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高樹のぶ子のSIAブログ

2009年11月13日 / 最近の出来事

マイマイ立てて、あれから半世紀

「マイマイ新子と千年の魔法」の、東京試写会が、11日に開かれました。

http://www.cinematopics.com/cinema/c_report/index3.php?number=4679

首相夫人も見えてくださったようで、感謝いたします。
鳩山幸 首相夫人の舞台挨拶が届きました。


「この映画を2回も観ました。
私も小さいころは新子ちゃんのように想像力豊かで、生傷の絶えないおてんば
だったので、とても懐かしい気持ちになりました。
子供たちはいつでも大人の世界、背中を見ながら、一生懸命生きています。
どんなことがあっても強い力で乗り越えて行ける。
映画の舞台となった防府市の皆さんも、7月に豪雨で大きな被害を受けたと思いま
すが、ぜひ強い力で乗り越えてほしい。」


今週末は山口県内の先行試写会と、トークショーで、ふるさとに出かけて参ります。
それぞれの予定は、以下のホームページから入って御確認をよろしく。
ただし、下のサイトをクリックすると、いきなり音楽が流れるようになって
いますので、ご注意を。

http://www.mai-mai.jp/index.html


あの頃から半世紀以上の時間が経ってしまいました。


私が新子であったころは、夏休みには顔の皮が3回は剥げるほどの日焼けをしていました。
おかげで皮膚の新陳代謝力がついたのか、この年齢になっても、結構再生は速いです。


もちろん、年齢相応に、手間ヒマかかりますけどね。


美容の専門家は、子供のころであっても紫外線は浴びない方が良い、と言います。
本当かなあ・・
新陳代謝の力は、やはり子供の時代に鍛えられるのでは無いかしら・・


いま私が時々行く美容専門クリニックでは(メスを使わないので、外科とは言えな
いけれど)光レーザー機械でミクロのアナを皮膚に開けて、再生力で肌を蘇らせる
処方があります。
ミクロですから、もちろん、穴なんて見えません。

上から塗るだけではなかなか浸透しないけれど、内側からの自力再生を促すそうです。


新子の時代には、夢中になって遊びながらそれをやっていた、というわけですね。
帽子も嫌いだったし・・今も苦手なんです・・


子供が「子供時代を十分に生き」なくては、本物の大人になれない。
子供を十分に生きれば、思い残すことなく脱皮して、大人になれる・・


半世紀経って、確かにそう思います。
あのころは日本中が貧しかったけれど、子供が子供時代を十分に生きるために
必要なものは、すべて在ったような気がします。


写真は、木瓜の狂い咲き一輪。勇気ある一輪に拍手を。


高樹のぶ子

コメント ( 30 ) | Trackback ( 0 )

« 舞台 SIA Short Sto... »

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コメント
 
 
 
Unknown (応援)
2009-11-13 10:14:28
お元気でしょうか♪
よく拝見しています(^-^)
応援してますので頑張ってください
 
 
 
新子ちゃ~ん♪ (さくら)
2009-11-13 12:07:08
マイマイ新子の映画楽しみです!ぜひ見に行きたいと思っています(^O^)
昔の良き時代を懐かしみながら、新子ちゃんに会いたいと思います!
 
 
 
こちらの部屋でどうぞ (高樹のぶ子)
2009-11-13 16:59:31
JOYさんやrikaさん

遠慮無く、こちらの部屋でお喋りしてくださいな(笑)
沢山のコメントをたぐり寄せるのが大変なので・・

話題の続きは、世代による女性の意識変化ですが・・

私は団塊世代で、全共闘世代でもあります。

いつも他の世代の人に、面と向かって質問しても、なかなか本当の答えが出てこない質問なのですが、私たちより若い世代に「団塊の世代って、どんな印象を持つの?」と訪ねてみたくなります。

一度A新聞社の女性バリバリ記者に聞いてみたとき、正直な彼女の答えはこうでした。
「ともかく、暑くるしく、押しつけがましい」
だそうです(笑)

何だか、妙に納得しました。確かに!私も暑苦しい!

それでいて「うらやましい」とも言ってましたが・・

匿名の方々、周りを見回して、是非正直な答えを(笑)

団塊の世代が現役から退くと、気分的にラクになるのでしょうか?
 
 
 
還暦アンノン族 (浜田英季)
2009-11-13 18:39:22
現在「マイマイ新子」のふるさとは、昭和30年にタイムトリップしています。片渕監督はKRYの夕方の生番組に出演されて映画のPRをされていました。ところで、私が知る限り、全共闘世代~団歌の世代の女性は、「還暦ギャル」「還暦アンノン続」と呼ばれるほど心も容姿も若くてお洒落です。それに加えて生命力が強い。高樹先生だって、とてもじゃないけれど60を過ぎた女性には見えません。充分に40代で通せます。それに最近では「還暦」という言葉は禁句で、「ハイミドル」と呼ぶそうです。
 
 
 
お引っ越し (rika)
2009-11-13 19:14:56
 前のお部屋で勝手に終わっていて、こちらを覗くと、続いていたんですね。
 興味津々な話題なのですが、なにせ言いづらいことかも(笑)

