猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ⑥

2012年02月08日 23時59分31秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)⑥

 さるほどに、目連尊者は、獄卒共を打ち連れて、八大地獄へと急ぎましたが、地獄と

言っても様々です。目連は、

「いったい、あそこにも、ここにも地獄がありますが、どれがどれなのですか、教えて下さい。」

と、言いました。獄卒が答えるには、

「それでは、一百三十六地獄を残らず教えてあげましょう。これは無間地獄、あれは石

女(うまず)地獄、修羅道、餓鬼道、畜生道。地獄の数は語れど語れど尽きません。中

でも、餓鬼道の苦しみとは、飯を食べようとすれば猛火となって燃え上がるのです。」

目連はこれをご覧になって、

「さても不憫の次第である。我、娑婆世界へ帰ったなら、釈尊を頼み、御法(みのり)

の経を読誦し、母諸共に救い上げよう。」

とお思いになりました。そうして、様々な地獄を見ながらようやく八大地獄にお着きになりました。

 この地獄の高さは、鳳凰の翼を以てしても越えることは出来ず、その広さは限りがありません。

そして、湯の煮えたぎる音は、幾千万の大きな岩を落とすようなものです。獄卒は、目

連に、

「これより扉を開きます、中より出てくる猛火で、焼けないようにしてください。」

と言いました。目連は、

「私は、無相神通の空体であるので、どうして焼けることなどありましょうか。」

と答えると、獄卒共は、ごもっともと思い、扉を開きました。すると、熱鉄の火炎が外

に向かって飛び出てきました。目連尊者は、構いもせずに火炎に中に飛び込むと、なん

でもありません。しかし、少しだけ衣が焼けました。これは衣を織った母上の娑婆での

執心が燃え落ちたのでした。

 そうこうしていると、獄卒が鉾(ほこ)の先に目連の母親を突き刺して、目連尊者の

前に献げました。驚いた目連は、さながら夢の心地で母上に取り付き、

「母上様、母上様、親子は一世の契りとは言いますが、私は神通の力をもって、ここま

で来たのですよ。」

と叫びましたが、母上は、かすかなる声でこう答えました。

「のう、娑婆の我が子が、ここまで来たのですか。ああ、儚いことです。私は、自分の

後世がどうなるのかも知らずに、人の命を滅ぼし、宝と言えば奪い取り、これらの罪科

によって、このような地獄の苦しみを受けるのです。ああ、苦しや、助けてください。」

と、哀れに嘆く有様を見た目連は、

「母上、この地獄の苦しみは、如何なる供養で免れるのですか。」

と聞きました。母上は、

「法華経を。」

と言いましたが、その時、獄卒は怒って、

「ええい、この地獄では、刹那の暇も許されぬのじゃぞ。さあさあ、いつまで休んでお

るか。」

と言うなり、母上を掻い摘むと、火炎の中へ投げ入れてしまいました。今しばらくとい

う目連の願いは聞き届けられませんでした。

 目連尊者は、一刻も早く娑婆へ戻り、供養をしなければならないと思い、閻魔王の所

へ戻ると暇乞いをしました。閻魔大王は、それそれと払子を振り上げると、目連尊者目

掛けて、はっしと打ち下ろしました。するとどうでしょう、目連尊者の魂は、たちまち

娑婆の身体に戻ったのでした。

 三月二十五日の冥途へ行った目連尊者は、四月八日の寅の刻にこの世に蘇って来たの

でした。これを見ていた千人の弟子達は、大変驚いて、皆尊者の回りに走りよりました。

そして生き返った目連尊者は、冥途の様子を詳しく語って聞かせたのでした。それより、

目連は、釈尊の御前へ出ると、どうしたら母が成仏できるのかを問いました。釈尊は、

こう答えました。

「七月十五日に当たって、十丈に床を祓い清め、百味の飲食(おんじき)を供えて、

万灯籠を灯し、施餓鬼を行いなさい。そして法華経を転読すれば、速やかに地獄の苦し

みから逃れて成仏するでしょう。」

 目連尊者は、釈尊の教えに任せ、七月十五日に床を飾り、百味の供物を供えて、万灯

籠を灯し、法華経を読みました。そして、過去の精霊(しょうりょう)七世の父母に至

まで供養されたのでした。まったく有り難いことです。こうして、十悪五逆の罪人達は、

地獄の苦しみを免れ、我も我も地獄から這い出てきました。また、母上はこの供養によ

って、たちまち仏となられました。さらに一切衆生、その外鳥類、畜類に至まで、皆々

極楽へと成仏したのでした。

 施餓鬼ということは、この時から始まったのです。末世の戒めもまた同じです。

上古も今も末代も、例(ためし)少なき次第とて

貴賤上下おしなべて

感ぜぬ者はなかりけり

おわり

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忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ⑤

