生も、O型だったんですね。
教えていただいて、ありがとうございます。そうでしたか♪・・・

皆さまのクリスマスの話題、嬉しくなりました。
クリスマスはすっかり定着ですよね。

宗教に関係なく愛の灯る日になるのも、素晴らしいと思います。ザビエル教会も協力してくれると良いですね。
木蓮さんのお話興味深いですね。

馬小屋で野宿をしたくらいだったから、夏だったのではないか、などと言う人もいるそうです。

いまだ、いろいろ不思議に思うことはいっぱいあります。

又、教えてくださいませ。おやすみなさい。

甘苦上海が終わってもつい、つい、読みに行きすになります。

 
 
 
クリスマス (夢の中へ)
2009-11-07 01:01:29
神道やそのお祭りにおいて、純然たる神を祀る行為である「神事」と、人と神が共に、飲み食い、踊り、直らいやいわゆる何とか祭りである「神賑わいの事」に分けられるようです。
「神賑わいごと」においては、お神輿などを担いで、「よういやさ」と威勢よく練っていても、神のことなどほとんど忘れているし、「よういやさ」の弥栄(いやさか)=「ますます栄える」ようにという意味合いも頭にないでしょう。

クリスマスにおいても同様であると思います。
ドイツでは、(本年は)11月27日(日)から始まるアドベント (Advent)の間、4回の主日にはミサや礼拝が行われますが、街中は特に宗教色もなくクリスマスマーケットで賑わっています。
クリスマスマーケット(Weihnachtsmarkt)はドレスデンで始まったようですが、どんよりとして寒くて暗いヨーロッパの冬を明るく過ごすための人間の知恵という解釈もされていました。

最近はどことも宗教離れしていませんか?
昔からイギリスでは、「憂鬱な日曜日、協会へ行かずにパブへ行こう。」という人種も多いですよね。
NYではいかが?

私は一応仏教徒ですが、ちょうど、4年前、ライプチヒの聖トーマス協会(祭壇の前にバッハのお墓がある)の第2主日の礼拝に参加しました。
キリスト教においては、神との関係は、「契約(期間を定めない)」ですので、私としては、一時的な契約として、キリスト教の神に対峙して祈ることは可能です。
カテドラルの中に響き渡る荘厳なパイプオルガンや祈りの言葉に魂を締め付けられるような深い感動を覚えました。すっかり全身カタルシス。
たまには、違う宗教に浸って、違う角度から神にアプローチされてはいかがですか。(カトリックとプロテスタントで正反対の人間観も踏まえながら)

山口においてクリスマスが始まったという歴史的な事実を、地域の方々が大切にされることはいいですね。
貧しい人ほど神の祝福を受けるとするカトリックは、格差是正の時流にあっていますね。
でも、木蓮様が「町興し扱い」に危惧を抱かれておられましたが、同感です。
ポンプアップ的な文化発信であれば、ポンプが止まれば、水は逆流します。
地域に根ざした「本物の文化創造」が、独自性のある魅力を放ち、人々をひきつけるように思います。
(バブル期に見られたように)安直な町興しはよく失敗していますから、位置エネルギーによる本物の文化情報発信に心がけられることが肝要かと思います。
ご企画のご成功をお祈りいたします。
 
 
 
 (九寨溝)
2009-11-07 10:37:17
私は以前、このブログのコメント欄を読んで、常連さん達の会話だ~。

ちょっと怖い展開もあるし入るのはやめよう~って思ってました。

でも今こんなに書き込んじゃってますが・・・。

でも個人的には以前のように思った経緯がありますので、誰さんとだけ仲良しみたいな流れには入らない自分がいます。すみません。ゆるしてください。なるべく他の方の邪魔はしないようにしたいと思っています。

でも、ここに書き込みする方々はやっぱり文章好きの方が多いんですね。
皆さんの書き込みを読んで勉強したり、ブログやホームページを見に行って楽しませてもらったりしています。ありがとうございます。


木蓮さん

前の書き込みをしてから木蓮さんのことが一番気になっていました。

木蓮さんの書き込みをお読みして、不安だった自分の心が、とんとことん、とならされるような安心した気持になりました。寛大なお心を示してくださり、どうもありがとうございました。

私は今朝、メッセージというコリント人への第一の手紙の13章(よく結婚式で読まれる場所です。)を読みました。(ちょっと長くてごめんなさい。しかも九寨溝の勝手な訳バージョンです。BibleGatewayのThe Messageというバージョンです。神学者じゃないので間違っている所もあるかもーと思ってお読みいただければ幸いです。)

愛は決してあきらめない。
愛は自分のことより他の人のことに気を配る。
愛は相手が持っていない物を与えてほしいなどとは望まない。
愛はみせびらかしたりしない。
愛の中にうぬぼれの心は見当たらない。
愛は無理に押し付けない。
愛には「私、私」という心が見当たらない。
愛する心はキレたりせず、
他の人がした過ちをいちいち覚えていたりもしない。
そして誰かがこびへつらっている時も、それを嬉しいと感じることもない。
本当の事が明らかになる時喜びを感じ、
なんでもがまんする。
いつも神様を信じる。
いつもベストは何なのか探している。
振り返らずに
最後までがんばる。

このクリスマスも、愛が広がるといいなぁ~。
 
 
 
丸いウエハース (高樹のぶ子)
2009-11-07 11:23:34
九寨溝さん・・コリント人への手紙を、じっくりと拝読。うーーーん、人間そうあればいいですね・・でもわたし、ほとんど全部違反してるものね(笑)「本当のことが明らかになるとき喜びを感じる」「いつもベストは何かを探している」この二つは、まあまあ、合格してますけど。