 高樹先生のコメントの中で、A新聞社の女性バリバリ記者の団塊世代の印象、「ともかく、暑くるしく、押しつけがましい」と「うらやましい」は、どんなことを指しているのでしょう?
 「団塊の世代が現役から退くと、気分的にラクになるのでしょうか?」は周りがですか?仕事or恋愛?
 あ~ん、詳しく知りたーい!と思いました(笑)

 人口的にも多い団塊世代。それだけに影響力も大きいのかもしれませんね。

 私の母が団塊世代。その印象は、家庭(家)を守ってきた人という印象。良き嫁・妻・母、と私にはできないと思います。受容・寛容という言葉が浮かんできます。
 
 
 
 
全共闘世代の先輩 (JOY)
2009-11-13 19:35:04
高樹先生、こちらの部屋に案内して頂き恐縮です。

学生時代、講師の先生(女性の方です)が、授業中にふっと思い出したように、「学生時代はよくデモに出かけたわ、授業もなくなったりしたし、今はもうそんなこともないわよねえ。」とおっしゃいました。とても静かな先生でしたので、「ヘルメット」をかぶって、「デモ隊行進」をして「安保反対!」など想像もできなかったです。学生は皆、「えええ?、信じられない?」と。

学生時代に一致団結して「情熱」を注ぐことができる世代というのはうらやましいと思いました。






 
 
 
全共闘世代の先輩 (JOY)
2009-11-13 19:35:29
高樹先生、こちらの部屋に案内して頂き恐縮です。

学生時代、講師の先生(女性の方です)が、授業中にふっと思い出したように、「学生時代はよくデモに出かけたわ、授業もなくなったりしたし、今はもうそんなこともないわよねえ。」とおっしゃいました。とても静かな先生でしたので、「ヘルメット」をかぶって、「デモ隊行進」をして「安保反対!」など想像もできなかったです。学生は皆、「えええ?、信じられない?」と。

学生時代に一致団結して「情熱」を注ぐことができる世代というのはうらやましいと思いました。






 
 
 
申し訳ありません。 (JOY)
2009-11-13 19:38:29
ダブルで投稿してしまったようです。お手数ですが削除お願い致します。
 
 
 
団塊女性のその後? ()
2009-11-13 21:35:16
鳩山・オバマの共同記者会見中ですが・・・
高樹さんの美容に対する執念は凄いですね。
成る程、月に七万の成果でしたか。
先日お会いした時にもう少しじっくり観賞すべきでした。
僕の印象では何となく、お疲れのご様子でしたのでご遠慮致しました。
第一印象は作り手のご人相でした。

団塊の世代の女性達の現状と将来についての認識。

数年前でしたか、団塊の世代は親の介護をして、自分が老いた時は子供達には介護して貰えない最後の世代と、
ラジオのコメンテーターが語っていましたね。

成る程、現在、平均寿命から云えば団塊の世代の方々は、親の介護の真っ只中ですね。
周りを見渡してもそのようです。

昨日でしたか或コメンテーターは介護の免許を取り、
親の介護で多少収入を得ることも薦めていましたね。
これは成る程!介護保険を収入源にする案で、
子供達には得策と思った提案でした。

これが普及すれば団塊の世代も、将来子供達に介護をして貰えますよ!笑

高樹さんはこんな期待はできない身の上のようですが、
概ねの団塊の世代の女性達は、自分の将来の始末が不透明で解決する必要が有ります。

JOYさんの団塊の世代の講師のお話しや、rikaさんのお母様の「受容・寛容」のお話しで、団塊の世代の女性達の現在を想像しました。

団塊の世代が「暑苦しくて、押し付けがましい。」との反応とそして「うらやましい」との反応を、どう捉えるかは個人の生き方によってかなり違いが有りますね。

尚、
団塊の世代が現役から退くと、気分的にラクになるのでしょうか?

の高樹さんの問い掛けは意味合いが今一つなのですが、
団塊の世代は余り手の懸からない老後を過ごす予感はしています。

日本の政治家に対しての日本の財界は、団塊の世代の理想論は利益を上げるのに、コストが懸かるのでパスしたいのでしょうが、
やっとそれがビジネスに繋がるのを理解しかけている段階のようです。


オバマは明日、宮中の音楽会に招待されているとか、好いですね!




 
 
 
団塊世代と団塊ジュニア (しづ)
2009-11-13 22:19:16
おそらく私の両親、私は団塊世代と団塊ジュニアにあたると思います。そういう意味では押し付けがましいという女性記者の意見もわからなくはないですね。
私は両親の世代は幸せな時代だと思っています。豊かではなかったかもしれないけれど、高度経済成長を経て国全体が豊かになっていこうとする活気に溢れていた時代。一生懸命働けば、必ず成果が見えた時代。そういう時代を体験している両親はいかにも前向きな気がします。

一方、私は団塊ジュニアの世代。18歳人口が最も増えた頃に大学受験を経験し、高い倍率をくぐり抜けて入った大学にはすごい数の学生…大学在学中にバブル崩壊、就職時は氷河期、超氷河期です。
何だか理不尽!頑張っても報われないこともある…そういうさめた考えを持つようになったかもしれない。でもそういうさめた考えのせいにして、何かに一生懸命になることを諦めてはいないだろうか?
前向きに取り組めばできるかもしれないことを、できないと言う言い訳でごまかしていないだろうか…。