2012年02月08日 22時33分42秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)⑤

 羅卜尊者は、やがて檀特山にやってくると、釈尊の元を尋ね、舎弟の契約をなされました。

それより、釈迦の教えに従って、日夜学問をなされ、今は名を、目連尊者と呼ばれるように

なりました。目連は、神通第一の尊者として衆生を済度されたのです。

 ある時、目連は、風邪の心地となり伏せた後、そのまま危篤状態に陥っていまいました。

もう亡くなってしまったと思った十大弟子、十六羅漢が驚いて、すがりつきます。人々

は、いくら神通具足の人であっても、生死の道には限りがあって、冥途へと行って

しまわれたのかと、嘆き悲しみましたが、どうも様子が変です。まったく死んだように

見えるのに、不思議と死骸の色も変わらず、温かいままなのです。

 さて、目連は身体から離れて、冥途へとやってきていました。渺々(びょうびょう)

とした広い野原に一人立っているのです。そこに、七人の僧が花かごを持って現れ、御

経を読んでいます。目連は、近づいて、

「如何に、御僧様、私は、十五歳で母に先立たれ、誠に深い恩愛の契りにより、ここま

で参りました。ここの人々はどこにいるのか教えて下さい。」

と、言いました。御僧は、

「ここの人々の住み処は、閻魔王にお聞きなさい。閻魔王へ行く道は、この野原を越え

たの向こうで聞くと良い。」

と言うと、かき消すように失せました。目連は、言われた通りに野原を渡ると、そこに

は広い河原が見えました。さらに歩いて行くと、一人二人、三人四人、十人ほどの子供

達が、河原の小石を集めて塔を積んでいるでした。ひとつ積んでは父のため、二つ積ん

では久離兄弟、我が身のためと回向しています。やがて、子供達は、花園山に遊びに行

きました。桔梗、苅萱、女郎花などの綺麗な花を折り取っては、花の匂いを楽しみ、花

笠をこさえて遊んでいましたが、日が西に傾くと、急に花を振り捨てて、積んだ塔も引

き崩してしまいました。それから、西に向かうと父恋し、東に向かって母恋しと叫びま

した。その声が峰に木魂すると、父が来たかと峰に駆け上がり父を探し、谷に木魂が落

ちれば、谷底に駆け下りて母の姿を探します。どこを探しても、父という字も母という

字も無いので、子ども達は、河原に倒れ伏して泣き叫ぶのでした。

 その時、地蔵菩薩が現れて、

「やあやあ、如何に子ども達よ。お前達の父母は娑婆にあるのだ。冥途での父母は、こ

の私であるぞ。さあさあ、ここへ来なさい。」

と言うと、子供達を錫杖で掻き集め、天の羽衣を掛けて寝かせ付けました。まったく

哀れなること限りがありません。目連は、これをつぶさに見て、その不憫さに涙を流し

ながら、地蔵に近づき、閻魔への道を尋ねました。地蔵菩薩は、

「あそこに見える大木の元に、姥が住んでいる。その姥に上着を渡して、道を尋ねなさい。」

と答えると、かき消すように失せました。それから、目連が大木の所までやって来ると、

さも怖ろしげな姥御前がおりました。(奪衣婆)姥は、目連を見ると、

「如何に御僧。御身の召したる上着を、こちらに渡しなさい。私は、しょうず川(三途川)

