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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

2007年の野宿総括

2007-12-28 11:33:10 | 野宿
年末なので、今年の野宿について簡単に触れておこうかと思う。
まあ自分の旅では相変わらず方々で有料の宿にはできるだけ頼らずに野宿しているわけだが、今年から少々趣向を変えることにした。これまではテント泊も野宿のうちに数えていたのだが、そんな薄くても一応はナイロン生地に頼っている状態では「野宿」とは呼べないのではないか? と今年、ミニコミ誌『野宿野郎』を何度も読み返したり、この長であるかとうちあき編集長の生き様に影響を受けて、僕も今年からはテント泊とそれに頼らずに寝袋のみで寝る本来? の野宿を切り離して考え、取り組むことにした。
で、その結果としてはひとりでの野宿は計23泊となり(もちろんこのほかにテント泊も個別に計上している)、まあまあの結果かな、と思う。そのなかで特に印象的な単独野宿場所が以下の3か所。



2007年3月4日、沖縄県・沖縄県庁。3月3~5日に沖縄本島に拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の書店営業に行ったときに、前々から寝やすそうだなあ、と目を付けていた県庁前の空き地で野宿してみた。まあこれは、ここから徒歩約7分のところにある那覇バスターミナルから始発のバスに乗って名護方面に行きたかったから、その近くに泊まりたい、移動が面倒、という理由からもバスターミナルに近いここで野宿したのだが。



2007年8月14日、岩手県・JR茂市駅前。この日に岩手県内でも特に有名な観光地である龍泉洞に行くために、そして8月にも触れたJR岩泉線に乗るために駅の近くの空き地で野宿してみた。
しかもこの前夜はちょうどペルセウス座流星群のピークで、都市部よりも照明の少ない山間部のここからだと夜半から流れ星が見えまくりで、空き地にごろんと仰向けになりながら、人通りも多くはないために周りに気兼ねすることもなく2時間ほど流れ星観賞を楽しんだ。



2007年12月25日、東京都・青山霊園。六本木ヒルズや東京ミッドタウンにも近いこのなかの公園でも野宿。写真右奥の建物が六本木ヒルズの森タワー。
実はここ、6月に『野宿野郎』のある催しで複数人で鍋を囲みながら野宿していて、そのときにいろいろ条件の良い場所だなあ、と気に入り、ひとりで再訪してみたかったので再訪してみた。しかも日付を見ればわかるように、12月24~25日という、世間一般では1年で最も甘美な雰囲気が漂う日にあえてぶつけてみた。実はここに来る前に東京ミッドタウンのライトアップに群がる? カップル観賞も日付をまたぎながら一応楽しんでおいた。僕には、欧米から勝手に流れてきた思いっきり西洋かぶれのこんな催し? は一切通じないのである。この夜に食べたのもケーキではなく、いつも好んで食べる魚肉ソーセージだったし。ビールとこれさえあれば日にちも場所も問わず、ひとりで楽しく生きて行けるのだ。
まあこれは恋愛に疎いゆえの世間へのやっかみではなく、25日の朝に所用で東京都内に出ておきたかった、前乗りしたかった、というちょっとした理由もあってこの日に野宿したのだが。でもこう書くと負け惜しみに見られるのかなあ。


また、冒頭ではひとりでの野宿数を挙げたが、それとは別に今年は複数人で野宿する機会が多く、まあ主に地平線会議の集まりと『野宿野郎』の行事でなのだが、それらを合算すると計24泊となった。
そんなに他人と一緒に野宿する機会があるとは今年の年頭はまったく想像できなかったのだが、実際、かとう編集長をはじめ僕と似たような感覚を持っている人は少数ながらもたしかにいるもんなんだなあ、と戸惑いもありつつも新しい発見や野宿仲間との出会いが今年は特に相次いだ。しかもそのなかには女性も結構含まれているのだから、冷静に考えるとちょっと驚くべきことでもある。このように野宿でも人脈は築けるんですなあ。

来年も今年同様に野宿はふつうに続けるが、普段の生活というか労働面で少々忙しくなりそうなので野宿の機会は減るかもしれない。が、2006年秋に『野宿野郎』編集部から「初代のじゅキング」を拝命している僕としては、もちろん来年以降も野宿面では他人に負けないくらい暗躍? するぞ、という意志は当然持ち続けているので、365日いつでも野宿ができるように準備しておく所存である。あ、来年は閏年だから366日か。4年に1回の2月29日に野宿するというのも面白いかもしれない。

ミニコミ誌『野宿野郎』の「のじゅくの日」を祝ってみた     

2007-06-19 23:59:49 | 野宿

18日から19日にかけて、最近よくお世話したりされたりしているミニコミ誌『野宿野郎』の公式行事? である「第5回のじゅくの日」を祝いながら野宿するため、東京都品川区東八潮の船の科学館そばの公園に、仕事やら何やらで集合時間よりも少し遅れて23時すぎに行った。
僕は5号に挟まれていたアンケートに回答したこともあって(賛否問わず読者の意見がありがたいことは僕も最近特に痛感している)、編集部から今回の催しの招待状をいただいているし(でもべつにそれが届いていなくても行くつもりだったが) 、昨年は同日開催のドイツW杯・日本-クロアチア戦のテレビ観戦を優先してしまってちょっとした後悔の念もあったため、今回はぜひ行かねばっ、と意を決した。

僕は「のじゅくの日」の参加は昨秋の高尾山野宿に続いて2回目だが、最近は媒体露出などによって認知度が高まってきている今回は多くの新しい参加者が見込まれたが、実際に行ってみるとその参加者はここ数週間でよく会っている地平線会議関係の野宿仲間が大半であった。
それでも今回ご新規の参加者も数名いて、目立ったところでは某有名私立大学で野宿サークルを立ち上げようと企んでいる学生もいた。ヒントは、本ブログでも過去の投稿でこの大学名をすでに挙げている。また近年では、ヒマラヤ8000m峰登頂経験もある登山家やメジャーリーガーも輩出しているよなあ。

気温は高めで降雨の心配もない絶好の野宿日和のなか、日付が19日に変わり、「のじゅくの日」を迎えた決定的? 瞬間にも、かとうちあき編集長以下多くの参加者もそんなことはまったく気にも留めていない様子で、日付が変わったからといってもたいした感動はなく、それまでと変わらぬペースで各自が持ち寄った酒類やつまみを飲み食いしながら、いつもどおりにぐだぐだな迎え方となった。まあこれがいかにも野宿野郎らしいと言えばらしいけど。

