猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑦

2012年02月26日 00時18分20秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑦

 危うい所を国分寺で助けられた厨子王は、姿を忍ぶため、また籠に入れられ、お聖に

背負われて都へ向かいました。

 さて、その頃、先の右大臣、梅津の義次(よしつぎ)公は、杖を突いて歩くような年

になってしまいましたが、男子の世継ぎがおらず、それだけが悩みの種でした。そこで

梅津は、世継ぎを授けてもらうために、七条朱雀権現(しゅじゃかごんげん:下京区七

条七本松東入る朱雀裏畑町)で百日の護摩行を行い、日夜、参詣を怠らず、今日がその

満願の日でした。

 そこへ、皮籠を背負ったお聖が、ようようやって来ました。権現堂の傍らに皮籠を降

ろすと、蓋を開けて、厨子王を出しました。

「如何に若君、さぞや辛かったことでしょうが、都に着きましたぞ。愚僧は、これにて

帰りますが、目出度く世に出る日を楽しみにしておりますぞ。それにしても人目を忍

ぶ道中、まともな食事もさせてあげられませんので、おやつれになられました。お待ち下さい。」

と言って寺内を見ると、なにやら別棟の御房が賑やかなので、近づいて、

「旅の貧僧ですが、斎の一飯を」

と乞いました。すると喝食(かつじき:食事当番)が、数々の仏供(ぶく)の品々を、

結構な器に盛り立てて持ってきました。

「今日は百日満座のご法事があります。その仏供ですので、どうぞ。」

と、お聖に渡しました。お聖は、報恩の回向をすると、早速に持ち帰って、厨子王と共

に食べ始めました。食べながら厨子王は、

「これは有り難い。助かります。思えば姉上を置いて来た物憂き丹後の国ではあるが、

また命の親のお聖様の国でもあれば、恋しい国もまた丹後の国です。この度のご恩報に

私のこの御本尊を、形見に受け取ってください。」

と、言いました。お聖は、

「いやいや、もったいない。この度は、聖が命を助けたのではありませぬ。ただ、この

御本尊のお陰ですぞ。これからも随分、信心されて、肌より離さず掛けていなさい。愚

僧に形見をくれたいというのなら、鬢(びん)の髪を少しいただきますか。」

と、答え、互いに形見を取り交わすと、聖は、さらばさらばと丹後へと帰って行きまし

た。

 さて、厨子王が、再びかの仏供のお椀を取り上げると、どこからとも無く白鳩が飛ん

できて、お椀を持った手に止まりました。厨子王はどうしたものかと、じっと鳩を見て

いましたが、ある事に気がつきました。

「はて、我が国へ勅使が入らした時、父上を無実の罪に沈めたのも、白鳩が飛んで来た

からだった。いったい、鳩というものは、この様に人の手に止まるものなのか。どうも

おかしい。」

と、考え込んでいる所へ、上総の管領重連が郎等である横沼源六と源五の二人が、鳩を

捜してやってきました。

「こりゃ、こりゃ、見つけたぞ。さてさて、ここに飛んできたのも道理。金の土器の

お仏供に降りておるわい。さても賢い奴。おい、その鳥をこちらへ返せ。」

と、鳩を取り上げようとしましたが、厨子王は、しっかりと抱き取って、

「いや、この鳩は、それがしが手飼いの鳩。なんの印があってお前の物だと言うのか。」

と、わざと偽ると、源六源五は、顔を見合わせて、

「さてさて、野太いことをほざくわっぱだな。忝なくもその鳥は、上総の管領重連様と

言う偉いお方の秘蔵の鳥じゃ。我々は、水をやろうとして、ふと取り逃がしたのだ。そ

の証拠には、自然の鳥は人を恐れるが、その鳥は金の土器で飼われてきたので、それそ

のように、お前が持っている器に止まったのだ。この盗人め、踏み殺してくれん。」