何もしないで後悔するより、何かやってから後悔したいです。
 
 
 
団塊の世代? (九寨溝)
2009-11-13 22:35:52
団塊の世代ですか。

そうですね、あくまで印象ですが、皆が一様の価値観の中に生きていて、熱くて、人情があって、一生懸命な人達って感じがしますね。

ぱっと思い浮かぶイメージは、新宿で仕事帰り飲んでお店を出てきたサラリーマンです。部下と一緒にいて、酔っぱらって、

「俺達の頃はさ~。~~~。今の子達ってさ~。~~~。」

って話しながらすごく共感して欲しいし、尊敬されたい。

でも、今の子達はもっと覚めいて、個人主義で、早く家に帰りたい。

団塊の世代の方々は、めんどうみが良い方々だと思います。ただ、仲間意識が強い方々な気がして、人間関係の意識に圧倒的に違いがある気がします。

楽になるかはどうでしょう。そういう仲間意識とは別の、どんな人間関係をその後の世代は築いていくのでしょうか。

基準がなくて生産性が落ちるのか、もしくはアメリカ式個人主義の中の人間関係の築き方とか、人の育て方なんてセミナーや本や講師が流行るかもしれないですね。

あー、勝手な予測って楽しい。
 
 
 
秋雨 (高樹のぶ子)
2009-11-13 22:57:58
福岡は朝からずっと雨です。
写真の木瓜一輪も、散ってしまいました。

そんな中、ふるさと山口では、今日からアニメのパブリシテイが始まっています。私は明日から参加します。雨がやんでくれるといいのだけれど・・
関係者が映画館から映画館を移動する途中で、バスの中で食べるお弁当が楽しみです。「マイマイ新香弁当」ですって!
写真に撮っておこう。

「暑苦しくて、押しつけがましい」団塊の世代は、私流の造語で言うと「ハンドマイク世代」なんですね。
デモの時などで、おなじみのグッズ。
自分の主張を、でっかい声で、言いつのるところがある。
私など、しゃべりつつ考えている。自分の中からどんどん言葉を繰り出しているうちに、考えがまとまってきたりします。
「巧言令色少なし仁」ならば、仁など皆無。

それというのも、考えをはっきりと持たないと、馬鹿にされた青春時代を過ごしたせいです。
何にも言わない、判らない、というのは、恥ずかしいことでした。
サルトルとボーボワール、資本論、我が闘争、なんて本が、読まなくても学生の部屋にはありました。(これは私のことです)
理論武装という言葉も、この世代の議論好きを良く表しています。

こうしたハンドマイク体質が、後の世代からすると、煩くて暑苦しくて、若い人の話に割り込んできて、それでも本人は、世のため人のためになっていると、満足している。

もしかしたら、このブログもそんなハンドマイク体質の結果なのかも(笑)

この世代が抜けたら(退職)組織的には、さぞラクになるのでは?と想像した次第です。

A新聞の記者が言った「うらやましい」というのは、この世代の「熱」に対する憧れなのかしら・・??

我田引水かも知れないけれど「マイマイ新子」の義侠心というか正義感は、9歳にしてすでに全共闘世代なんですね(笑)

え?違う?単なる個人的な性格?
 
 
 
団塊の世代、高齢者文化など (夢の中へ)
2009-11-14 01:27:56
鳩山夫人も参加され、東京試写会の華やかな盛り上がりが伝わってきます。
映画のご成功と防府市の復興を象徴されているようですね。
ところで、新子ちゃんは、左利きですか?
右利きだったら、刀が抜けないのが気になって・・・

子供が「子供時代を十分に生き」なくては、本物の大人になれない。
子供を十分に生きれば、思い残すことなく脱皮して、大人になれる・・

このお言葉、ちょっと自分には応えますね。
未だに子供っぽいところがあるのは、幼児期の過ごし方にあったような気がします。
テレビも幼児番組より普通の番組の方が面白かったし、皆が好きなお遊戯もいやで仕方がなかった。
(立派な大人になりたいって、ずっと思い続けていますが、これが原因かな。)

成長過程に応じた楽しみ方や生き方を十分にするべきなんでしょうね。
これは、幼少期のみならず、それぞれの年代に応じて、仕事も、生活も、趣味も、恋にも、対応していくことにより、人間的な成長が得られ、人格と人生の味がにじみ出てくるように思えます。
恋も、趣味も、もっとやっておけばよかったような気がして・・・まあ、これから頑張ればいいかなぁ。