以前、パリ北部のサン・ドニの教会に行ったのですよ。短編を書くための取材でした。(「ファンタジア」というタイトルの文庫に収録されています)
朝早く、礼拝の時間を見計らって聖堂に入り、ちゃんとお説教を聞き、そのあと信者が列を作って、何かをもらっています。
ともかく並ばなきゃと思って、列の後ろに着くと、どんどん進んで、数人前を見ると、口の中に何かを入れてもらっています。ああ・・あれだ・・信者でもない私がもらってはマズイ!と思ったのですが、逃げ出すタイミングを失して、私の順番が来て・・
はい、それはあの、キリストの体?である、コインほどの大きさのウエハースでした。(正式な名前は忘れました)

このエリアは、クッカバラさんが良くご存じだと思いますが、移民が多く住んでいますので、あまり不思議には思われないだとうと思ったものの、私が口を大きく開けると、神父さんは一瞬???という顔をされて、ま、いいか、という表情になられて、ウエハースを舌の上に載せてくださいました。(でも、何だかバレてたみたい)

というわけで、私の体にも、イエスキリストの肉体が入っているようです。

そのあとで、教会前のカフェで一人ばりばりとバケットを囓り、カエオレを飲んでいると、お腹が痛くなりました。バチが当たったのでしょうか。冬だったので、お腹が冷えたのかも・・
 
 
 
クリスマス (GENE)
2009-11-07 11:53:51
高樹先生が書かれているのは、聖体拝受ですね。
カトリック信者ではないので、詳しいことは分かりませんが、プロテスタントの教会では、聖餐式を、オープンで執行するか、クローズで執行するか、教会によって違います。
オーソドックスな考えでは、受洗をしていない人は預かれません。
「もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」(第一コリント11章27~29節

浜田英季さん
山口でのイベントでは、クリスマスの主人公は、サンタクロースではなく、幼児キリストであることを、皆さんに啓蒙していただけるとありがたいです。
 
 
 
聖体拝受 (高樹のぶ子)
2009-11-07 12:09:07
うわ~~神様許してください。
 
 
 
御聖体 (そういう事も・・)
2009-11-07 12:40:47
又しても登場しました。

今回の話題には、興味しんしん。
私もGENEさんと同じ気持ちでずっと来ました。難しい話題の中には入れないけれど、
でも話題はちょっと気になることもあったりしました。

で、ちょくちょく、トンマなコメントを書かせていただいて今日に至っています。

先生、それはまさしくご聖体です。

フランスあたりの観光地ではよくある光景かも分かりませんが、ほんとうは信者の方だけが拝領することになっているんです。

それで日本では、最近は口(舌)では受けないで、手で受けることになっています。
でもそれをかたくなに断って口で受ける方もいらっしゃいますが。
習慣は変えられないということかもしれません。

プロテスタントの教会でもホスチュア(聖体拝領)をする宗派もありますね。

でもカトリックほど、形というか、そのものに重きをおいていないようです。信者でなくても頂けるみたいです。

ミサというのは、イエスと弟子たちが、イエスが捕われるという前の日、ともに最後の食事をしたことから、それを記念して始まったと聞いています。

イエスは、パンをちぎって、これを取って食べなさい、これは私の身体である、ぶどう酒を取って、これは私の血の杯、これを取って飲みなさい、

これを記念として行いなさい、と。

ミサはだから、ほんとうは晩餐だったというのです。
それが年月が経ち、今の形に落ち着きました。

と、私はそのように解釈しています。

信者じゃないとご聖体がいただけないなんて、ちょっと差別だと思いますが

でもそれだけ、とっても神聖なことなのですね。(司祭はなんでもないただのパンをイエスの体に変える特権を与えられています)

先生は、イエスの身体をいただいたのですから、それも
もしかして大きな愛をいただいたということになります。
きっと、・・それは素晴らしいとおもいました。

やっぱり、先生は恵まれた方なんです。
イエスさまの方から歩み寄って来られたんですから。


小さいこの枠の中に書き込むのは至難のワザです。

失礼な言葉、間違い字などお許し下さい。

 
 
 
Unknown (GENE)
2009-11-07 12:42:22
高樹さん、大丈夫です。
全ての人のために、キリストは十字架につけられたのですから。
 
 
 
失礼しました。 (satoko)
2009-11-07 12:43:30
上は私でした。すみません。satoko
 
 
 
大丈夫 (しゆう)
2009-11-07 15:30:40
高樹先生、大丈夫ですよぉ~

日本人には、お天道様がついてます。
 
 
 
聖体拝受 (ぽんた)
2009-11-07 15:51:50
もう10年以上前、長女がカトリックの学校へ通っている時
学校でミサが行われ 聖体拝受を目にした事がありました。
確か 5,6人の生徒が ご聖体を頂いたと思います。

この9月に 姪が山口のサビエル記念聖堂で結婚式を挙げました。
結婚式を挙げるまで 教会へ2人で 10回位通って神父様より 幸せな家庭生活を送る為のお説教を受けた様です。
式当日も ルイス・カンガス神父様より コロサイの信徒よりの手紙、前のコメントにもありましたコリント人への手紙のお話を聞き 自分自身の生き方を振り返るいい機会に恵まれました。
とても温かく荘厳なお式でした。

サビエル教会内部はヨーロッパの教会とは全く雰囲気の違った一見に値するモダンな造りです。
ステンドグラスも 面白いですよ。
山口生まれの私も 山口が日本のクリスマス発祥の地とは知りませんでした。
ありがとうございました。
年内に1度山口に帰りますが ご紹介のイベントに参加してみようかと考えています。
 
 
 
キリストとゴイサギ ()
2009-11-07 17:06:59
久々の投稿の気がします。

こちらのブロ友さん達とマイブログで楽しんでいました。
高樹さんのブログをネットジャックしたような気がしています。
そろそろ皆さんも、こちらへコメントして下さいね。


僕にとって心の運動とは好奇心の顛末や、日々の喜びや悲しみの事でしょうか。

さてこちらは何時から聖書研究ブログになってしまったのか・・・う~~む。

うむ?木蓮さ~ん?!笑

SIAブログ本体がキリストジャックされている感有り。

コメントし難い雰囲気なのでスルーと行きたいですが、
故・加藤周一氏が亡くなる数カ月前に、カトリックの洗礼を受けた、
と聴いてショックを受けた知識人もさぞや多いと思います。

エネルギーが足りないのですがコメントします。

検証はしてないのですが意外と、福永武彦や彼らの世代の母親達が、
キリスト教会系スクールに子供達を入れた時代だったのかも。
あの時代の母親達が何故スクール系を夢みたかを、
想像すると大正から昭和の激変からくる、そこはかとない不安だったのかな?