最終的に集まったのは僕を含めて15人で、その後も空が明るくなってきた4時すぎまで旅・野宿話をしたり飲み食いを続けたりしてまったり過ごした。結局は「野宿」と言うよりは「休憩」と呼んだほうが妥当かもしれない。いつもはすぐに寝袋に入って横になりたがる編集長も、今回は明るくなった頃まで起きていたな。珍しい。何か特別に良いことでもあったのだろうか。

ところで、この野宿仲間とは最近はほぼ毎週末各種催しで会っていて、特にかとう編集長とは冗談ではなく誇張でもなく5月中旬からホントに毎週会っていたりする。16~17日の「TeamSherpa」も一緒だったし。比較的ぐだぐだな催しばかりが続いているのに、この大学サークル以上の人の集まりの良さはなんなんだ? ヘタすると自分の家族よりも彼ら彼女らと一緒にいる時間のほうが長いではないか、と不思議に思ってしまうこともあるが、まあそれもひとえにかとう編集長の魅力というか魔力によるものなのかもしれない。
関野吉晴氏の探検行『グレートジャーニー』テレビ放映の初期のナレーションのなかに、この人に付いて行けば何か面白いことに出くわすだろう、という要旨のセリフがあったが、これはかとう編集長にも当てはまり、この人に注目し続けていればちょっとは人生が楽しくなるかもしれない、という予感は常にある。

かとう編集長の今年に入ってからの様子を端から見ていても、「マラソンランナー」「登山家」「脚本家」「写真家」などの多くの顔を持つようになり(と僕が勝手に解釈している)、彼女の、高樹沙耶や本上まなみにも負けないくらいの表現力と運動能力の高さ、それに元々の文学少女らしき読書家ぶりの賜物である情報収集および処理能力も意外とあり(『野宿野郎』本誌やこのウェブサイト内にあるブログのぐだぐだな筆致に騙されてはいけない)、芸も細かく、最近はこの人のそんな多彩ぶりをほぼ毎週まざまざと見せつけられてしまい、脱帽することしきりである。
そんなわけで実は、僕は今年から「尊敬する人」の第1位に密かに編集長を挙げていたりする。年下で尊敬できる人ってめったにいないのだが(佐藤琢磨、石川直樹、小野伸二、宮あおい、蒼井優くらいか)、編集長はまさに現在の日本の、特に野外業界を代表する逸材である、と本気で思っている。なんせ、テレビ・新聞・雑誌などの媒体露出経験も多々ある某冒険家も『野宿野郎』の質の高さを認めているくらいだからね。これからもまだまだ伸びるぞ、野宿野郎は。今から6号が楽しみだなあ。やはり年内の発行は難しいのかなあ。

『野宿野郎』の読者は、今後も要注目人物のこの人とは一度、一緒に野宿するなどしてかかわっておいたほうが絶対面白いと思うよ。今後も特に6月18~19日と9月18~19日は、平日だろうが雨や槍が降ろうが編集長の体力の続く限りはこのような野宿は定期的に開催されるだろうから、ぜひ。

日本国内のひとり旅の“野宿率”は93.0%

2007-04-01 21:19:54 | 野宿
4月1日だからといって世間の流れに乗ってウソをつくのは嫌い、ということは昨年書いたので、今年は旅に関する実話。

ミニコミ誌『野宿野郎』5号の56~57ページのアンケートで、僕のこれまでのひとり旅のなかでの野宿日数は、2006年9月30日の時点で計282泊と回答した(その内訳はこのページの回答を参照のこと)。で、その日から6か月経った2007年3月31日現在の数字を改めて算出してみた。

①テント泊        102泊
②テント・屋根なし泊  106泊
③屋根あり駅寝     86泊
④屋根あり室内泊    22泊
⑤合計          316泊

僕は毎年の旅のデータを簡単に取っていて(およその移動距離や登山山数や泊日数など)、毎年の自宅以外で泊まった泊数もすぐにわかるように整理している。ただ、最初に訂正しておくと、②については『野宿野郎』のアンケートの回答では計算間違いをしていて、実際にはもう少し多めに野宿している。改めて算出した本項の数字が正解。申し訳ない。旅とはちょっと違うが、日常で酒席が長引いて終電を逃したあとの“仕方なし野宿”も含めるとこの数字はもっと増えるが、さすがにそれは抜きにして非日常の場合のみで計算した。
また、僕は主に日本国内を旅しているので、これを外国も含めて話を広げると僕以上の猛者はたくさんいるから(主に地平線会議やJACC=日本アドベンチャーサイクリクラブの方々)、本項の数字はあくまで国内限定のもの、ということも補足しておきたい。

①と③については旅人によっては「野宿には含められないだろう」と思っていて、野宿とはやはりテントの生地にも人工の建物や屋根にも頼らずに寝袋に包まれたり包まれなかったり時折新聞紙やダンボールを身体に巻いたりしながら泊まる②のみのことだろう、という人もたしかにいるが、『野宿野郎』ではこれらも野宿として認めているようなので、一緒にまとめて計算した(野宿の定義は超厳密に考えると難しいなあ)。また、④は簡単に言うと、おおまかにはビジネスホテルやカプセルホテルや沖縄県のゲストハウスのような有料の宿に泊まった数、それに知人の家に泊まったときの数、つまり野外での開放的な野宿とは真逆の、現代的閉塞的な屋根にも光熱にも布団にも頼って泊まった日数をまとめて計算している。それで、⑤から④を差し引いた、⑤316泊に対する①と②と③の小計294泊の野宿の比率、つまり“野宿率”を計算すると、93.0%となる。