「団塊の世代」=「ハンドマイク世代(造語)」:組織の中では常に大多数で主流、主張が通りやすい。
遊びでも宴会でも何でもこの人たちの好みに合わせさせられてしまう。
上(上司)を見ても、横を見ても、下を見ても、どこにでもこの人たちがいる。
自分たちは熱かったのに、今の若いやつら(昭和30年代以降の)は、冒険もなく無難にまとまっている・・・が口癖。:「暑苦しくて、押しつけがましい」団塊の世代(紅子さんもこの世代に属するような意識・発想・思考のスタイルが感じられます。)
でも、この人たちが文化を創ってきたように思えます。
日本の歴史を、過去から未来に向けて伝わっていく「人間と文化の津波」の感があります。
この人たちに、「新たな高齢者文化」(New Sixties)の創造を期待しているところです。

アンチ・エイジング
高樹先生がたばこを吸われないとのことで安心しました。
やはりそうでしたね。肌や細胞の若さが違いますね。
若さと健康の保持に努力されているようですね。
でも、極端なアンチ・エイジングは、かえって心身のバランスを崩すもとになるように思います。
気持ちを若く持つことは重要だと思いますが、肉体的には、年齢に応じたバランスのとれた老化(衰え)になじんでいくべきかと思います。
“Wholeness”に「健康」という意味があるように、心身の全体的なバランスをとり最適化を図ることが肝要と思います。

「造語」がすぐに浮かんでこられるようですが、若さの証明でしょうか。
ルイス・キャロルも作品の中で「造語」を使っているようですね。(1つの単語に2つ以上の意味を詰め込んで「かばん語」と名づけていたそうです。)
彼は、数学者で、パズル好き、言葉遊びの達人だったそうです。
高樹先生と共通点が多いですね。
次は、新子ちゃんに読み聞かせる「メルヘン」をお書きになられるのかなと期待しております。
 
 
 
憧れの団塊の世代 (木蓮)
2009-11-14 02:09:36
明治大正の祖父母、戦中派の両親、私達の三世代家庭に、14歳年長の、即ち団塊世代の叔母がいました。年の離れた姉は美しく、憧れでもありました。結婚前の両親のデートにいつもくっついていたというその叔母のデートに、今度は小学生の私がついて行くこともありました。
夜昼なく家庭に奉仕する母が、自動車学校に通う叔母のことを、「青春貴族やなあ」とこっそりつぶやいていました。
次世代の養育に精一杯だった両親世代とは違い、ギターと”Gパン”で「戦争を知らない子どもたち」、幸福な黄色い笑い声、、、団塊の世代は、幼い私にとって憧憬でした。
現在、揃って定年退職した叔母夫婦は、次々に誕生する孫の成長を喜びながら、しょっちゅう国内外の旅行を満喫しています。
個人的には、叔母夫婦世代に抱く敬意が功を奏してか、団塊世代の方々には大変可愛がってもらい、いい思いばかりさせてもらいました。大好きです、団塊の先輩方。

ただ全体的に見ると、成長期にのった成功体験に固執し、既得権をにぎったまま、責任だけを下の世代に負わせている感じがします。責任と一緒に権限も移譲してくれなくちゃ、活性化しようがないのにな。。。不惑を過ぎた私達世代を「若い」と表現するのも、分かるんだけど、ありがたくない。。。
それから、戦後の歩みにおいて、日本が戦争体験を思想にさせられなかった責任を、もっと感じてほしいです。
奉職した祖父、呉の坂道でキノコ雲を眺めた祖母と母の話が、今の私の原点でもあります。
昭和世代と一括りにすれば同志として、単細胞で「平和」を歌い、情緒的にふり返るのではなく、冷静に、地に足を付け、鷹の目をもって、戦後処理上あいまいにした事象にも刮目し、思考して次代に引き継ぎたい。
一昨日の「退役軍人の日」に静かに流れる非日常の中で物思い、即位20年に考え、新子ちゃんの30年に心を寄せました。アジアの未来に思いを馳せながら。。。
 
 
 
↑二行目 (木蓮)
2009-11-14 02:43:49
「年の離れた姉は美しく」の部分、姉に「」が必要です。姉のような叔母、という意味です。投稿後に気づくから、恥じ入るばかり。。。

SIAブログに魅入られている友人が、メールで記事やコメントの感想を寄せてくれます。先生にもご覧いただきたい感性豊かな内容なのですが、投稿には躊躇があるようで、内輪で盛り上がるに留まっています。これ、隠れSIAというのでしょうか。SIAの輪の広がりを実感しています。
 
 
 
戦前戦中処理の責任者? ()
2009-11-14 07:56:34
マイマイ新子のテーマ音楽は「コトリンゴ」とか、ちらっとネットやコンサートの時の試写で聴きましたが、テーマ音楽はビバルディの四季の春を連想しました。
どうも「コトリンゴ」の歌う曲ではないような気もしています。
ちょっと頼りない印象。
ラジオでテーマ音楽がリクエストされるようになれば好いですね!



ところで木蓮さんの「それから、戦後の歩みにおいて、日本が戦争体験を思想にさせられなかった責任を、もっと感じてほしいです。」

うむ?これは団塊の世代には難しい依頼ですね。
何故ならリアルにその時代を生きた世代が、戦前戦中の処理と反省に基づく思想の提示をする責任が有りました。
その処理や思想提示は遅くとも、戦後15年以内になされるべきでしょう?