僕のどちらの祖母の考えもそんなキリスト系の雰囲気だった話を聴いていますね。

かといって仏教は戦争時にその不安に立ち向かうために、
信仰され繁栄を繰り返して来たのは歴史上の事実です。
特に禅宗はそのようです。

昨今の、キリスト教は勝利していると言う認識、果たして皆さんどうお思いでしょう?

カトリックの国スペインでは子供8人以上居る家庭は、
進学する気が有れば全ての学費を無料にしています。
だからと云って、現在のスペインも少子化は日本並に激しく、
今回の日本政府の学費直接支給は、的を得た政策でしょう。
あれれ、政策の話になってしまった。

木蓮さんは確かヨガをされていましたね?
宗教に関してはSIAインドの時にでも投稿したいです。

ところで高樹さんの「本当のことが明らかになるとき喜びを感じる」
「いつもベストは何かを探している」
この二つは、まあまあ、合格してますけど。

成る程、つまり「真理の解明」と「現実の理想追求」を自負されているのですね。

森の妖怪の格言として相応しい。
先日の夜8時頃、森の妖怪のような声が栗の大木から聞こえ、何の鳴き声かとしばらくは不気味でした。

ところが二、三日して判明しました、この季節は夜行性のゴイサギ、安心しました。
ゴイサギは悪声ですね。



 
 
 
コメント楽しかったです! (九寨溝)
2009-11-07 19:59:47
先生、じっくりと拝読ありがとうございます。

「ファンタジア」の中の短編読みます!
 
 
 
たおやかに (rika)
2009-11-07 20:46:04
本日退院してきました。
励ましコメント、ありがとうございました。嬉しかったです。

入院中は、同じ病室の先輩女性の方々のお話が聞けたり、人により病気との向かい合い方の違いを感じたり、医療の現場を垣間見たりと、人生経験を積むことができました。
自分自身も当たり前と感じていることが、実はとても幸せなことだと思えたり、短い時間でしたが、たくさんのことを感じることができました。今後この経験がまたどこかでプラスになるだろうと漠然と感じています。
でも、やっぱり手術や術後はきついですね(苦笑)

高樹先生の---------
「じっと動かない」というのも、とても効果的な対処です。
「機を待つ」そして、やるべき時には、一気にやる。
「心の運動」というのは、「じっと待つ」ことも含まれているのだと思います。あらゆる状況を想定したうえで、動かない。
そして自分でルールを決める。「このような状態が来たら、徹底的に、全知全力を掛けて行動を起こす」と。-------

これが私には今までできなかった。若かったんだろうと思います。状況がどうであろうと前に進むことしか知らない、猪突猛進型人間でしたね。お恥ずかしい。でもお陰で人のしないような経験や必死にもがくことで見えてきたものもありますが。

マイナス経験もしっかり味わい尽くす・・・のを少し楽しめる人間に進化しつつあります!?
 
 
 
ザビエルの塔 (高樹のぶ子)
2009-11-07 21:14:18
ぽんたさん・・山口のザビエル記念聖堂が新しくなる前、ツインタワーだったのを覚えておられるでしょ?緑の中にすっくとそびえる白い塔・・あれが懐かしいです。ガランガランと鐘がなる・・

「長崎の鐘」という歌の元になった博士の話も思い出しますが、あの鐘は浦上天主堂の鐘でしょうか・・

浜田さん・・それにしても、日本で最初のクリスマス、というのは、なぜですか?ザビエル来日のゆえ?

木蓮さん崖さん・・遠藤周作さんの「キリストの誕生」という本は、小説を書き始めるとき、しっかり読みました。その中でステファノという人物に惹かれました、それで文学界新人賞に「酸き葡萄酒」という短編を応募して、いきなり最終選考に残ってびっくりしました。
芥川賞をもらう4年前だったかな?

聖体をいただく資格は無いけれど、ちょっとはご縁があるのです・・(好奇心ゆえの過ち、お許しを)

サン・ドニの教会を思い出すたび、体がゾクゾクします。
サン・ドニという聖人は、処刑された自分の首を持って、パリ北部のこの村まで、歩いてきたんです。
 
 
 
すこし・・ (のあ いちい)
2009-11-07 21:44:04
rikaさん、事情は分かりませんが、退院できて良かったですね。

書き込み控えようと思っていましたが、少しだけ口を挟みます。私もいくつかのブログの方に、ヨゼフ・ピタウ(カトリック教会大司教・元上智大学学長)のことを書いています。
ザビエルは、スペインのバルク地方出身。イエズス会の創立に携わった後、東洋への宣教を命じられた。ヨゼフ・ピタウ氏も同じイエズス会の方ですね。

九寨溝さんのコリント第一は、英文をご自分で訳されたのでしょうか?