旅においての泊日数の総数は旅人としてはまだまだひよっ子の部類に入るが、それはともかく、この“野宿率”のみ見て客観的に考えると、「野宿の達人」という異名を持つバックパッカーのシェルパ斉藤氏や、『野宿野郎』の誌面に登場する面々にも負けていない、なかなかやる数字だと自画自賛しているのだが、どうだろう? まあ野宿行為に勝ち負けもへったくれもないのだが、野宿についてのあれこれを人並み以上に語ってもよい数字かとは思う。
斉藤氏も、たしかに主にテントを利用した泊まり方は国内外問わず多数経験しているが、彼の紀行文をつぶさに読むと始めから意識して予約して宿に泊まりに行ったり(最近の雑誌『BE-PAL』の連載でわかるところでは岩手県の「フィールドノート」や「苫屋」か)、悪天時にひよったときにはテント泊をやめて急に旅館や民宿泊まりに切り替えたりもしていて、実は有料の宿にも、ほかにも友人知人の家にも結構泊まっていたりする。また彼の場合は“作家”として全国的に有名なだけに、彼の数々の著書の読者の家にお呼ばれするという一般の旅人にはあり得ないある種の禁じ手!? もあるので(泊まりはしなくても、手厚いもてなしを度々受けたりもするし。僕は他人の家に泊まったうえに現金の餞別までいただいた経験なんて一度もないよなあ)、そのへんはちょっとうらやましく思う。

僕の場合は悪天に遭ってもできるだけ屋根のあるところを、移動しまくったほうほうの体ながらもなんとか探し当てて(最悪の場合は橋の下に落ち着くこともある)、全身も荷物も少し濡れようが、意外と暑かろうが寒かろうが意地でも野宿にこだわることがよくある。まあこれは斉藤氏ほどの経済力がないがゆえの行為なのだが。ちなみに、上記の“野宿率”に関する数字は当たり前だがすべて自腹で出かけた旅のもので、斉藤氏のようにまずは自腹で出かけても後日に媒体に寄稿して原稿料や印税を得て結局は元を取れるようなことも一切なく、旅先でとにかく出費しまくった結果でもある。
でも、降雨や降雪だからといっていちいち宿に安易に逃げ込んでぬくぬくするよりも、半ば強引にでも野宿に持っていくほうが、人間も地球上に生きる動物の一種であると思うと至極真っ当なことかとも思う。基本的に野外に生きる動物は移動を繰り返して、木の枝葉の下で雨宿りをしたり地面に穴を掘ったりしてそこに身を隠したりしながらなんとか生き延びているし。そう考えると、『野宿野郎』5号にもあるように僕は生粋の“野宿原理主義者”なのかもしれない。それは言い換えると“野宿過激派”とも呼べるのかもしれない。

僕がたまに宿を利用するのは、横殴りの雨とか身体が一瞬宙に浮くくらいの強風とかいうような台風並みの悪天候のとき、各種体調不良のとき、あとは沖縄県で夏場にかなり蒸し暑いもしくは蚊が多いとき、くらいに留めていて、旅ではできるだけ人目につかない場所を探しながら野宿しようと常に心がけている。いつでもどこでも何時でも、「ここは人通りが少ないかな」とか「あそこは手頃な屋根があって寝やすそうだな」と常に野宿に適した場所に目を光らせている。全国各地の土地を見極める場合の判断基準のひとつに、「野宿に適した場所であるか否か」というのがある。
ちなみに、上記の数字は47都道府県全体のものだが、それとは別に旅先として近年特に入れ込んでいる北海道と沖縄県の数字もそれぞれまとめていて、それを以下に挙げると、

・北海道(8回訪問)

①テント泊        24泊
②テント・屋根なし泊  14泊
③屋根あり駅寝     37泊
④屋根あり室内泊    1泊
⑤合計          76泊

・沖縄県(5回訪問)

①テント泊        12泊
②テント・屋根なし泊  24泊
③屋根あり駅寝     1泊
④屋根あり室内泊   14泊
⑤合計          51泊

となる。沖縄県は先月までに計6回行っているが、そのうち1回は昨夏に友人と宿泊まりありきで行ったため、それは除外した5回分で算出した。全国版と同様に計算した“野宿率”は、北海道が98.7%、沖縄県が72.5%となる。

このなかで特筆したいことをいくつか。まず北海道は、ほとんどが野宿で、僕は旅館・民宿やユースホステル(以下、YH)、それに道内によくある二輪車乗り向けの簡易宿「ライダーハウス」にも一度も泊まったことがなく、夏でも冬でもそれなりに準備して野宿している。土地は広々としているし、温泉も多いし、他所の土地からの入植者が多いこともあって他所者である旅人に対しても比較的寛容だし(まあ道内在住の方々からは内地からの旅人は観光でお金を落としていく「金づる」と見られているふしもあるんたろうけど)。とにかく北海道はホントに旅天国、野宿天国ですな。
そのなかで、④で1泊とあり、それだけ有料の宿からあえて離れているのにこの1泊は何? と問われると、2003年夏に悪天でも体調不良でもなく、当時僕が好きだったテレビドラマ『白線流し』のスペシャル版の放送を観たいがために部屋にテレビがある帯広駅前のビジネスホテルに1泊した、という他人から見るとかなりくだらないであろう理由で泊まったことがあった(僕としては当時大マジメであったが)。それ以外は道内では現在も野宿を貫いている。

沖縄県のほうは、他地域よりも宿泊まり(2006年9月21日の投稿でも触れたゲストハウス)が多いのは、さすがに夏場の豪雨や蒸し暑さに参ってしまうため。僕は1月生まれということもあってかどちらかと言うと寒さよりは暑さのほうが苦手なため、気象条件が暑さのほうで厳しくなるとどうしても日陰や涼しい建物を目ざとく見つけて逃げ込んでしまう。しかも野外では3月頃から蚊が発生するし。亜熱帯地域での野宿は思ったよりも大変なんだよなあ。夏場の沖縄県を野宿しながら旅する場合は、蚊帳を用意していつも携行するのはちょっと大変なので、アライテントの生地がメッシュ製のテント「カヤライズ」があると心強い(「エアライズ」シリーズのフライシートが使えるやつ)。

ただ、最近は宿泊まりにも興味があり、北海道では情報誌『北海道いい旅研究室』で読者から毎号好評価を受けている“正しい”温泉宿の数々(「銀婚湯」とか「民宿500マイル」とか)、礼文島南部にある踊ったり芸を披露したりというひと昔前のYHの活気がいまだに体験できる「桃岩荘YH」、それに各地に点在するライダーハウスなどに旅の道中に立ち寄ることができれば興味本位で泊まってみようと前向きに思っている。
また沖縄県では、本島北部の「結家」や「海と風の宿」、それに石垣島の野底岳(282m)のそばにあるYH「トレック石垣島」や波照間島の大盛りの食事を出す「民宿たましろ」など、沖縄県の宿事情に詳しいカベルナリア吉田氏の著書を参考に個性的な宿を巡るのも面白いかも、とも思っている。

でもやはり基本的には野宿することが前提条件、の旅をするという姿勢は今後も変えないつもりで、冒頭の『野宿野郎』のアンケートの回答にもあるように、“野宿率”90%以上を維持しながらもそういった宿泊まりもたまに楽しんでいこう、と考えている。

ミニコミ誌『野宿野郎』5号は、いよいよ文学誌の仲間入りか!?