その責任世代は広いようですが、特異な軍治体制での教育をされなかった世代と思いを抱けば、明治~大正初期の生まれの方々だと思われます。

しかし殆どその世代の方々はもう生存していないのですから、
その世代の残した書籍にから、その処理の分別や思想提示を見付けてみるのも一案です。
僕には戦中派の殆どの方々は、経済一本やりで生きた世代と思えます。

何も責任逃れをする気は有りませんが、木蓮さんの時代認識がちょっと気になりましたので。
如何でしょう?





 
 
 
指摘は撤回です。 ()
2009-11-14 14:56:08
前記コメントの下段の木蓮さんに対しての、リアル体験世代の責任である、の指摘は撤回せざる負えません。

實は先程ギャラリーカフェで82翁に尋ねると、あの世代はそんなことは書籍にも残していない、とのことでした。

つまり彼等世代は精一杯その時代の世の中の流れに沿って生きていたので、戦後も自己総括はしないで過ごしたそうです。

翁がおっしゃるには戦前の精一杯の思索で結論を出す風潮が、他者や国民がどうなるかを想定できない状態に陥っていたのだろう、と云うことでした。

尚、木蓮さんは或る意味では御祖父様が身近においでになっていたのですから、参考にされるだけで好いです。

以上認識の訂正まで。

はて団塊の世代は平和と反戦世代と言って好いので、
それに根差した主義主張であれば充分ではないのでしょうか?
敢えて公式化をしても無意味と思った次第です。




 
 
 
子供時代 (夾竹桃)
2009-11-14 18:55:14
わたしたちの子供時代
高度経済成長の中
周りにあったたくさんの自然の風景が
次々とコンクリートや
アスファルトで塗り固められ
新子が遊んでいたような原っぱや川辺から
子供心に理不尽に追われて
奪われていった記憶があります。
町の変わりゆく様を目の当たりにしていたし
少なくともわたしにとってそれは
心の痛む事でした。
いつか友人たちとの話の中で
わたしたちが生まれて育った
20年の歳月の変化に比べて
今の子供たちの20年の変化は
技術的な変化はさておき
目に見える変化としてはすごく小さいだろう
と話し合ったことがあります。
日本という社会が安定期に入っている
ということなのでしょう。

団塊世代の青春には
冷戦構造の社会に中の
イデオロギーであったり
個人の存在であったりと
闘うべき何物かがあって
熱い時間を過ごしたように
わたしはイメージしているのですが
そうした闘いに疲弊し
挫折したある諦念のようなものが
その後の生き方の中に
流れているような気がしてなりません。
わたしたち団塊世代の子供たちは
そうした空気を吸収しながら
青春を送っていたのではないでしょうか。
シラケ世代といわれることと
そのことが無縁ではないような気がします。
わたしたちの次の世代といわれる
ゆとり教育世代の若い人たちに
わたしたちが作った時代の空気は
どんなものに映っているのか
興味のあるところです。

これからの20年
シラケている場合ではないですね。
わたしの中でふつふつと湧き上がる
熱い思いにこれからの人生を賭けて
活きて生きたいと思います。
 
 
 
読み切れていない… (sae)
2009-11-14 21:19:47
マイマイ新子の映画公開が近づいています。
ところで、自称・熱烈樹ファンの私ですが、マイマイ新子のみ、文庫版で読み始めたものの(しかも発売後すぐに手に入れたのに)、どうしても最後まで読み切れません。いわゆる児童向け文学も結構読みますし、好きな作品だってもちろんあります。だけど、マイマイ新子は最後までたどり着けません。
描写が細かすぎるから? 自分で想像したいことまで書きつくしてある感じで、面白く感じられないのかもしれません。いずれにしても、読み通すことができていないのだから、あれこれ言う資格はないですね、きっと。
既読の方に、「この部分のここがよかった!」みたいなお話を聞いて、読みとおす励みにしたいものです。
 
 
 
おてんば? (九寨溝)
2009-11-15 00:11:39
お弁当どんなだったんでしょう???
しゃれた企画ですね!

「ハンドマイク世代」の団塊世代の方々にとてもお世話になっているのが下の世代だと思います!ハンドマイク体質、世のため、人のためになっていると思います!

多分、下の世代の多くはもうちょっと1対1の人間関係を楽しむ傾向にあるんでしょうかね?

十把一からげに扱われちゃうのが苦手かもしれないです。

だから報道される上司になって欲しい人、とかを思い浮かべると、1対1でちゃんと見てくれそうな人、叱ってくれたり、語りかけてくれたり、わかってくれたりしそうな人なのかな、と思います。団塊の世代を煙たがってるわけじゃないと思います!

