あの時こうしていれば、ということは、どんな人にも
一つぐらいはあるだろう。もっと頑張っていれば、もっと
素直になっていれば、もっと練習していれば、もうちょっと
だけ我慢していれば、もっと冷静に判断していれば、こっち
じゃなくあっちを選んでいれば、などなど。
2年程前に書いた自分の日記を読み返して、この
Victim of one’s choiceという言葉にやっぱりドキッとした。
私の場合はchoiceではなく、頑張らなかった結果の後悔は
たくさんある。だから、victim of my lazinessだな。
それは当然のこと。別に特筆することではない。やるべきこと
から逃げてやらなかったのだから、その分だけ幸せになる
はずがない。
それでも、今、幸せか不幸せかと訊かれたら幸せだ。すごく。
何しろこんな文章を書く余裕があるのだから。
歌手になったこと、メジャーデビューしたこと、本を
出したり、CDを出したり、コンサートをしたこと。ラジオ番組を
持ったこと。PSY・S解散後もソロ活動をまた始めたこと。
全部、自分のチョイスでやったことは、後悔していない。
ただ、私の場合は怠けたり、避けたり、なんとなく延期したり
の結果、後悔することばかり。choiceというのは選び取ること、
自発的な行動を指すが、私の場合、頑張らない方をchoice
したんだなぁと思うと、情けなくて情けなくて仕方がない。
えらそうに色々言うてるくせに、何も自分では勝ち取りに
行ってないやないか?と。
今の私が、もう少しこうなったらもっと素晴らしいのにと
思うことはいくつかある。私はそれを不満とは呼ばない。
でもそれらに対して、私は努力しているか?と訊かれると、
し切っていないという答えが出る。すぐ出る。
何をどうしていいかわからないこともあるけど、やらなくては
ならない。過去の貯金だけで歌う歌手は偽物だ。常に今の自分を
磨き続ける歌手じゃないと。ということは、過去の貯金だけで
生きる人間も偽物だ。私はそうなりかけている。偽物として
「ま、こんなもんだよね」と折り合いをつけて生きるか?
本当に悔いなく頑張って、納得して生きるか?答えは、わかってる。
生きにくい時代だとも言わない。
私は理解されにくいタイプだなんて、絶対言わない。
もっと上手に生きられれば、なんて、思わない。
何も他のもののせいに、しない。
ただ、何をどう努力していいかわからないところに腹が立つ。
必ず必ず希望の方を信じ抜く人生を送る。それは得意だ。
あとは、具体的に何をどうすればよいかの智慧が必要だ。
I will never be a victim of my choice.
I will never be a slave of my heart.
心のおもむくままに生きた結果、その心が一流でなかった故に、
心の奴隷になって、後悔する人生は嫌だ。刻々移り変わる自分の
心の奴隷にはならない。心の師となって、未来を切り開く。
そんな私を「そうだよCHAKA」と、言ってくれる人も私には
とても大切だ。多くの人は、CHAKAは1人でも何でもできると
思っているらしいが、そんなことは絶対にない。CHAKAは1人で
大丈夫?そんなわけない。
私は頑張る。なぜなら、目標が明確にある人間にとって
頑張ることはいいことだからだ。頑張るなと言われても
頑張る。何をどう頑張るか、それが問題なのだから。
そう成れるかもしれない姿を目指さず、今の自分に
理由をつけて、「こんなもんだよね」「誰だってそうでしょ?」
と言いながら、悔いを積み上げて生きるのは恐ろしい。
今、まだ私の中に湧いている気力と体力が枯れてしまう前に、
出来る努力をしなければ、私はきっと必ず、その時が来たら
立ち上がれなくなる。なぜならば、頑張りたくても頑張れ
なくなるのだから。
I will never be a victim of my choice.
I will never be a slave of my heart.
誰か、こんな私の戦友が欲しいと思う、お昼すぎ
【CHAKA】
一つぐらいはあるだろう。もっと頑張っていれば、もっと
素直になっていれば、もっと練習していれば、もうちょっと
だけ我慢していれば、もっと冷静に判断していれば、こっち
じゃなくあっちを選んでいれば、などなど。
2年程前に書いた自分の日記を読み返して、この
Victim of one’s choiceという言葉にやっぱりドキッとした。
私の場合はchoiceではなく、頑張らなかった結果の後悔は
たくさんある。だから、victim of my lazinessだな。
それは当然のこと。別に特筆することではない。やるべきこと
から逃げてやらなかったのだから、その分だけ幸せになる
はずがない。
それでも、今、幸せか不幸せかと訊かれたら幸せだ。すごく。
何しろこんな文章を書く余裕があるのだから。
歌手になったこと、メジャーデビューしたこと、本を
出したり、CDを出したり、コンサートをしたこと。ラジオ番組を
持ったこと。PSY・S解散後もソロ活動をまた始めたこと。
全部、自分のチョイスでやったことは、後悔していない。
ただ、私の場合は怠けたり、避けたり、なんとなく延期したり
の結果、後悔することばかり。choiceというのは選び取ること、
自発的な行動を指すが、私の場合、頑張らない方をchoice
したんだなぁと思うと、情けなくて情けなくて仕方がない。
えらそうに色々言うてるくせに、何も自分では勝ち取りに
行ってないやないか?と。
今の私が、もう少しこうなったらもっと素晴らしいのにと
思うことはいくつかある。私はそれを不満とは呼ばない。
でもそれらに対して、私は努力しているか?と訊かれると、
し切っていないという答えが出る。すぐ出る。
何をどうしていいかわからないこともあるけど、やらなくては
ならない。過去の貯金だけで歌う歌手は偽物だ。常に今の自分を
磨き続ける歌手じゃないと。ということは、過去の貯金だけで
生きる人間も偽物だ。私はそうなりかけている。偽物として
「ま、こんなもんだよね」と折り合いをつけて生きるか?
本当に悔いなく頑張って、納得して生きるか?答えは、わかってる。
生きにくい時代だとも言わない。
私は理解されにくいタイプだなんて、絶対言わない。
もっと上手に生きられれば、なんて、思わない。
何も他のもののせいに、しない。
ただ、何をどう努力していいかわからないところに腹が立つ。
必ず必ず希望の方を信じ抜く人生を送る。それは得意だ。
あとは、具体的に何をどうすればよいかの智慧が必要だ。
I will never be a victim of my choice.
I will never be a slave of my heart.
心のおもむくままに生きた結果、その心が一流でなかった故に、
心の奴隷になって、後悔する人生は嫌だ。刻々移り変わる自分の
心の奴隷にはならない。心の師となって、未来を切り開く。
そんな私を「そうだよCHAKA」と、言ってくれる人も私には
とても大切だ。多くの人は、CHAKAは1人でも何でもできると
思っているらしいが、そんなことは絶対にない。CHAKAは1人で
大丈夫?そんなわけない。
私は頑張る。なぜなら、目標が明確にある人間にとって
頑張ることはいいことだからだ。頑張るなと言われても
頑張る。何をどう頑張るか、それが問題なのだから。
そう成れるかもしれない姿を目指さず、今の自分に
理由をつけて、「こんなもんだよね」「誰だってそうでしょ?」
と言いながら、悔いを積み上げて生きるのは恐ろしい。
今、まだ私の中に湧いている気力と体力が枯れてしまう前に、
出来る努力をしなければ、私はきっと必ず、その時が来たら
立ち上がれなくなる。なぜならば、頑張りたくても頑張れ
なくなるのだから。
I will never be a victim of my choice.
I will never be a slave of my heart.
誰か、こんな私の戦友が欲しいと思う、お昼すぎ
【CHAKA】