2007-01-08 09:00:11 | 野宿

昨日の投稿でも触れた、最近僕がちょこちょこかかわっているミニコミ誌『野宿野郎』だが、この最新刊の5号の発刊を本来は昨年の夏にと目指していたが、なんだかんだで延び延びになって、そのあいだに野宿企画もたくさんこなしたために既刊の1~4号よりもページ数も増えて、結局は昨年末の発刊となった。

昨年、雑誌『AERA』『BE-PAL』『週刊新潮』などの全国的にかなり有名な雑誌でも取り上げられ、ますます昇り調子のミニコミ誌であるが、これは各媒体でも触れているが「野宿」が基本の冊子。
一般的には(移動手段はなんでもよいが)旅のなかで宿に泊まりたいけれどもなかなか見つからなかったり、経済的人間関係的に宿に泊まるのが面倒なときや、単に宿に泊まるぶんの出費を切り詰めてできるだけ細く長く旅したい、という泊まり方の選択肢のひとつとして「野宿」があることや、それに普段の生活でも勤め帰りの飲み会で深酒しすぎて終電を逃して駅前で途方に暮れたときや、電車になんとか乗れたは良いものの深酒がたたって目的の駅に降りられずに郊外の終着駅まで寝過ごして、上り返す電車の運行が終わってしまってその駅でこれまた途方に暮れる、家に帰れるぶんのタクシー代も駅前のビジネスホテルなんかの宿泊代もなくて仕方ないから上り始発電車が動くまで駅前で寝るか、という必然性から泊まる、という事例も考えられる。
僕も旅でも普段の生活でも、両方経験がある。後者の事例では、ある飲み会で日本酒にやられて、東武東上線の(普段の最寄り駅までの2倍以上の距離がある)終点の小川町駅まで行ってしまったこともある。しかも1月の、深夜の気温が0度以下になったえらく寒い日に。周りにはちょっとした山々も見渡せる場所でのあの“仕方なく着のみ着のまま野宿”(しかも新聞紙やダンボールもなし)はホントに生きた心地がしなかった。

が、このミニコミ誌の集まりの場合は、それよりは始めからそういった人為的な屋根や光熱にあまり安易に頼らずに積極的に野宿を楽しもう! と野宿好きの(世間一般的には)ある意味奇特な? かとう編集長が毎回呼びかけ、実施に至っている。ただ最近は、自宅に帰れたり宿に泊まれるぶんのお金を持っていたりするのに、なぜわざわざ「野宿」を選択するのか? という批判的な言い分もたしかにちらほら出ているのだが、その疑念にきっちり回答するためにも、というか野宿経験者も未経験者も含めて各人の「野宿」に対する想い、いわゆる“野宿観”を持ち寄って、募って集めて、改めて「野宿」とはなんぞや、ということを徹底的に追求しているミニコミ誌である。

簡単に言うと、野宿は一般的に主に旅や普段の生活で深夜から早朝の時間をやりすごす「手段」として考えられるが、野宿好きが集まってあえて屋外で泊まる、つまり野宿を「目的」としているミニコミ誌である、と僕個人的に思う。始めから野宿ありきで物事を考えている、というのがちょっと珍しい。まあ2006年12月1日の投稿でも触れたが、かとう編集長も元々は旅の熟達者で、その経験から特に好きな野宿行為を引っ張り出しているのだが、20代女子がこの考え方とこだわりを持っているということが新鮮で面白い。

で、そんなふうにして2004年に『野宿野郎』1号が創刊され、ついに先日、5号を発刊するまでに至った。ちょっとした企画モノや連載モノの記事も多々あるが、毎号、巻頭のほうで特集を組んでいて、今号は「駅寝」であった。ステーション・ビヴァーク、略してSTBとも呼ばれる鉄道駅で寝る行為なのだが(その愛好者の集まりもある)、僕もその経験は過去の全国各地の旅においてそこそこあるつもりなので、昨秋に投稿した。
その結果、20~21ページに、僕が2005年春に石川県・能登半島東部を走るローカル線の「のと鉄道」に乗り、その最東端の終着駅である蛸島駅の駅舎で寝たときの話を書いている。ちなみにここは現在は廃線になっていて、2005年3月31日に穴水-蛸島駅間が部分廃線になることを受けて乗りに行ってみた、というのがそもそもの動機。まあその小旅の詳細は本誌でぜひ確認してもらいたい。ちなみに、この文章は本ブログのような超長い記述は控え、一応ある程度は小さくまとめて書いている。2ページで収まって良かった。ほかの寄稿者の文章のほうが長いので、みんな結構書くのが好きなんだな、野宿に一家言ある人って多いんだな、と改めて思った。

それで、ここでこの記事に関してひとつ訂正というか謝罪しておきたいことがある。一応、僕の本職は出版物の校正なのだが、そんな縁で昨秋から『野宿野郎』の増刷前の校正をちょこちょこ手伝っている。だが、そんなふうに他人の文章にある意味いちゃもんをつけているくせに、この投稿でひとつくだらない誤字を創ってしまった。20ページの3行目に、「駅寝体険」という表現があるが、正しくは当然ながら「駅寝体験」である。なんとも基本的な誤変換で、申し訳ない。どこかに穴があったら入りたい気分。編集長、これは明らかに僕のミスなので、ご心配なく。
実はこの駅寝ネタのほかにも5号内ではもうふたつの企画記事にも寄稿しているのだが、それらの文章表現には特に問題はなかった、と思う。