遠藤周作氏の「キリストの誕生」書棚に大分昔から並んでいます。
 
 
 
ザビエルの来日とあれこれ。 ()
2009-11-07 22:50:34
そう云えば再びの投稿てすが、ザビエルは山口でクリスマスを迎える一年半前に、鹿児島に来日して一年以上は島津藩に厚遇されています。
従って神父であるザビエルは鹿児島でクリスマス行事を初めて行っているのは明白ですね。

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rikaさん、無事に退院されおめでとうございます。

僕も外科に長くお世話になったことが有りましたが、病院って場所は退院すると尚更、
ちょっと異世界に入り込んでいたような思い出なのは不思議です。
何となく龍宮城に居たような感じかな。

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九寨溝さんの約された手紙。

一つ一つ自分に問い掛けて読みましたが、好い問い掛けの手紙ですね。
人生を振り返り概ね納得できましたが、こんな手紙があるのも知りませんでした。

成る程、結婚式の言葉に使わているのですか・・・ワイフにもこの手紙を読んで貰いたいな~。



 
 
 
山口のクリスマス (乃阿一葦)
2009-11-07 22:51:07
サビエルの日本での最初の上陸地は鹿児島。その後平戸(長崎県)を経て京の都まで足を運び各地でその土地を納めていた領主に許可をもらってキリスト教の宣教活動を行った。
室町時代、当時周防(すおう、現在の山口県)周辺を治めていた大内義隆はキリスト教に理解を示し山口に来たフランシスコ・ザビエルに対して宣教の許可を与えると共に宣教師を手厚く保護した。このため山口は日本で最初にキリスト教が根付いた地とされている。

日本のクリスマス。その始まりはいつだったか。史料をひもとくとキリスト教の伝来から3年後の1552年12月に周防の国、今の山口市で営まれたミサにたどりつく。

キリスト教を伝えたイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルも大内氏を頼った一人だ。49年鹿児島に上陸後、山口、堺を経て入った都は混乱が続き、朝廷や幕府の布教許可を得られなかった。滞在わずか11日で去り、山口に戻って大内義隆の許可を取り付け、51年夏、本州西端に布教の拠点を築いたのだ。
ザビエルの一団は、与えられた大道寺という荒れ寺を教会として神の教えを説いた。貧者に食事を分け与え、慈愛を注ぐ姿に心を打たれた民衆が一人また一人と入信し、その数は2か月で500人に上ったと伝えられる。
山口で4か月を過ごしたザビエルは仲間の宣教師に後を託し、51年11月に日本を離れた。
 そして、翌年12月24日、この地で催されたミサの報告書簡が残っている。〈降誕祭日……終夜デウスのことを聴きて過ごし、……鶏鳴のミサの時、歌い、福音書を読みたり〉〈キリシタンら熱心にミサに与りて大いに喜びしは我らの主に感謝すべきことなり〉
 この国で初めてのクリスマスの記録。修道士の一人、ペロ・ダルカセバがしたため、ポルトガルの宣教師に送った。

 神をめぐる夜通しの説話がなされた後、ミサは、早朝と翌朝に営まれたらしい。場所は定かでないが、おそらく大道寺ではなかったか。賛美歌が厳かに響き信徒らは初めて知る神聖なる感激に打ち震えたことだろう。

※大道寺(だいどうじ)は、山口県山口市金古曽町に存在した寺である。大内義隆が、廃寺となっていた大道寺をフランシスコ・ザビエルに与えたことによりキリスト教布教の拠点となった。その後、建て直しが行われ、これが日本最初のキリスト教教会となった。 ...
 
 
 
脱力!? (しづ)
2009-11-08 00:16:38
rikaさん お帰りなさい。退院おめでとうございます。またコメント拝見できて嬉しいです。ご無理なさらず、お身体ご自愛ください。

私自身は、高校が仏教系の学校でしたので、キリスト教に関するお話にはちょっと尻込みしてしまいます。

『甘苦上海』の連載が終了し、作者である高樹先生が次の作品への意欲を見せていらっしゃるのに対し、一読者であった私は脱力…。同時に『百年の預言』も、連載終了とほぼ同じタイミングで読み終えてしまい、ダブルで脱力…。
なんとなく静かにしていたいような気持ちです。
 
 
 
rika様 お大事に! (夢の中へ)
2009-11-08 01:52:32
rika様 退院おめでとうございます。

健康について、お考えになる機会となられたことと思います。

人間には、免疫システムという超ハイテクシステムが備わっていますが、病気というように「気」が大きく影響を及ぼしますので、ストレスを溜めないよう、また「患う者」ではなく「闘病者」という前向きな姿勢で、免疫能を高めていってください。

最近は、がん治療においても、「サイコオンコロジー」という観点から、精神医学(サイコロジー)、社会科学(ソシオロジー)、腫瘍学(オンコロジー)、の3つの立場から、患者と家族をサポートし、治療がされています。

そういう意味では、健康を維持していくことも、治療に立ち向かうことも、「心の運動機能」(活性化)といえると思います。

当分は、ご無理なさらないように、くれぐれもご自愛ください。

(WHO definition of Health)
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

(朗報)
11月2日の朝日新聞朝刊に平田オリザ先生の記事掲載があり、内閣官房参与にご就任、文化行政に知識や経験を傾注されるとのこと。
 
 
 
所望 (木蓮)
2009-11-08 04:49:37
不躾お許しください。
「酸き葡萄酒」を拝読したいのですが、どこで求めたらよいのでしょうか。
 
 
 
マンマンチャ・ア (浜田英季)
2009-11-08 06:44:11
私が何気なく残した「情報」が、SIAの趣旨から逸脱していて申し訳ありません。気分を害された方にはお詫びを申し上げます。「日本のクリスマスは山口から始まった」という、一つの「情報」としてお受け取りください。昨夕、KRY山口放送で「マイマイ新子と千年の魔法」のプロモーション番組を放送していました。「マンマンチャ・ア」の意味が分かりました。映画の興行収入は公開される土・日の二日間が全てだと言って過言ではありません。特に地元の反応は気になるところです。ところで、タレントの「はるな愛」がタイでニューハーフの世界一になったことから、昨日、改めて「SIAのタイ編~性を越えて生きる」を見直しまたが、どうも私には「はるな愛」の優勝が「日本人旅行客誘致作戦」の一環だと思われて仕方ありませんます。やはりイベントを大きく仕掛けるには、宣伝力の強化=マスメディアへの露出が一番ですね。忘れていましたが、マイマイ新子の後は天神様の「裸坊祭り」がありました!
 
