猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ④

2012年02月25日 16時05分22秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ④

 頃は、十二月三十日。京丹後の国、由良の港には、山椒太夫という者がいました。今

年、八十七歳になります。山椒太夫の館では、大年を取る準備に大忙しです。ようやく

準備も整ったところで、太夫は、五人の子供達を集めて、

「まずは、今年も何事もうまく行き、無事に暮らしてこれたので満足じゃ。これという

のも、日頃より、下々にまで慈悲深く面倒をみてきたので、天道様からのお恵みに違い

無い。さて、そこで、最近やってき姉弟に、今日より役目を言い渡すこととする。すぐ

に連れて参れ。」

と、言いました。正氏の御子姉弟は、あちらこちらと売られ売られて、終に、山椒太夫

の館へ買い取られて来たのでした。しかし、姉弟は、父母が恋しくて泣いてばかりいま

した。太夫は姉弟がやって来ると、

「やあ、お前達は、何処の者で、名はなんと申す。」

と聞きました。安寿姫は、

「我々は遙か奥州の者ですが、姉は姉、弟は弟と呼び、定まる名前もありません。」

と答えました。そこで太夫は、

「はて、珍しい風習であるな。では、国郡(くにこおり)を申してみよ。」

と、言いました。安寿姫が、

「はい、所は、伊達の郡、信夫の里の者です。」

と、答えると、太夫は、

「むう、されば、その名を取って、姉は『しのぶ』、弟は、『忘れ草』と名付ける。姉の

しのぶは浜に下がり、潮を汲め。又弟の忘れ草は、山に登り日に三荷(が)の柴を刈れ。」

と、言って、鎌と負う子、桶と柄杓を姉弟に与えました。姉弟は、言葉も無く泣くばか

りです。これを見た太夫は怒って、

「ええ、初めて役を言いつけるのに、喜びもせず泣くばかり。やれ、三郎、今日は、年

の納めであるから、年明けて、正月の山始めより、折檻して召し使え。それにしても、

正月早々、このような泣き顔を見たくも無い。この姉弟を我らが居間より遠ざけて、

三の木戸の脇の藁屋(わらや)で年を取らせよ。早く連れて行け。」

と、髭を反り返して、怒鳴りつけました。遙かの門外の藁小屋に放り込まれた姉弟は、

寒さに震えながら、

「我らが国の習いには、忌み穢れのある者が別屋(べちや)に入れられることがあっても

何の穢れもない者をこのような別屋に押し込め、このような憂き目に合わせるとは、こ

れが、丹後の習いなのか。」

と、嘆き悲しみました。ろくに食事も与えられず、空しく日々を過ごし、やがて年も明

け、今は、正月六日となりました。姉君は、厨子王に、

「如何に厨子王。今朝ほど、山始めが一両日中のことであると聞きました。とは言って

も、我々には手慣れぬ仕事。どう頑張っても出来るものではありません。お前は、山に

行くならば、私に暇乞い等せずに、直ぐに山から逃げなさい。もし、世に出たならば、

私を迎えに来なさい。」

と、教えました。しかし、厨子王は、

「姉上様、今の世の中は、壁に耳有り、岩が物を申すと言いますぞ。このことが、太夫

の耳にでも入ったなら、どんな憂き目に合うかも知れません。落ちたいなら、姉上が落

ちなさい。」

と言って、聞きません。安寿は重ねて、説得をします。

「いや、そんなことを言うのでは無い。私は女であるから落ち延びても何の望みも無い。

お前は男なのですから、家の家系図をしっかりと守って、いつでも落ちられる様に覚悟

するのです。」

と、姉弟で言い争っている所を、なんと、事もあろうに三郎に立ち聞きされてしまった

のでした。驚いた三郎は、藁屋に跳んで入ると、姉弟を引っ立てて、父の前に連れて行

きました。

「父上、こやつらが、互いに落ちよ、落ちよと言い合っていましたので、召し連れました。」

と三郎が言うと、太夫は、目玉をむいて睨み付け、

「やあ、お前達を十七貫で買い取って、まだ少しも使わぬ内から、早、落ち支度をする

とは、何事ぞ。それそれ三郎。どこの浦に逃げていっても見間違わぬように、こいつら

が、額に焼き印を付けよ。」

と、三郎に命じました。三郎は、炭火をおこすと、鏃(やじり)を真っ赤に焼き、姫君

の黒髪を手にくるくるとひん巻くと、膝の下に押さえつけて、その額に焼き金を十文字

に押し当てました。厨子王は堪らず三郎に取りすがって、

「なんという、情けも無いことを。恨めしの三郎殿」

と、泣き叫びますが、三郎は、

「なにを、生意気な。お前も同罪じゃ。」

と、言うと、今度は厨子王の髪の毛をわしづかんで、無惨にも同じく焼き金を当てたのでした。

太夫は笑って、

「はは、お前らは、心より熱い目を見たな。よく分かっただろ。さあ、既に申し付けた

通りに、今から、姉は浜へ下れ、弟は山へ行け。ちょっとでも背くならば、今度は、叩

き殺すぞ。」

と、涙も情けも無い言い様です。姉弟は、どうすることも出来ず、姉は桶と柄杓を持ち、

弟は鎌と負い子を持って、泣く泣く館を後にしたのでした。

つづく


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