ただ、この駅寝投稿の誤字に関してちょっと言い訳をすると、屋外で野宿する場合には「験」の字よりは「険」の字のほうがふさわしいのではないか、と思うことが野宿しているとよくある。野宿という行為は基本的に建物に守られて宿泊するときよりも危険因子を多くはらみながら寝ることが多く、自分の命は自分で守る、という意味である程度の覚悟が要る行為であったりする。
例えば、天候の急激な悪化によって深夜に風雨が強まったり、虫や蚊がブンブン飛んできたり、それ以上の大型動物もやってきたり(夏から秋にかけての北海道・東北地方の山中では熊が現れる可能性もある)、地元のやんちゃな若者たちがど派手な改造車でうるさく襲来したり、主要駅での駅寝では駅前の警備巡回をする警備員に蹴飛ばされたり(警察官による職務質問もあるな)、ということもある。そう考えると、野宿という行為は場合によっては結構危ない行為で、「険」の字でもあながちハズレではないだろう、とも思ってしまう。まあこれはあくまで誤字の言い訳なんですけど。
だが、多くの“野宿人”はそれらの危険因子をできるだけ排除してできるだけ快適に泊まれるように日々努めているだろうし、そういった事象への処方箋的な役割も『野宿野郎』で担っているように思う。

そんなふうに、実はこれまでに発刊された1~4号でも放置したままにしておくと販売などで協力していただいている方々に、つまり対外的にまずいだろう、という誤字脱字が非常に多かったのだが、売れて増刷するごとに訂正したりして、一応は良い方向には向かっている。たとえ全国的にはほぼ無名で手作り感満載のミニコミ誌であっても、値段を付けて販売する以上はあまりにそれが多すぎて質が悪いままだとまずいのではないか? というかなりマジメなことは、5号巻末のお知らせの項にもあるように「4号校正係」の立場として昨年、編集長にも直接伝えてある。
そして今回の5号でも誤字脱字はいくつか見られるのだが、これまでよりは致命的なものはそんなに多くなく(でもあることはある)、今号は全体的に編集長の目指す文学誌っぽくなってきたかな、という印象を受けた。

さて、すでに初版1000部も製本してしまった5号だが(そのうち数十部はすでにはけている)、今後の売れ行きはどうなるものか。『野宿野郎』のいち関係者として、僕もこの冊子の今後の動向は常に注視していく。

ちなみに、『野宿野郎』の表紙には毎回、表紙モデルの人が1~2人登場しているのだが、今回の5号は計3人であった。で、このうちのひとりが、実は最近もよく会っている僕の大学時代の後輩だったりする(本ブログでも、昨年の投稿で実名は挙げなかったものの、呼び方を変えてちょこちょこ登場させている)。さて、誰でしょう? 
正解を知りたい方は、5号を買って、かとう編集長たちと実際に野宿をして、確認してほしい。まあ今のところは野宿地は編集長の身近な東京都内ばかりになっているが、今後は他地域でも実施されるのではないか、と思う。というか、僕個人的にはプロレスや大相撲の地方巡業のようなそういうカタチも結構面白いんではないか、と勝手に思っている。

ミニコミ誌『野宿野郎』の新年会、というか“幹部会”  

2007-01-07 17:00:12 | 野宿

6日夜から7日朝にかけて、ミニコミ誌『野宿野郎』の新年会野宿が東京都を東西に流れる多摩川沿いのとある場所であり、僕は所用でかなり遅刻したが(すでに上の写真のような夜景が見える時間)、一応は参加した。

ただ、今回はこれのかなり深い関係者のみが参加する催しだったため、まだそんなに深くはかかわっていない僕もそのひとりからメールで急に開催の連絡を受けた。
6日夕方まで続いた大雨の影響で一旦延期、という報も受けたが、その後は天気は急速に回復し、月と星明かりの強い晴れやかな夜空になり、結局は夜から始まったその催しには計9人集まった。
しかも、参加者の大半が『野宿野郎』に1、2年前からかかわっている古株の方々で、野宿野郎歴はまだ半年ほどの新参者の僕としては聞き役に徹し、こういう人たちがいるからこそこの濃ゆいミニコミ誌が成り立っているのか、と感心しきりであった。

そのため、かとう編集長以下、今回ここに集まった人たちというのはただの野宿参加者と言うよりは、言い換えると最近の誌面の制作に深くかかわっている“幹部”とも言えるため、一般企業で言うところの重役会議のような、まさに“幹部会”という様相を呈していた。でもこの集まりの議題というか主旨はあまり一般的ではない「野宿」なんだけど。

みんなでキムチ風味の鍋や網焼きの肉類および黒はんぺん(静岡名物)などをつつきながら、かとう編集長から参加者全員に昨年末にやっと刊行された『野宿野郎』最新5号が手渡され(参加者のほぼ全員が今回の寄稿者でもある)、さらに盛り上がる。そして、寝に入る人が出たり野宿しない人は帰宅したりして宴席がお開きになったのはやはり7日の深夜3時すぎとなり、僕も過去3回参加した野宿と同様に3時間弱の睡眠時間となった。ただ、今回の会場となった場所は平地のわりには人通りが少なく、深夜にうるさいクルマが侵入することもなく、晴れればかなり快適な寝場所であった。
ちなみに、僕は今回の寝袋に、いつもは厳冬期の雪山登山や北海道うろつき旅にしか使用しないマイナス25度対応のダウン製の寝袋(イスカ・デナリ)を選択したため、地面が冷えていようがちょっとの風が吹こうが快眠であった。そういった寒冷地ではないため、逆に暑いくらいだった。ただ、大きくて重くてかさばるのが難点で(1700g)、年に1、2回しか使わないものなんだけど。

そして朝、周りに散歩などで訪れる地元の人が増え出して撤収するときに最終的に居合わせたのは僕を含めて5人であった。風がやや強かったが良い天気で、絶好の野宿日和であった。

なお、今回の『野宿野郎』5号は雑誌『週刊新潮』1月4・11日新年特大号182ページ下部の記事でも取り上げられているように、初版からいきなり1000部も刷って大勝負に出たということで、編集部内は現在てんやわんやの状態らしい。
ウェブサイト内で行なっている通信販売の注文もかなり来ているようで、発送作業などで今まで以上に人手が要るため、最近、本格的に認知された? 編集部員も増員された。各種媒体に取り上げられる回数も増えてますます昇り調子になっているが、果たして今後どうなるものか、見届け人のひとりとして、引き続き要注目である。近々の発送作業を手伝いたい! と名乗ると、編集長からとても感謝されて、1冊くらいは無償で分けてもらえるかも。