 
 
ファンタジア (クッカバラ)
2009-11-08 06:45:00
木蓮さ~ん

『ファンタジア』の文庫ですってば。

http://www.amazon.co.jp/fantasia-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E6%A8%B9-%E3%81%AE%E3%81%B6%E5%AD%90/dp/4167373173

アマゾン どっと コム で ご覧になってください。
 
 
 
ありがとう a million (木蓮)
2009-11-08 07:06:42
クッカバラさん、お知らせありがとうございました。
恥じ入るばかり。。。
 
 
 
サンドニ (クッカバラ)
2009-11-08 07:47:47
サンドニの教会に行かれたのですか。
あそこは、ゴシック建築としてシャルトルやパリのカテドラルの原型になった大聖堂で有名ですね。フランス歴代の王家の墓所でもある。ただ一般のフランス人にとっては、むしろ98年のワールドカップの決勝戦が行われた『スタッド ド フランス』としての方がピンと来るかもしれません。そして、高樹先生がおっしゃる様に、そこは所謂パリの郊外、若干、治安も怪しく、移民も多く、パリの観光地では決してありません。

高樹先生が、聖体拝受の際に、神父にバレた、って箇所、大変興味深く拝見しました。何故って、東洋人が洗礼を受けていることって、フランスの神父にとっては、奇異なことではなく、東洋人が聖体拝受の列に並ぶことも、やはり至極普通のことだと思うのです。もしかしたら、あら、新顔と思われたかもしれません。つまり、高樹先生ご自身が、やはりご自分は洗礼を受けていないので、拝受する資格はない、と思っていらっしゃる。だからこそ、神父の表情一つでビクリとしてしまうのですよね。同じレベルの話では決してないのですが、悪いことをすると、やはり自分自身が一番堪えるのですよね。分かっているだけに。。。

バゲットにカフェオレ、、、。ターティーヌにクレームってところでしょうか。カフェインが強くて、時々お腹がしくしく痛むこともあるのですよ。サンドニのうらぶれたカフェで高樹先生が通りの賑わいをぼんやり眺めている場面が見えるようです。

さて、クリスマス。
実は、私にとっては中原中也の世界です。
また来ん春と人は云ふ しかし私は辛いのだ 春が来たつて何になろ あの子が返つて来るぢやない。。。

クリスマスは家族の行事。こんな辛い時期はないのです。『辛い思いをプラスに転化!』ああ、言うは易し、行うは難し!私には子供達から父親の存在を奪う権利はない。父親は子供達と過ごす権利がある。しかし!彼には、母親から母親が子供達と過ごす時間を奪う権利はない、と思うのですが!私はカトリックでもないし、フランス人ほどにクリスマスの重要性は感じないから、と最初の年は子供達はパパと過ごしました。ああ、なんという誤算。フランスでは、いえ、ヨーロッパの諸国では、クリスマスは家族で過ごす時。これまでの楽しかったことを思い出し、愛を確かめ合い、お互いを許し合い、これからの人生を家族として新たに一緒に過ごしていく優しさと思いやりを取り戻す時期。子供達がクリスマスツリーの下でプレゼントに嬉々とする時、自分達の幼少時代の幸せな時期を思い出し、家族皆と楽しい思い出を分かち合う時。

離婚率が非常に高く、ファミーコンポゼ(再婚家族:母親も父親もそれぞれが子供を連れて新たな家族を形成)が多いフランス。ぜんぜん稀なことではないのに、何故、耐えられないのか。と、シリアスに思い悩んでしまう時期なのです。

あ~あ、高尚な皆さんの意見交換・交流への参加とならず、全く卑近な話となってしまいました。申し訳ないです。
 
 
 
ごめんなさい! (クッカバラ)
2009-11-08 07:50:36
木蓮さん!!!

ごめんなさい、早とちり。そうか、サンドニはファンタジアに収録されているけど、酸き葡萄酒は、違いますよね。

ごめんなさい。

早急にチェックしてみます。!!!
申し訳ないです a million!
 
 
 
早々にギブアップ! (クッカバラ)
2009-11-08 08:14:05
大変申し訳ないです。ここは、高樹先生にお教えくださるようお願いするしかなさそうです。

生意気に、間違った情報をお伝えし、木蓮さん、本当にごめんなさい。

高樹先生、ぜひ『酸き葡萄酒』、拝読したく、どちらで求めれば良いのか宜しくご指導くさいませ。

大いに恐縮するクッカバラより
 
 
 
感謝 (rika)
2009-11-08 09:37:59
みなさまからの温かいお言葉に感謝しております。
通りすがりのような出会いの場で、日々のことや感情をここに綴ったり、みなさまのコメントを拝読するのは、ささやかな楽しみになっています。

脱力!?しづさん、余韻を味わっていらっしゃるんですね。ステキなことですね。
昨年のクリスマス時期は、ハリーポッターを図書館で借りてきて、スネイプ先生の想いがあまりにも切なくて、ボロボロ泣いていました(笑)

平田オリザさんの内閣官房参与ご就任、新聞で拝見しておりました。なんだかタイムリーで小躍りしたくなる気分でした(笑)

前の話題ですが、夢の中へさんは私も男性と思っていたので、逆にビックリ。でも人それぞれの感じ方があり、おもしろいなぁと。

WHOの健康の定義は、簡潔ですがわかりやすいものですね。WHOを身近な存在と感じることはなかったですが、夢の中へさんの手にかかると、あら不思議!身近になっちゃいますね(笑)

自宅療養という時間を与えられたので、ゆっくり過ごします。本をたくさん読めるなぁと思いつつ、頂いた本がたくさんたまっていて、不義理状態(苦笑)

 
 
