猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑧

2012年02月26日 16時55分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑧

 信心があれば福徳も又訪れ、有り難いことです。再会の誓いを立てた海に隔てられて

、北陸道から遠く離れた沖に佐渡島があります。母上は、この島に売られておりました。

労しいことに、明け暮れ姉弟の事だけを心配し焦がれていたので、とうとう両目を泣き

潰してしまいました。そのような浅ましい身体になってしまったので、粟の鳥を追う、

鳥追いの仕事をさせられ、千丈もある広い畑のあちらこちらを、よろよろと行き来して

は、鳴子の綱を引いては、泣き暮らしているのでした。

 そこへ、心も無い百姓の男と女が通りかかりました。

「おや、いつもの盲(めくら)が鳥追いに出ているぞ。なぶって、笑いものにしてやろう。」

と、近づくと、

「やあ、こりゃこりゃ盲。いつもの様に面白く、鳥を追って聞かせてみろ。恋しい人に

会わせてくれるぞ。」

と、からかい始めました。母上は、涙ながらに、

「ああ、恨めしや。何を言われようとも構わぬが、恋しい人のことを言われれば、心の

深い憂いが、またまた積もり重なって急き上げて来るわ。

ああ、安寿恋しやほうやれほう、

厨子王見たやほうやれほう、

鳥も心が有るならば、

追わずとも立て粟の鳥。」

と、鳴子の綱を引くのでした。百姓はさらに調子に乗って、

「やれやれ、おかしな事を言うものだ。我こそ、姉よ、弟よ。迎えに来ましたぞ。その

目を開けて、見てごらん。」

と、母上の手を取ってなぶるのでした。母上は、怒って、

「ええ、どうして、ここへ我が子が来るものか。またまた、通りがかりの賎共が、嘲弄

しに来たな。盲の打つ杖は、咎にはならぬぞ。ええ、こうしてくれる。」

と言うと、杖をめったやたらと振りまわすのでした。百姓達は、おお怖と、笑いながら

行ってしまいましたが、母上は悔しさに、一人杖を振り回し続けました。

 さて、由良の山椒太夫の館で、小八に助けられた安寿姫でしたが、三郎に受けた拷問

の為に足腰が立たなくなり、小八に介抱されなくては一歩も歩けなくなってしまいました。

それでも、母上が売られた先は、佐渡島であるという山角太夫の白状を頼りとして、な

んとか佐渡島に辿り着いたのでした。しかし、薬も無く、食べる物にも事欠き、その上

長い船旅がたたって、体力も気力ももう限界でした。小八は、安寿を休ませる場所を探

していましたが、辺りには何もありません。仕方なく道端の草の上に安寿を休ませることにしました。

「姫君様、しっかりしてください。ここは、母上がいらっしゃる佐渡島ですよ。これ

から母上を捜し、もうすぐ会うことができますぞ。お気を確かにお持ち下さい。」

と、励ましますが、やつれ果てた姫君の顔を見つめる外に出来ることもありません。よ

うやく安寿は、苦しい息の下で、

「おお、小八郎、頼もしいのう。私は、もうだめです。最期に水を飲ませてください。

お願いします。」

と、言うのでした。小八は余りに労しさに、

「はい、わかりました。幸い、今来た道に清水がありましたから、汲んで参りましょう。」

と言うと、急いで駆けて行きました。

 と、近くに安寿が居るとも知らない母上は、再び鳴子の綱を引き始めました。

「ほうやれほう、ああ、安寿恋しや、厨子王見たや、ほうやれほう、子供はどこに売られけん。」

その嘆きの声は、安寿姫の耳に届きました。それは忘れもしない母の声です。安寿は力

を振り絞って顔を上げると、そこに居るのは、恋しい母上の姿でした。どうやら目が見

えなくなって鳥追いをしているのだと見て取りました。安寿は必死に母を呼びました。

「のう、母上ではありませんか。」

と、立ち上がろうとしますが、激痛が走って立てません。なんとかして這い寄り、母の

所まで来ると、

「これ、母上様。安寿ですよ。」

と、裳裾にしがみつきましたが、母上は、またさっきの百姓どもが戻ってきて、悪さを

すると思い込んで、

「ええ、また最前のやつらが、からかいに来たのか。放せ、どけ。」

と、我が子とも知らずに、杖を振り回して、めった打ちに叩いてしまったのでした。哀

れにも安寿は、急所を打たれてぐったりと倒れました。