下の世代にもおてんばだったり、正義感が強かったり、元気一杯の子はもちろん一杯います!(笑)
 
 
 
牟礼キャンパス (サイヤ)
2009-11-15 03:55:58
久々にコメントします。

連載が終わって余裕がおできになったのか、先生の露出も多い。
また参加者に対して○○さんと呼びかけて下さるので、ファンにとっては今は投稿するともれなく先生の返答付という至福の時かも。
私もかつて仮面の名前HNを呼んでもらって有頂天になったものです。

75、6年ごろの牟礼のキャンパスを私は知っています。人生初めてのキッスも牟礼の木々の下でした。
いきなりフレンチキッスをしたのでツレはその後それがトラウマになって今でもあまりくちづけは好きではありません。

井の頭公園で愛を語らい、寮の門限に間に合うために一緒に玉川上水沿いを走ったものです。そう。その頃、厳しい寮監がいたのです。

ヘルメットをかぶってハンドマイクを握っていらっしゃたのが牟礼のキャンパスだったなら10年後のそこは恋人たちの心のやすまる別世界でした。

今はそのキャンパスも高校に売却。私が言うのも変ですが、さびしいものです。

いま、『百年の予言』を遅まきながら読んでいます。「ヒスルガハナ」の文化が段々変質してきているのかなと思ったりして。

そういえば、京を自死させようとはじめは思っていらっしゃったのでしょうか。
『甘苦上海』の執筆の際に、このブログの色んなコメントによって幾ばくかストーリーに変更があったのかなど、種明ししていただくと嬉しいです。
 
 
 
新子ちゃんの体験と空想 (しづ)
2009-11-15 12:04:18
私は『マイマイ新子』を読んでいる時に、子供の頃の自分の体験や考えていたことを思い出したり、新子ちゃんの言動に共感したりしていました。
世代的には新子ちゃんの娘世代ですが、父や母の子供の頃の話と同じように感じられましたし、田舎育ちなので自然も身近に感じられました。

新子ちゃんは自分が体験したことを表現する時も、自分が感じたこと、想像したことも一緒に表現したりして、大人からはえっ?て思われたりしますね。
でも、そういう新子ちゃんにはお祖父さん、お父さんがよき理解者として身近にいるんですよね。
それにえっ?て思いつつも話を聞いてくれる大人の存在も豊かな自然とともに、新子ちゃんの感性を育む環境だったような気がします。

ここがよかった!とか、こんなすばらしい作品だったと、うまく読後の感想を伝えられず申し訳ありません。
懐かしく、でもちょっと不思議な世界でした。

本日の日経紙、高樹先生からの"紅子さんへの別れの手紙"も拝見しました。あぁ!先生はあんなに紅子さんに厳しかったなんて!
そんな厳しい視線を持ちながら紅子さんの肩にとまり、作品をお書きになっていたんですね。作家は主人公に甘い(?寛容な)ものだと勝手に想像していました…。

今は『時を青く染めて』を入手したところです。タイトルから澄んだ青、水中に潜ってキラキラ光る水面を見上げた時の色をイメージして手に取りました。
また違う世界が小説の中に広がっているのでしょうね。
 
 
 
「紅子さんへの別れの手紙」 (夢の中へ)
2009-11-15 13:34:53
「紅子さんへの別れの手紙」を拝読しました。(十分に咀嚼出来ていない状態でのコメントで失礼ですが)

思い起こせば、昨年9月30日の朝刊に、赤と黒のグラデーションの「甘苦上海」の題字と、ガンクウという音声に、重厚な交響曲の重低音の響きを感じさせられたことが懐かしくいものです。(白黒の日経があるのは知りませんでした)
第1話からは、激動の経済情勢の中を強かに生き抜く経営者の甘く苦い体験の始まりを感じさせられました。今でも「ガンクウ」という音声はなぜか心への特別な響きがあります。(不思議です)
しかし、想定とは違う方向に動き出してしまったので、あらあらと戸惑いながら読んでいました。
年明けとともに、松本との関係が出来、主体性を取り戻し、畳み掛けるような展開の「紅子さんの復讐劇」を見て、「来た!(窮すれば即ち変じ、変ずれば・・・)」ばかりに心を躍らせました。
中原に覇を競う英雄のごとく、上海に来て体得した日本人ばられした感覚で、孫子の兵法などを駆使しながら、松本も石井も踏み台にして、更にのしあがって、不況を逆手にとって、強かにビジネスと論語的な経営を展開していく紅子さんを想定していました。論語(この頃は、本当にわくわくさせられ、午前1時の朝刊到着後に拝読してから就寝でした)
残念ながら、想定どおりにはなりませんでしたが。

男性の私としましては、紅子さんの肩に乗ってはみたものの、乗り物酔いに悩まされ、途中で振り落とされてしまいました。こんな人生もあるのだなぁと、第三者的に眺めざるを得ませんでした。(偶然性の連続の中に必然性を見出せたかどうかよく分からないのですが)

総括すれば、紅子さんは、老いに向けて、限られた時間の中で、若い日の「思い出の貯蓄」をしたということですね。
以前、生涯学習関係で、若いうちによい経験をつ積んで「思い出の貯蓄」をしておきましょう。将来寝たきりになっても、写真を見たり、友人たちとその話題になれば気持ちはすぐ20歳でも50歳にでもタイムとラベルできますという趣旨の(ある文学博士の)お話が記憶に残っています。

紅子さんに関しては、「年上女の心身の熱」など、「年上」にこだわり過ぎのように感じられます。
50歳前半といえば、丸文字の福島大臣、キャンディーズ、(SIA的には)アグネスチャン、福岡では郷ひろみでしょうか。
どの地域のどんな家庭で育ったかによりますが、思考や感覚がもっと年配(60歳前後)の女性のように感じてしまいます。
個人差はあろうかと思いますが、恋愛ではあまり意識されないようですが。同世代の女性の方いかがですか?