 
是非に (satoko)
2009-11-08 09:52:56
酸き葡萄酒、私も興味をもちました。

タイトルも良いですね。読んでみたいと思わされます。

クッカバラさんの、日本ではそれは、お正月の一連の行事のようです。どれだけ毎年うんざりするか。

自分たちの代には、それぞれ子供たちが独立したら、絶対にお正月は家にいないでどこか旅行でもするか、山にでもこもるかしたいと考えています。長生き出来れば。

でも子供たちにとっては嬉しい時なんですね。
それを奪う権利も無いし。

そういえば、クリスマス習慣の間には自殺する若者が増えるという意味も分かります。誰にとっても楽しいことばかりの行事でも無いのでしょう。

何事も裏と表があるんですね。。


クリスマスはオモチャ箱をひっくり返したように何でもが
楽しいことばかり、でもそれは所詮クリスマスだった・・

というようなフレーズの小説を読んだことがあります。
またしてもよく憶えていないのですが。

たった一つでもいいから、すてきなことに出会いますように・・と私は願っています。それはクリスマスの時だけでもないんですけれど・・欲張りですね。

 
 
 
エデンの東 (夾竹桃)
2009-11-08 13:28:04
rikaさん
退院おめでとうございます。
まだまだご静養なされなければならないとのこと。
どうぞお大事に。

高校生の頃に
外国文学に親しんでいたわたしは
その底辺に必ずと言っていいほどに
流れているキリスト教への信仰が
文学を理解する上で欠かせないと感じて
教会に通ったり聖書を読んだりして
理解しようとしたことがあります。
当時のわたしには真剣でしたが
宗教とは理解するものでは
そもそもないのだと分かっておらず
結局わたしの中に根ざすことも
理解することもできませんでした。

子供のころに知った
カインとアベルの聖書の中のお話も
わたしには神様がカインの供えた農作物を
受け取らなかったことが解せずにいました。
そんなわたしの疑問に対して
スタインベックの「エデンの東」は
とても明快にそのわけを教えてくれたし
聖書の中の言葉「ティムシェル」の
解釈をめぐる議論が物語の中で展開しますが
この言葉の解釈が物語の登場人物も
わたしも救ってくれました。
今読んだらまた違った感慨を抱くのでしょうか。。。
その頃友人に勧めて貸したまま帰って来なかった本(泣)
最近は新訳が出ているみたいで
今度買って読みなおしてみようかな。

高樹さんの「酸き葡萄酒」を
どこかで読んだ気がして
持っている作品を調べてみたのですが
持っている作品の中にはなかったです。
ただ「寒雷のように」という作品の中に
収められている「残光」という作品は
キリスト教者が出てくる物語で
ひょっとしてこの作品が
「酸き葡萄酒」を元に書かれたものか
改題されたものなのかもしれません。
ここはやっぱり
高樹さんにお答えいただかないと。。。(笑)
 
 
 
触発されて、今宵は葡萄酒。 (木蓮)
2009-11-08 13:42:02
Dear Kookaburra,
I know there is no way I can ease your pain.
"Blessed are they mourn: for they shall be comforted."
With best wishes,Magnolia

satokoさんにお声掛けいただくと、嬉しくなります。山上の垂訓、「驕りのない人」・・同じ思いです。英文でも"poor"ですが、原典にあたったといういう友人によれば「欲している」の意だとか。霊的に満たされていると誇る聖職者ではなく、乏しいと自覚して欲している人に祝福がある、という解説でした。

私の実家は熱心な仏教徒。子ども向け仏教書をよく読みました。盆には先祖を迎え、剣道に精進し、はい、今はヨガ。土地柄、プロテスタント、ユダヤ教、カトリック、イスラム教と友人は色々。知識は情けないほどに乏しいけれど、「知識は愛に及ばず」を心に唱え、赦しを乞うての毎日です。

昨日、台湾・上海・北京出身の三人を夕食に招きました。「甘苦上海」の情景をを思い描き、拙い米語ながら、会話が弾みました。深く、深く、感謝です。
 
 
 
キリスト教、クリスマス… (しづ)
2009-11-08 14:48:26
浜田さんの『マイマイ新子』関連の山口県の話題はいつも楽しく拝見しています。
山口県には友人がおりますが、残念ながら未だ一度も訪れたことがありません。

キリスト教に関する話題に花が咲いていますね。アジアの国々の中にはキリスト教徒が多数占める国もあり、宗教について知ることはその国や民族の特性を知る上で大切かと思います。


私自身はキリスト教に関する知識はほとんどなく、仏教系の高校に通っていて般若心経など唱えていたので、隅の方からそっと拝見していたい感じです。

かつてイタリア旅行に出掛けた際も、ダヴィンチやミケランジェロを見に行った教会では、どことなく私なんかが教会の中に入って大丈夫かしら?ミサの帰りの方と入れ違いに入っていく時など、物見遊山気分いっぱいで申し訳ない。
般若心経なんか唱えてて、キリスト教徒じゃないですけど、ちょっとお邪魔させて頂きます。
なんて、イエス・キリストに!?聖人に!?誰に向かってかはわからないですが、そういう気分を心の内に思いながら教会内を見学させて頂きました。

今、ちょうどそういう気分でしょうか。
皆さんのコメント興味深く拝見しています。
 
 
 
酸き葡萄酒→残光 (高樹のぶ子)
2009-11-08 14:50:34
みなさま、混乱させて「葡萄酒さがし」をさせてしまいましたね・・
「酸き葡萄酒」は、文学界新人賞に、最初に応募した短編タイトルです。最終候補に残ったものの受賞はならず、「麦さんざめく」を応募し、これも最終候補に残るも受賞ならず、「その細き道」を送ったところそのまま文学界に掲載されて芥川賞候補になりました。
のちに、芥川賞受賞第一作「寒雷のように」を発表し、それを本にするとき、「酸き葡萄酒」に手をいれて「残光」のタイトルに変えてて、収録しました。
ですから、「寒雷のように」の中に「残光」として入っていますが、なにぶん、作品としては未熟の極み・・
あのときは、離婚の直後(すべて私が悪い)で、「他者を傷つけた痛み」にあえいでいた時期です。
 
 
 
人を傷つけた痛み (いとこ)
2009-11-08 17:20:48
がある人が書く小説は読む者の胸を打つかもしれませんが、それをなくした人の書くものは・・・。

努力もなさったのでしょうけれど、運のいい人生ですね。神に感謝しなくてはー。
 
 
 
副.いとこさん? ()
2009-11-08 19:25:39
どうもこの手のコメントには堪えられない。

成る程、傷つけた痛みを、作品に大きく期待している人だったのか?
そのスタンスだけではこれからの他の作家でも、貴方の傷は大きくなると思いますね。

貴方の身元もバレているのに、こちらの皆さんも呆れるだけだ。
きっと繰り返していると屈辱感だけが重く、貴方の心を押し潰していくだろう。
これは科学的判断だよ?