で、僕も寄稿した5号の印象については後日触れることにする。ちなみに、今回の5号に寄稿したり、ほかに編集作業の一部も少々手伝っているため、僕も一応は『野宿野郎』の幹部のひとりに含まれているようだ。自分ではまだ“幹部候補生”のつもりだったのだが、とりあえず、光栄なことである。

2006年の野宿話、こんな場所で寝てみた

2006-12-19 11:30:47 | 野宿
今日は19日ということで、ミニコミ誌『野宿野郎』でも重要な日と位置付けているこの日に、今年僕が野宿した場所の写真をもとに、今年の旅を振り返る。
と言っても、今年は特に上半期は拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の出版の準備に大幅に時間を取られ、例年に比べるとあまり旅も野宿もしていない低調なほうの年なのだが、まあそんななかでも印象的な場所はいくつかあった。



2006月2月16日、香港・ヴィクトリアピークの展望台付近の公園。香港の一大観光地の間近で寝た、という結果自体よりも、僕が前月に30代に突入してから最初の野宿地が珍しく外国になったということで、個人的に印象深い場所となった。



2006月7月30日、東京都中央区築地の勝鬨橋付近。ミニコミ誌『野宿野郎』の催しで、ここで寝袋も新聞・ダンボールも使わずに着の身着のままで就寝した。暑いからまあそんな格好でも安眠できた。周囲には“同業者”もたくさんいたし、大都会・東京のど真ん中であえて野宿するという試みは新鮮で面白かった。かとう編集長はもっと東京のど真ん中(JR山手線よりも内側の、大企業のビルが林立するあたり)での野宿も企てているのだが、またどこかでやりたいなあ。



2006月10月3日、北海道倶知安町のJR倶知安駅。この東側にそびえる羊諦山登山を朝から始めたかったので、駅で前夜泊した。というか駅舎は最終列車の運行が終わると出入口の鍵がかかるので、外寝か。僕個人的にはこの形態も「駅寝」と呼んでいる。



2006月10月21日、長野県中央部の上高地、徳沢キャンプ場。『野宿野郎』ではこのような管理された有料のキャンプ場のテント泊は「野宿」ではないのでは? というこだわりもあるが、僕としては人為的で過剰な屋根や光熱に安易に頼らずに寝ている、という点では「野宿」に含めてもよいと思う。
ちなみに、テントを見ると、緑色のほうは山行に同行した先輩が今秋新調したICI石井スポーツオリジナルのゴアライトX(1~2人用)。青色のほうは、僕が8年来愛用しているアライテントのゴアライズ1。



2006月10月24日、長野県松本市、松本電気鉄道の西松本駅付近の河原。JR松本駅から徒歩15分ほどの場所。松本には数十回訪れているがここで寝るのは初めてで、良い寝場所を見つけたな、とほくそ笑んだが、こうしてここで公表して場所がわかってしまうと意味がないか。でもおそらく、いつかは再びここで野宿するだろう。

ミニコミ誌『野宿野郎』の高尾山頂野宿に参加した 

2006-09-19 19:00:35 | 野宿
2006年9月19日、東京都八王子市にある高尾山の山頂にある二等三角点(599m)。そしてその後方にあるのが、今回、「野宿野郎」たちが「のじゅくの日」を祝い、寝床にした東屋。(おそらく今年一番の)この上なく清々しい朝を迎えることができた。


昨夜から今日の午前にかけて、16日に発売された週刊誌「AERA」06年9月25日号の63ページでも取り上げられたミニコミ誌『野宿野郎』の野宿の催しに参加した。今回は東京都八王子市の高尾山(599m)の山頂で行なわれた。僕は7月下旬の銀座→勝どき橋野宿に続き、2回目の参加。

これは『野宿野郎』のウェブサイト内にあるブログの、9月19日の「のじゅくの日」を祝う? という告知で知ったのだが(なぜこの日に設定しているのかは、『野宿野郎』本誌もしくはウェブサイト内のブログを参照のこと)、昨日は台風の影響もあって夜も雨が降るのか否かが気になり、しかも前日に友人と終電まで飲みに行ったおかげで二日酔いだったこともあって体調もやや悪く、行くのを少し迷っていた。
が、ブログの告知最後の「来れるもんなら来てみやがれっ!」というかとう編集長の挑発的な文句が引っかかっていたので、登山に一家言ある僕としては、たとえいかにも観光地という様相の高尾山であったりなかったりしても一応はそこもれっきとした山で、そうなると聞き捨てならんっ! なんか登山者全体が舐められている気がするぞっ! ということで、なにくそっ、と少々興奮しながらその話に乗ることにした(最近、かとう編集長の文体が伝染しつつある)。

ただ、僕は19日は休みではあっても18日は出勤だったので、野宿の前段階の高尾山中腹で夏期に開設しているビアガーデンに行く話と、それに合わせて運行時間を21時すぎまで延長しているケーブルカーには間に合わず、京王線高尾山口駅に22時すぎに降り立った僕としては、山頂に行く方法は山麓から歩いて登るしかなかった。
で、22時30分にケーブルカーの山麓駅を出発し(すぐそばに旧環境庁が整備した「東海自然歩道」の起点の碑がある)、申し訳程度にある外灯の蛍光灯の明かりと、携行したヘッドライトの白色LEDの明かりを頼りに、真っ暗で人気のない参道を額や背中から大汗をかきながら登り詰めていった。
心配していた天気は夕方から徐々に良くなり、登り始めた頃からは空には数日ぶりに星が瞬いていた。途中、ケーブルカーの山頂駅からは東京都心や横浜の夜景がバッチリ見え、しばし見とれたりもした。
そういえば、高尾山は過去に5、6回あらゆるルートから登ったり降りたりしていて慣れているつもりだが、真夜中に来るのは初めてで、いつもと雰囲気が違う。明るい日中とは異質の真っ暗闇の景色のなか、“ひとり肝試し”状態で風の音を聞きながら進む。
ただ、山頂手前の薬王院は夜間は通行できないために1か所だけ道に迷い、日付が変わる0時までに山頂に到達できるかどうか微妙だなあ、と少々焦りながら、真っ暗闇のなかでほかのルートを探りながら早足で進む。やはり夜の登山は暗いぶん難易度がちょこっと上がる。