上海が、「一月一昔」という激動期ということですので、SIAといえども、中国についてつかみどころがない点は理解できました。
「中国」とは、「大きな壁の中にある国」。「壁の外にウイグル、チベットがある」とは、カーディル氏(春秋欄2009.11.2)の談ですが、EU並み規模の国ですので、中国SIA情報発信を期待しております。

拝読直後の感想のため、未消化の点はお許しください。

いずれにしましても、1年1ヶ月の長丁場の格闘お疲れ様でした。批判も激励もその反応そのものが大きな勲章だと思います。
先頭に立つ勇気を持って、新たなことにチャレンジ(ブログ、ネット配信、並行出版等)続けられました事に敬意を表しますと共に、自分(私)にとっての励みとさせていただきたいと思います。

くれぐれもご自愛の上、斬新的な作品の創作など、今後ますますのご活躍をお祈り申しあげます。
 
 
 
紅子さんの年齢に思うこと (miriam)
2009-11-15 18:58:51
紅子さんの年齢は・・・
人生の分かれ目?生き返る分岐点?それでいて何かが定まらず惑いの中にゆらゆらと漂っている年齢なのだと思います。

私自身、紅子さんとは比べようがありません。
私と紅子さんの生活環境があまりにも違うからです。
とても比べようがありません。

それでも「甘苦上海」では、実際には体験できないアバンチュールを小説の中で体験させていただきました。
私なら・・・
こういうときには「こうするのになぁ~」と思ってみたり、
「あ~~じれったい!」って思ったりもしましたが、、

サイヤさんのご指摘が面白いですね。
私も最初は京さんが自死するのかな~?と思っていたのですが・・
世の中の人のパワーによって京さんは生き延びることが出来たのでしょうね。

リアルタイムでの小説・・・面白い取り組みでしたね。
これは本当に大変だったと思います。
嵐の中、とにかく毎日歩いていかないとならないのですから。

最後に紅子さんがお寺の階段を登っていくところを・・・
私は三島さんの「豊穣の海」の最後、清顕さんの姿を思い浮かべておりました。

きっと・・これは「別れ」の階段。

悲しい結末です。

まさにその通りの結末になりました。
(あ・・?考えようによっては違うかもしれませんが・・・)

夢の中へさんのような理詰めで物事をお考えになる方の、
この度の小説で色々感じられたコメントを読ませていただいて、
へぇ~って思っております。
その意外性?というかなんというか。。

女性だと勘違いしてごめんなさい。

でも女性だと思わせる雰囲気をお持ちなのだと思いますね。
それはとても良い意味で。
やわらかいということ・・・かな?!

高樹さんはきっと色々な人を惹き付ける魅力がおありなのでしょうね。

もしも・・・
今の高樹さんが紅子さんと同じ感覚なのだとしたら・・
これはものすごく気持ちが若い!ということでしょう。
高樹さんはまだまだ50代の気持ちで頑張っておられるのだと思う。

逆に今の私が今の高樹さんの気持ちに同調するということは・・・
私の精神年齢が年老いているということなのかもしれませんね(苦笑)

実は私もまだ「マイマイ新子」読んでいません。

高樹さんは「新子」ちゃんなのですが、
私の中では微妙に違うのですよね。
私の中では高樹さんはとても色っぽい大人の「新子さん」なのです。

どうしよう~?

「マイマイ新子」読んでみましょうかね。。(苦笑)

高樹さんのイメージが。。
 
 
 
YASUHIROさんへ (高樹のぶ子)
2009-11-15 19:02:20
YASUHIROさん

レオナール・フジタから、このブログにたどりつかれたようですね。良くいらっしゃいました・・

里見さんには、うんと昔、パリでお宅にお邪魔したことがあります。里見さんの絵をポストカードにしたものを、いただきました。

雑誌の取材でキスリングやキキの足跡を巡っていて、パリに住む、すでに老人でもある里見さんを訪ねました。案内の方が紹介してくださったのだと思います。

すでに80歳を過ぎてらしたと思います。お亡くなりになったのですね。

どんな亡くなり方をされたのでしょう・・
どうしてそんなことに興味があるかと言えば、彼のアパルトマンを訪ねたとき、老人になって海外で一人住まいで不自由ではないか、というような質問をしたのです。
けれど、里見さんには、同じアパルトマンの中に、ガールフレンドがいらっしゃって、あれこれとお世話をなさっていました。その女性も決して若い方ではなかったと思います。
日本の作家が来る、というので、遠慮して、姿を見せられなかったけれど・・

ああ、いいなあ、さすがパリだなあ・・歳はとっても、ずっと男であり女である関係が、素敵だな・・と印象的でした。

独身だったはずだし、すでに亡くなられて年月もたっているし、なにより、このお話をしても、お身内の方は、かえって心が安らぐに違いないと思い、書きました。
里見さんは、堂々と、てらいもなく、彼女の話しをされました。

もし、人生の最後までそうやって生きて亡くなられたのであれば・・と思います。

防府から戻ってきました。
この話はまたにしますが、お目にかかれた皆様、ありがとうございました。
 
 
 
素敵な文章をありがとうございました。 (九寨溝)
2009-11-15 21:05:59
今日の日経の記事、読ませていただきました!