 
 
 
Unknown (九寨溝)
2009-11-08 19:47:48
のあ いちいさん

そうなんです。でも見る人が見たらけしからんと言われてしまう行為かもしれません。
ごめんなさい。

崖さん

読んで下さりありがとうございます!

スタインベックの「エデンの東」も読みたくなってきました。
 
 
 
そうではなく (のあ いちい)
2009-11-08 20:30:40
九寨溝さん。

そうではなく、私はあなたのカキコをみて、日本語の聖書2冊と英文の聖書2冊を手元にもって来ました。
日本語は2冊とも日本聖書協会発行のものですが、1965と1987です。
英語は1冊は、日本聖書協会(1964)と、
THE BIBLE SOCIETIES(1984)なのですが、あなたの訳ということではなく、英文そのものが違っているに違いないと思ったのです。それでの質問でした。私が持っている英文の二つでも違いますから。
日本語の新共同訳は、カソリックとプロテスタントの専門家が協議して決めた経緯があったと。
遠藤周作氏も加わったと思います。
BibleGatewayのThe MessageというBookの英文はどう書かれているのかな、と思ったのです。ですからここではここで止めておきます。
 
 
 
Unknown (体調)
2009-11-08 21:23:01
最近けっこう寒くなってきましたね♪
お互い体調くずさないように
がんばりましょう(^-^)
 
 
 
煩悶の季節 (高樹のぶ子)
2009-11-08 22:36:15
クッカバラさん・・

「クリスマスは家族の行事。こんな辛い時期はないのです。『辛い思いをプラスに転化!』ああ、言うは易し、行うは難し!」

その通りですね・・ううううん・・そうですね・・
とてもスマートで、海外で自立して生きておられる貴方が目に浮かぶのですが、それでも、煩悶の中に置かれる季節・・

でも、子供を持たなければ、その煩悶も無かったわけで、子供がいればこその、複雑な思いですよね。
幸せだけってわけにも行かないですものね。光があれば影も出来る。

rikaさん
良かったですね。焦らず、ゆっくりと・・

クリスマスシーズン前に、キリスト教関連の話題は、勉強になって良かったです。
山口の話から発展して、このブログらしい成り行きで、おかげで大昔の私の作品まで思い出すことが出来ました・・

夾竹桃さん
「テイムシェル」について、教えてください。「エデンの東」は何度も見たし、「マイマイ新子」で新子がこっそり映画館に潜り込んで見る映画が「エデンの東」でしたが、その中に出て来たのかしら??確かキャベツかレタスが、貨物列車の遅れで全部腐ってしまうんですよね。

このブログを、便利に使って申し訳ないけど、ありがたいことに勘違いの情報であっても、誰かがチェックしてくれるし。それで良いと思っています。怠惰でごめんなさい。

今日は妙に生暖かい夜です。



 
 
 
支え (エイミヒロ)
2009-11-08 22:53:18
高樹 のぶ子先生のコメントを読めるのは素敵な世界です。

satokoさんへ

コメントの中にエイミヒロのことを取り上げてくれて、うれしく思います。

高樹 先生の記事です。読んでみてください。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/proron/0905/proron_0905.html

何度も読んでいます。

家族より恋を優先した生き方を選んだ私は葛藤があります。

高樹先生の生き方、存在が私を肯定してくれて、勇気を与えてくれます。

私も高樹先生のコメントに「光があれば影も出来る」
そういうものの見方はいいですね。

落ち込んでいたのですが、ここのブログで元気をもらっています。
 
 
 
timshel(ティムシェル) (夾竹桃)
2009-11-08 23:22:11
高樹先生

手元に原作がないので
わたしのうろ覚えな記憶を元に
お話しさせていただきます。
わたしの間違いをこちらをご覧になっている方が
正しくしてくれることを願って。。。(笑)

「マイマイ新子」で「エデンの東」が出てきたとき
その偶然をとても嬉しく思いました。
映画「エデンの東」は父と
双子の息子の話を中心に描かれていますが
原作はキャルにとってはおじいさんに当たる
父親とその父親の確執から始まる
親子三代にわたる長い物語です。
「ティムシェル」という言葉は
小説の中でその解釈をめぐって
中国人料理人のリーが父親と
いろいろ意見を交わします。
その詳しいことは下に Wikipedia の解説を
貼り付けておきますから読んでみてください。

映画の中で自分の兄を
死に追いやってしまったことに
恐れ慄くキャルに対して
最後に父がキャルに残す言葉こそが
「ティムシェル」という言葉だったと思います。
そしてこの「ティムシェル」の解釈は
「道は選択できる」という言葉だったと記憶しています。
罪を犯してしまった者にも
正しい道を歩む選択ができるのだという意味です。

わたしももう何年も前に数回見た映画でしたが
いつもこのシーンになると涙腺が緩んでしまいます。
ジェームズ・ディーンが残した三本の作品の中で
わたしはこの作品が一番好きです。


Wikipedhia「エデンの東」より

timshel
本作は聖書創世記4章のカインとアベルの物語をモチーフとしているが、中でもプロット上、重要な役割を果たすのが英語訳聖書の翻訳間の異同である。本作は欽定訳聖書(King James Version / KJV bible)とアメリカ標準訳聖書(American Standard Version / ASV bible)が創世記4章7節の最後の部分で異なった訳であることを利用し、登場人物にこの部分についての新しい解釈を語らせ、大団円に向けた伏線としている。