そして結局は山頂には0時の3分前に辿り着き、なんとか日付が変わる前に告知にある山頂そばの東屋でほかの参加者と合流できた。今回は翌19日が平日ということもあってか編集長を含めて3人編成と少なく、僕が飛び入りで加わって4人になった。
ホントにある意味奇特な全員が揃って19日を迎えたところで「のじゅくの日」を祝うクラッカーを鳴らし(まあ今回はほかに誰もいない山頂だから周りにそんなに迷惑にはならないか)、これまた祝いのケーキが振る舞われ、その後は各々が持ち寄った酒やつまみを飲み食いしながら、こぢんまりと、だらだらと、ゆるゆると、今後の野宿企画の展望や下ネタを交えながら、深夜の山頂で「のじゅくの日」を噛みしめた。結局、全員が寝袋に入って寝る体勢に入ったのは今回も3時頃だった。
ちなみに、僕は今回は大学時代から12年来愛用しているゴアテックスを採用したシュラフカバーのみで寝た(東京都新宿区高田馬場の登山用具店・カモシカスポーツオリジナルの青色)。山岳部・ワンゲル出身者ならわかると思うが、今の時期の標高の低い山や北海道以南の平地であれば、寝るときはこれだけで充分なのよね。

そして翌朝、と言っても寝付いてから3、4時間しか経っていない6時か7時頃に太陽の陽射しがカッと力強く照る頃になると各々が適当に起き出したが、湿度は低くてよく晴れた清々しい朝になったため、僕以外の3人は2度寝に入り、結局全員が再び起きたのは9時前になった。
実はその間にもほかの登山者(大半が50代以上と見られる)がぽつぽつと山頂に登ってきて、東屋を占拠している僕らに対する白い目もうすうす感じていたので、深夜の酒宴の残り物を少し味を変えてから片付け、身の回りを掃除し、10時すぎに東屋を離れた。

一応ここでの野宿について補足しておくと、高尾周辺は明治の森高尾国定公園の範囲内なので、国立公園と同様に指定地以外の場所でのキャンプ(テントの設営)は不可であるが(テントは法律上は建造物とみなされるため)、寝袋のみで寝るぶんには何も問題はないはずだ。それに、たとえ国立・国定公園内であっても、東屋という人工物の床やベンチ(木・コンクリート・モルタル)の上に長期滞在するわけではなくひと晩だけお邪魔するだけなんだから、すでに自然のなかに思いっきり人の手が加わっているその上であればテントを張ってもべつに問題ないと思うのだが、お役所関係の方々、どうだろう? まあ今回は天気が良かったので寝袋だけで済んだから良かったけど。

さすがにこの時間になるとすでにケーブルカーの運行は始まっているから、僕らが山頂から下山しているときは逆にふつうに登ってくる登山者と多くすれ違った(平日午前なのに、50~60人くらい)。やはり東京都内でも特に有名で交通の便も良い山だから、そのくらいの人数は日常茶飯事か。
それにしても、参道は下水道や環境整備の工事を施している箇所が多く、登山者の通行にも響いていたのだが、なんでだろう? というのが昨夜から気になった。以前は工事なんてほとんど見かけなかったが。現在、麓で延伸工事中の圏央道の影響なのだろうか。

そして、11時すぎにケーブルカー山麓駅、さらに徒2分の高尾山口駅に到着し、ここで解散。また野宿のあとのやや寝ぼけた頭と汗でべたついた肌を家へ持ち帰ることになった。しかも平日なのでちょっとした罪悪感もあるが、でもまあ、ちゃんと休みを取ったりして時間を作ったうえで「高尾山頂で野宿する」という確固たる意志のもとに4人とも集まった(と思う)から、何の目的もなく惰性で生きている人よりは少しは僕らのほうが主体的に行動しているぶんましだと思う。そう考えると『野宿野郎』でかとう編集長が言うほどは、現代社会のなかであえて野宿が好きだ! と公言したり、実際に野宿したりしたとしても、人生はそんなに低迷してはいないのかもしれない。

発行日は未定だが、近日中に発行されるらしい『野宿野郎』の5号に、今回の催しの感想か何かを書け、と下山中に編集長に言われたのだが、とりあえずは久々の夜間登山が楽しかった、ちょこっとだけ野生の勘を取り戻した気がする、ということしか思い浮かばない。僕は基本的に面白おかしいことは書けないから、難題だな。まあこれは宿題にしておいて、後日じっくり考えることにする。
また近いうちに野宿の催しがある、らしい。でもまずは5号の発行が急務なのかな。僕も誌面のどこかで登場するかもしれない。

ミニコミ誌『野宿野郎』主催の「野宿バー」でぐだぐだ  

2006-07-29 23:59:11 | 野宿
昨日の投稿でも少し触れた、僕が愛読しているミニコミ誌『野宿野郎』主催の「野宿バー」が昨夜、開催というか開店し、行ってみた。

ただ、『野宿野郎』のウェブサイトのなかのブログでは、当初は東京都中央区銀座1丁目のM公園で開店するという告知があったが、所用で遅れてしまって21時にここを訪れたときには誰もいなかった。しまったー! ガセネタだったのかー!! と一瞬思ったが、そのすぐそばにあった喫茶店で事務仕事をしながらしばし公園の様子を見ることにした。
で、23時に再び公園に行ってみたがやはり誰もおらず、試しに『野宿野郎』の関係者とすでに付き合いのある大学時代の後輩に連絡をとってみると、なんと、その「野宿バー」の面々と一緒にいて、その場所が隅田川に架かる勝どき橋のそばに移動しているということが発覚。
ということで、その現場に徒歩で20分以上かけて移動し、その集まりに合流した。

僕がそこに着いたときにはすでにできあがっている7人の男女がどこからか拾ってきたダンボールを敷いて横たわったり虚ろな目をしたりしていて、まったりした雰囲気が漂っていた。
そのなかにいきなり割り込んで大丈夫かな? と一瞬思ったが、よく考えると野宿好きの僕と同様にこの集まりは基本的に野宿愛好者の面々で、初対面の人が多かったが言わば“同士”のような人たちだからまあなんとかなるだろう、とここに来る途中にampmで買ったアルコール類などの差し入れを出しながら、さも当然のようにしぜんにその輪のなかに入った。