とても感動しました。

切なさや正直さ、懸命な取り組み、揺れる心、読みやすく魅力的で読ませる力のある文章に出会えた喜びでちょっと涙ぐみました。

ブログで先生と交流してなかったら、また違った読み方だったのだろうかという不思議な気持ちになりました。

先生と同年代に生き、こうして交流する機会を与えていただき、先生の才能に接する機会を与えていただいた幸福に感謝しています。
 
 
 
パリの幻 (高樹のぶ子)
2009-11-15 21:37:23
YASUHIROさんのコメントをきっかけに、女性誌に書いた遠い昔の記事を読むことができました。

それによると、わたしは、パリで里見さんのガールフレンドに会って話しを聞いているらしい・・でも記憶では、会ってないような気がして・・その記事を書いた4年後に彼は亡くなっている。

いずれにしても、ダンデイなご老人でした。

ところで、アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」の山口県先行上映は、無事終わりました。数カ所の上映館で監督や声優さんとの舞台挨拶、そして今日は、トークショーなどもありました。

我がふるさとの名物は、蒲鉾の「白銀」和菓子の「舌鼓」
両方をおみやげにもらって、お花を抱えて、モト新子は戻ってきました。さすがにぐったり。
空気の澄んだ、美しい二日間でした。
「大ヒット祈願パーテイ」なるものも催されて、熱く盛り上がっていました。

このアニメは、アメリカよりヨーロッパのほうが、受けが良いそうです。スクリーンから連射される刺激ではなく、どちらかと言えば、観客が入り込んで行くアニメなので、わたしはあえてこう表現しました。
「これはアニメにして、アニメではない」

山口の皆様、応援をありがとうございます。
今後も新子ちゃんを、よろしくお願いします。

そしてマイホームのこのブログ。いつもコメントくださるナイスな役者さんたち・・逐一お名前をあげることはしませんが、ありがとうございます!
 
 
 
紅子とキキ (夾竹桃)
2009-11-15 23:54:22
夢の中へさん
日経の記事をお知らせくださって
ありがとうございます。
早速コンビニに買いに行って
記事を読ませてもらいました。

以前何かのエッセイだったか
このブログのコメントであったか
高樹さんが作家は読者の声が届きにくいところで
創作活動していて孤独だというようなことを
おっしゃっていたような記憶がありますが
(わたしの勘違いでしたらスミマセン)
今回はリアルタイムに読者やファンの反応が
このブログを通じて伝わる部分もあって
そのことがかえって高樹さんの創作することを
苦しめたのでは。。。と
今日の日経の記事を読んで感じました。
こちらでも様々な意見が飛び交い交わされても
最終的に紅子という女性が
高樹さんの中でぶれることなく
描かれ切ったことは
さすがだと思わずにはいられません。

今日本屋さんで見つけた
『甘苦上海 Ⅳ 悲から艶へ』を早速手に入れて
紅子と高樹さんの一年余りの上海の冒険を
見届けるべく読み始めたいと思います。

YASIHIROさんの記事は
わたしも昨日拝読させていただきました。
フジタの絵は生理的にどうしても好きになれないのですが
佐伯祐三の絵はとても好きで
コメントの中にあった扉の絵も
実際に何度か目にしています。
わたしにとってその絵は
彼の前に立ちふさがって
決して開かれようとはしなかった扉
のような印象を持ってしまって
胸を塞がれるようないたたまれない気持ちになります。

高樹さんのコメントにあった
里見さんと出会ったことを書いた記事というのも
すっかり忘れてしまっていて
改めてエッセイ集を探してみると
「花弁を光に透かして」というエッセイ集の中に
「KIKIへの旅」と題されて載っていました。
YASUHIROさんのご紹介してくださった
FRAUの記事だと高樹さんの取材された
キキを巡る旅の様子が写真で紹介されているのでしょうね。

紅子とキキ。
恋多き二人の女性に触れる一日となりました。

わたしも来週は「マイマイ新子と千年の魔法」を見に
劇場にぜひ足を運びたいと思います。
今からとても楽しみです。
 
 
 
お疲れ様でした! (rika)
2009-11-15 23:58:53
 高樹先生、お帰りなさいませ。

 「マイマイ新香弁当」いかがでしたか?こちらで写真のお裾分けあるのかしら?
 また、お天気にも恵まれ、よかったですね。
 ふるさとの人や風景が、そして、何よりみなさまの温かいお気持ちが、先生や作品にたくさんの元気を吹き込んだんだろうなぁと感じました。
 ぜひ映画拝見しますね!
 
 
 
 
小説サイト (Unknown)
2009-11-16 11:28:42
小説のせいで日経をやめた人が、小説のサイトでまだ連載が続いているのかどうかを確かめたり、苦情を言う先を探して閲覧したので閲覧者数が増えただけ。
 
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