と言えば、厨子王少しも騒がず。

「何、上総の管領重連殿の御鳩と言うか、ひょっとして、この鳥を先年、奥州までご持

参されましたか。」

二人は聞いて、

「はて、妙な事を聞くものだ。なるほど、奥州岩城殿への勅使の折持参し、旦那の望み

を達したが、それがどうした。」

と、答えました。これを聞いた若君は、横手を打って、立ち上がると、

「さては企んで、父上を無実の咎に落とした悪人は重連であったか。そうとも知らず親

子兄弟引き分けられ、様々と憂き目を見ること、思えば思えば腹立たしい。おのれも敵(かたき)。」

と言うと、懐中の守り刀を抜くや否や鳩を刺し殺して、投げ捨てました。驚いた二人が、

取り押さえようとすると、さらに厨子王は大音を上げて、

「陸奥岩城の判官正氏が二男厨子王丸とは、我が事なり。父の讒者を知る上は、仇を報

ぜずにおくべきか。さあ、切れるなら切ってみろ。」

と、刀を振り回して立ち向かいました。二人の者も逃してなるものかと、迫ります。し

かし、大の男二人には叶いません。既に危うしという所に、梅津の兵が押し寄せて何の

苦も無く、二人の者を打ち倒し高手に縛りあげたのでした。そこに梅津公が姿を現しました。

「やれ、正氏の二男厨子王丸、珍しや。我こそそなたの祖父、梅津の右大臣であるぞ。

委細はあれにて見聞したので、助けたぞよ。して、母や安寿は何処に居る。先ずはこち

らへ来なさい。」

と、声を掛けられたのでした。厨子王はあまりの嬉しさに、はっとばかりに駈け寄って、

祖父を頼りにここまで来たこれまでの事どもを、涙ながらに語るのでした。梅津公は、

「さても不憫なことをした。我も、讒言の業を調べていたが、確たる証拠も無く、これ

まで、徒に時を過ごしてしまった。しかし、今の委細を見聞する上は、この二人を証拠

として、重連が悪事を帝へ奏聞申し上げて、正氏を呼び戻そう。そうして、岩城の家を

再興するのだ。もう安心して良いぞ厨子王丸。ところで、家の系図はどうてあるか。」

そこで、若君は謹んで懐中より系図の巻物を取り出すと、梅津公に渡しました。梅津公

は、これを開いて拝見すると、満足気に、

「これに過ぎたる証拠は無し。」

と言って、大変お喜びになりました。その時、覚源(かくげん)律師(りっし:僧)は、

「お殿様、この度の御立願(ごりゅうがん)は、御世継ぎの御願いでござります。しか

るに、今日、満座の日に当たって、誠に不思議のご対面は、金言(こんげん:仏の言葉)

の御納受です。御勧請が叶ったということでありますから、厨子王殿を、お世継ぎとな

されませ。いよいよお家はご繁盛となられることでしょう。

 さて、厨子王殿の母上のことですが、只今、「坎(かん)」の卦(け)に当たっており

ます。「坎」は北であり水を表します。どうやら、北の方の離れた島にいらっしゃる様

です。また、「坎中連(かんちゅうれん)」の卦でありますからお命には別状ございませ

ん。中の一本が連なっておりますので、やがて追いついて対面なされるでしょう。」

と、占われました。喜んだ梅津公は、早速に誰か使わして、母の行方を尋ねさせようと

言いました。しかし、厨子王は、自分で捜しに行かなければ不孝になると、暇乞いを申

し出たのでした。梅津公は尚さら感心して、

「神妙であるぞ厨子王丸。それでは、それがしは、帝へよろしく奏聞して、正氏を呼び

戻しておくから、そなたは、母を連れて帰れ。やれ、侍共、厨子王が供の用意をせよ。

証拠の二人は逃がすでないぞ、先に連れて行け。さて、覚源律師殿、百日満座の大願成

就のこと、誠に有り難し、又改めてゆっくりとお礼を致そう。」

と、礼儀を尽くして館へと戻られたのでした。

つづく


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