 そこへ水を汲みに行った小八が戻って来ましたが、この有様を見るなり駈け寄ってみ

れば、そこで、杖を振り回しているのは、御台様です。

「やあ、いったいどうしたことです。」

と、割って入り、

「これは、姉君、安寿様ですぞ。かく言うそれがしは、乳母姥竹の倅、宮城の小八。お

気は確かですか。」

と、小八は御台様を制しましたが、御台様の目が見えないことに気が付きました。

「ああ、なんという、御目が見えなくなったのですね。それにしても、姫君のお声が分

からなかったのですか、情けない。」

と、縋り付くと、ようやく母上は心付き、

「何、お前は姥竹が一子小八。やれ、今のは本当の安寿なのか。ああ、これは夢か現か。

我が娘はどこじゃ。」

と、叫びました。小八が安寿を抱き起こして、母上に抱かせました。

「のう、姉姫。この母のなれの果ての姿を見てくれよ。いつも、姉弟に会いたい見たい

と嘆くのを、里の百姓どもにからかわれ、今日もさっき、姉弟と偽る奴らが来たので、

わらわが心も分からずに憎たらしい奴らと、打ち払ったばかりの所へ、母上様と言う声。

てっきり、また最前の奴らが戻って来たと思って杖を振るったのじゃわい。それが、

本当の姫であったとは。なんという、悲しいことや。

 お前達に別れてより、恋しいゆかしいと泣き続けて、両目もこのように見えなくなっ

てしまった。我が子と知らずに叩いてしまったのも、この目が見えないばっかりに。

許してくれよ、安寿の姫。

 やあやあ、小八。なんということじゃ。姫の様態が悪い。大変じゃ。どこを打ったの

じゃ。」

と、母上は、安寿の手や顔をさすりますが、姫はぐったりしたまま答えません。母上は、

「ああ、愛しや。思わぬ憂き目に遭って、痩せ荒れ果てて骨ばかり。やれ小八、小袖は

無いか、暖めよ。これのう、安寿。顔が見たい。」

と、抱きついて嘆くのでした。最早、今際(いまわ)と見えた安寿の姫は、母上の嘆き

に、ようやく心付いて、最期の力を振り絞りました。

「ああ、有り難いお言葉をいただきました。わらわが命はそもそも覚悟のことですが、

母上様に会えないで死んだなら、黄泉の道の障りになります。只今、母上の御姿を拝む

ことができて、幸せです。

 邪険の太夫の手に渡って、姉弟共に死ぬところでしたが、弟の厨子王は身に替えて

落としました。その時、不思議と自らも小八に助けられここまで来ましたが、逆さまな

がら、ここで母上にお暇を申し上げます。自分が死ぬことよりも、母上様の両目が見え

なくなったことが悲しくて仕方ありません。

 頼むぞ小八、母様を。よろしく労って、都へ上り、厨子王丸に会いなさい。その時は、

由良の港の山路で別れた時が、今生の暇乞いであったと伝えて、回向するように言って

ください。 ああ、母上様、小八、さらばぞ南無阿弥陀・・・」

と、南無阿弥陀仏の声も弱々と消えて行きました。惜しいことに、花盛りの十五歳にし

て、安寿姫は息絶えたのでした。母上は尚も縋り付いて、

「ああ、安寿姫。ようやく会えたのに、母を捨てて何処に行く。やれ、小八。もう生き

ていても甲斐がない。殺してくれ、一緒に行かせてくれ。」

と、悶え叫ぶのでした。誠に哀れな次第です。小八も涙に暮れていましたが、

「その嘆きはごもっともですが、最早、姫君は帰りません。姫君は、女ながらもあっぱ

れ、男にも勝るお心ざしでした。この御心底を力となされ、亡き人の為に御回向してさ

しあげましょう。ところで、我が母、姥竹はどこに買い取られましたか。」

と、問うと、母上は、即答できずにしばらく黙ったままでしたが、やがて起きあがると、

「お前の母、姥竹も、一緒に売られて来たが、騙された悔しさに明け暮れ嘆く内に、病

となり、ついに空しくなられた。この胸に掛けてあるのは、姥竹が遺骨じゃわいのう。」

と、小八に渡したのでした。はあっとばかりに遺骨を顔に押し当てて泣きだし、

「こは、母様か。母様に会うことを力として、ここまでやっと辿り着いたのに、もう骨

仏になっておいでしたか。姫君も亡くなってしまいました。先に行ったのなら、冥途で

姫君をよろしくお頼み申します。南無阿弥陀仏。」

と、回向すると、涙ながらに小八は、姫君の死骸を背負い上げました。小八は、御台様

の手を引いて、墓場を探して歩き出しました。哀れともなかなか、思う任せぬ儚き憂き

世です。

つづく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