欽定訳
If thou doest well, shalt thou not be accepted? and if thou doest not well, sin lieth at the door. And unto thee shall be his desire, and thou shalt rule over him.
アメリカ標準訳
If thou doest well, shall it not be lifted up? and if thou doest not well, sin coucheth at the door: and unto thee shall be its desire, but do thou rule over it
太字の部分がこれらの訳では明らかに異なった意味となっている(KJVでは「あなたは罪を治めるだろう」、ASVでは「あなたは罪を治めなければならない」)。リーはヘブライ語の聖書の文言を研究した結果、"thou shalt" や "do thou" と訳されている元のヘブライ語単語(読みをラテン文字に写すと "timshel")の本来の意味は別にあると指摘した。
 
 
 
こちらのティムシェルは・・・ (九寨溝)
2009-11-08 23:45:45
のあ いちいさん

あ、質問を取り違えてしまいましたね。すみません。

のあさんもたくさんの聖書をお持ちなのですね。
お持ちの聖書の文とは随分違っていて驚かれたかもしれませんね。

あの文のもとになっているのは The Message というバージョンの聖書でして、インターネットの本屋さんでも購入することが出来ます。

とても読みやすい英語で書かれています。
しっかりと研究して作られた本物の聖書です。

もしよろしければお手にとってみてください。
また新しい発見があるかもしれません。

ちなみに夾竹桃さんが書かれている部分は

You’ve got to master it.

とThe Message バージョンでも書かれているので、罪をおさめよ、っていう感じですねぇ。

今日は夜空がきれいです。

半分の月がどこまでも追いかけて来ましたよ。

 
 
 
宗教心 (夢の中へ)
2009-11-09 00:46:40
聖書の解釈も難しいですね。

科挙が、論語難しくしたように、神学や宗教による統治が解釈を難しくしたのでしょうか。
ボイスレコーダーもありませんから、本来古代ヘブライ語でイエスが話した記憶を記したものを、翻訳して伝えていくといろいろ解釈が分かれるのでしょうね。
そういえば、少し前の日経の記事にありましたが、歴史の研究は、現在を起点(視点)にすれば、未知(現実にないもの)なるものを対象とするので、未来学と同じであると言われていました。
そういう意味では、誰もイエスの言葉を直接聞いた者はいませんから、イエスならどのように考えるか、現実の状況に即していろいろ解釈を展開していけばいいのではと思えます。(宗教関係の方にとって、失礼な表現があればお許しを。)

私は、反社会的・政治的・営業的等純然たる宗教を除くと、ほとんどの宗教を容認し、その信者と同じような心情で祈ることがあまり抵抗感なく出来ます。
理由の説明をすると、反発を受けそうなので省略します。決して、無神論者ではありません。(私はカメレオン?)
過去の多くの大学者が、「神の存在の証明」を行ってきました。難解で完全な理解は出来ませんが、私としても、神(仏等も)の存在は認めているところです。

ところで、サンドニでの腹痛は、冷えか硬水が身体に合わなかったのではないでしょうか。
決して丸いウエハースのせいではないと思います。
イエスが、布教活動の対象としたのは、ほとんど異教徒ですから、むしろ食べていただいたことに、喜びを感じておられるのではないでしょうか。
私も今度パリに行ったら、サンドニのその教会で是非いただき、イエスの喜びと祝福を感じたいと思います。

 
 
 
訂正 (夢の中へ)
2009-11-09 00:49:42
(訂正)
私は、反社会的・政治的・営業的等の宗教を除くと、ほとんどの宗教を容認し、その信者と同じような心情で祈ることがあまり抵抗感なく出来ます。
 
 
 
感謝 (satoko)
2009-11-09 08:05:34
人に勇気を与える言葉、ってほんとあるんですね。
エイミヒロさん、ご紹介をありがとうございます。

この混沌とした社会のメディアの中で、活躍されている方のことばには、重みがありますね。勇気をもらいました。

こんなことを言うと、叱られるかもしれませんが、
聖書の解釈って、私も人それぞれで良いような気がします。

宗教を押し付けられるほど厭なことはない、ですもの。
ここの方は、誰一人としてそういう方がいらっしゃらない。
すごいと思います。


夢の中さん、知っていると案外しりごみをするかも、知れませんよ(笑)どこかの教会では、チェックする人がいるとかいないとか・・・すみません。せっかくすてきな気持ちになっていらっしゃるのに。

パックの旅行者だったのでミサに与る時間も無く、
旅行者にまぎれこんで、見物するのがやっとでした。まったく他所事です。


良い1週間でありますように。
 
 
 
3つの「エデンの東」 (夾竹桃)
2009-11-22 19:31:09
ジェームス・ディーン主演の「エデンの東」を見ました。
わたしが記憶していたラストとは違って
「ティムシェル」という言葉は出てきませんでした。
でも映画のラストは確かにこんなふうだったと
見終わった後に懐かしい気持ちで思い出していたのでした。
わたしが原作を読んだとき
ちょうどテレビで「エデンの東」の海外ドラマを
四話連続で放映することが話題になったころで
原作を読み始めたのもそんなことが
きっかけだったような気がします。
わたしが持っていた早川文庫のカバーは
そのテレビドラマのシーンが映っていた記憶がありますから。ドラマの方の「エデンの東」は
もっと原作に忠実な造りでした。
わたしが記憶違いしていた
ラストもドラマの方と混同していたのかもしれません。
映画では中国人のリーは出てきませんし
最後の父と子の和解も少し原作とは違っていますが
これはこれでいい終わり方をしているなと
初めて映画を見たときに思った感想を
今日見終わった後も持ちました。
ジェームス・ディーンが当時よりも
とても魅力的に感じられたのは
わたしが失ってしまって
彼が永遠に持ち続けている
青春の輝きのようなものを感じられたからでしょうか(笑)
原作も改めて読んでみたいと思いました。
 
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