の姥である。御身に限らず、ここを通る者すべてを剥ぎ取るのが仕事じゃ。さあさあ、

早く渡しなさい。」

と言いました。目連は、

「仰せの通りに、上着を進ぜましょうが、閻魔王へ行く道を教えていただけますか。」

と言いました。姥御前は、

「お易いこと。この野原を通り過ぎれば、白銀(しろがね)でできた塀が現れ、その先

に黄金(こがね)の門が見えるだろう。そこが閻魔王の住み処である。」

と丁寧に教えたので、目連は喜んで上着を脱いで渡しました。姥御前は、これを受け取

ると、掻き消すように失せました。それから、目連は野原を渡り、ようやく黄金の門へと

辿り着きました。

 中に入ってみると、瓔珞(ようらく)を下げ、七宝を散らした柱で作られた八棟造り

の館がありました。庭には、金の砂(いさご)が敷き詰められ、草木はなんとも良い香

りを薫じ渡らせています。目連は、赤栴檀(しゃくせんだん)の木の元に立ち寄ると、

その木の下でしばらく休みました。

 すると、閻魔大王が獄卒を連れて庭に現れ、

「如何に目連、御身は、未だ、冥途へ来るべき人では無いぞ。いったいどうしてここま

で来られたか。」

と言いました。目連は、

「左様、娑婆よりここまで来たことは、外でもございません。十五歳で別れた母を一目

見るためにこれまで来たのです。どうか母に会わせてください。」

と、涙ながらに懇願しました。すると、閻魔大王は、怒ってこう言いました。

「御身の母は大悪人であるが故に、八大地獄へ堕罪した。その上、親子は一世の契りで

あるのだから、再び会うことなど許されぬ。早く、娑婆へ帰れ。」

これを聞いて目連は、

「それ、天地開けしよりこの方、有情(うじょう:衆生)は皆、父母の恩を忘れたこと

はありません。日頃より仏道修行を行い、一切の衆生が罪に落ちるのを助けようと志し、

難行苦行をしてきたのも、みなこれ、母の恩徳(おんどく)があったればこそです。

親孝行のために、母の居所を教えてください。」

と、頼みました。閻魔大王はこれを聞いて、

「これまでそのような例はないが、親孝行のためであるならば、仕方がない。

やれ、獄卒共、尊者の母は八大地獄に落ちておる。尊者にお供をして、母に会わせよ。」

と命じました。獄卒共は畏まったと、目連のお供をして、地獄を目指して急いだのでした。

つづく

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忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ④

2012年02月08日 20時30分56秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)④

 さて、一方がくまん殿は、父母の教えに従って、日夜の学問を怠らずに日々を送って

おりましたが、光陰矢の如し、巡り来る春秋を迎え送りして、今は早、御年十五歳になられました。

がくまん殿はある時、不思議な夢を見ました。王宮の母上が病気になり亡くなってしま

うという夢でした。がくまん殿は、正夢かと思いつつも、とにもかくにも戻って来いと

いう知らせと思い、都へ帰ることにしました。しかし、都を出る時に、母上から、僧に

なってから帰れと言われていたので、まず羅漢の所に行って、出家を願いでました。

羅漢は、これを許し、「羅卜」(らぼく:目連の本来の名)と名付けられました。

 羅卜は、解脱の衣を召され、三重の袈裟を掛け、その伝法四依(でんぽうしえ)のお姿

は、誠に有り難い限りです。やがて、羅卜は心細くも只一人、墨の衣に身をやつし、一

女笠(いちめがさ)で顔を隠して、細い竹の杖を突いて耆闍崛山を後にしたのでした。

 ようやく都の王宮に辿りついた羅卜は、早速に父大王に会いに行きました。大王は、

息子の帰京を驚きこそしましたが、押し黙って、やがてさめざめと涙を流しました。

不思議に思った羅卜は、

「私は、父母の教えの通りに僧となって、今戻りました。それを喜んでいただけずに、

お涙を流していらっしゃいますのはどうしてですか。」

と、聞きました。大王は涙の暇より、

「それは、外でも無い。お前の母が、七日前に亡くなったのだ。」

と、言えば、はっとばかりに羅卜も、なんということだ間に合わなかったのかと、父の

袂にすがりついて、消え入るように泣き崩れました。その座の人々も、げに道理、理と、

一度にどっと泣くばかりです。いたわしの羅卜は、涙の暇よりこう口説きました。

「父、母に再びお目に掛かると、固く誓ってきたのに、今はもう夢となってしまったか。」

羅卜は、天を仰ぎ、地に伏して、さらに嘆き悲しみました。

 そこに、衣一巻が運ばれてきて、母上の御形見であると、渡されました。羅卜は、こ

の衣をご覧になって、

「これは、有り難や。母上が私のために心を尽くして織ったこの衣も、最早、形見とな

ってしまったのですね。」

と、さめざめと泣くのでした。やがて、羅卜自らが読経して、しめやかに弔いが行われました。

母の葬儀が終わると、羅卜は、

『これからは、釈尊を頼み、さらに仏道修行を極め、父母の御ため、末世衆生に至まで

助けよう。』

と、思い定めると、大王に暇乞いをして、再び只一人、檀特山へと帰って行きました。

羅卜の心の内、哀れとも中々、申すばかりはなかりけり。

つづく