ここはほかにも野宿している人が多く、日付が変わる前からベンチに横たわっていたり、少し離れた公園っぽいところではレジャー用の安物テントを張っている先住民? もいた。すでにゆるゆるとダベっている今回の面子の様子を確認してこの集まりの雰囲気をつかみながら発泡酒やウイスキーを飲み、すでに宴の余韻に入っている感じのある種ぐだぐだな時間を楽しんだ。
今回の催しは僕が加わって8人になったのだが(途中で1人帰ったとか)、大半の人が初対面であり、知っていたのは「野宿バー」の主催者である『野宿野郎』のK編集長と後輩のふたりだけであった。ちなみに、今回の参加者のなかでブログの告知を見て実際にバーに来たのは僕を含めて2人で、あとの6人は常連さんのようだ。

8年前からの腐れ縁の後輩のほうはほぼ毎月会っているのて特に触れることはなし。そしてK編集長のほうも最近は地平線会議の報告会によく行っているとのことで、実はそこで以前に一度お会いしていたり、しかもつい先日もほかの催しでニアミスしていたりしたのだが、1対1でじっくり喋るのは今回が初めてであった。
『野宿野郎』のなかの掲載原稿の文体どおりののびのびというかゆるゆるな感じの人で(僕はまだ3号と4号しか読んでいないので、それだけで判断しているのだが)、野宿がホントに好きなんだな、ということを実際に確認できて良かった。
最近よく出版されている(一般的なホテルや旅館よりは安価な)1泊500~3000円程度で泊まれる相部屋形式の旅人向けの簡素な安宿(横文字で「ゲストハウス」とも言う)を紹介した本を見ても、その金額でさえ高い! 野宿なら無料なのに! という意見が編集長と一致したのがとても面白かった。

一般的には煙たがられたり変わり者扱いされるこういう話をふつうにできるこの集まりって凄いな、とこの面子と価値観が共有できたことに気分も良くなり、酒も進んだ。しかも編集長のような若い女子とこういう話ができるという珍しさも楽しい。やはり『野宿野郎』の誌面の印象どおり、編集長は強者である。本人はそうは思っていないだろうけど、この冊子を制作するのもかなりのエネルギーが要るだろうし、その行動力にも脱帽である。この人とこのミニコミ誌の動向はしばらくじっくり見続けていこうかな、と改めて思った。
少し前に連絡を取ったときに原稿依頼もされて、そのカタチで協力できるかどうかは未定だが、何かしらのカタチでこの人たちと今後もかかわっていくことを、深夜になってライトアップが消えた勝どき橋を見やりながら密かに決めた。

で、結局ダベりは日付が変わって今日の深夜2時頃まで続き、参加者は次々に寝袋に潜り込んだりそのまま仰向けになったりして寝ていった。今日は暖かいし雨の心配もなさそうだったので、僕は何も被らずに深夜まで飲みに行って終電に乗り遅れて途方に暮れたときのような感じで、そのままの格好で仰向けで寝た。ちなみに8人中2人は仕事帰りに直接来たので、ワイシャツにスラックスの格好で寝ていた。


2006年7月29日2:00 隅田川のほとりで就寝中の野宿野郎たち(中央下)。天気も良く、絶好の野宿日和ではあったが、寝場所のそばに植え込みがあるためか蚊が多かった。このうち数人はかなりの箇所を刺されていた。僕は日頃の行ないが良いからなのか? 今回はなぜか1か所も刺されなかったんだけどね。


そして朝5時すぎにひとりずつ起き出し(つまり、全員睡眠3~4時間)、太陽の陽射しがじりじりと強まり、川沿いを散歩やランニングする人の足音が徐々に増えて、しかもなぜか鳩の集団が僕らの周りにたくさん飛来するなかでゆるゆると後片付けをして、ゴミの分別をしてそれらを集積所に出したりもしながら、帰途についた。


2006年7月29日5:45 今回の「野宿バー」の案内。編集長の手書き。勝どき橋のそばは銀座のビル群のなかで寝るよりはたしかに寝やすかったが、次回以降は六本木あたりでの野宿を狙っていることを考えるとやや不完全燃焼な気もしたが、どうなんだろう?


今回の野宿者8人のうち僕を含めた6人は、深夜に寝る前に決めたこのすぐそばにある築地市場のどこかの食堂で朝食をとるために市場内を野宿後特有の重い足取りで30分ほど徘徊し、朝っぱらから観光客の行列ができて混んでいる店を避けながら適当な店を探し回り、結局は市場の入口近くの海鮮丼を扱う店に落ち着き、そこでマグロ丼700円をいただく。
で、食後は東京メトロ築地駅で僕は5人と別れて解散となった。ホントに最後までぐだぐだな催しであった。


2006年7月29日6:33 土曜日ということもあって、この時間から各種媒体によって人気の寿司店には20人以上の行列ができていた。朝っぱらからよう並びますわ、と彼ら彼女らの行動力に感心しながら、僕らに適当な店を探し回った。


だが、こういう良い意味でのぐだぐだ感も最近は好き。元々はこういう小さな催しの仕切りはきっちりしたいA型気質の僕ではあったが、ここ1、2年はゆるゆる、ぐだぐだの雰囲気も結構楽しんでいる。
これはおそらく、2002年からは沖縄県も旅するようになって、ここのおおらかさというか曖昧さのある「テーゲー」や、ちょっとの遅刻は気にしない「ウチナータイム」の概念を知ったことや、『野宿野郎』のような冊子に出合ってしまったからなのかもしれない。僕はここ数年、これらに影響を受けて明らかに体質が変わってきている。つまり、少々ものぐさになり、タモリがテレビ『笑っていいとも!』で見せるような適当さを少し身に付けたということ。毎回気を張り詰めすぎていても疲れるだけだから、気を抜けるときは抜いておこう、と緩急の差をつけることを習得した、という感じかね。
まあ旅でよく登ったり通ったりする冬山や沢や1ケタ国道などの幹線道路のような緊張感はこの街なかでは不要だから、こんなときに限ってはこういうぐだぐだ感も良いものだ。今後もそんな体で『野宿野郎』にはより注目し、ともに楽しんでいこう。