≪昼休み≫
昼休みが終わるころ、最初に気づいたのはゆみだった。
「ねえ、かおちゃん、翔ちゃんのズボンぬれてる…」
かおるが車いすをのぞき込む。
「ほんとだ」
「わたし、せんせいに言ってくる」
ゆみが職員室に駆け出す。
「せんせー、翔ちゃん、おしっこしちゃったみたい。ズボンまでぬれてるの」
先生が顔を上げる。
「そう、しょうがいないわねー」
そう言いながら、先生はまた手元の作業を続ける。
ゆみがもう一度声をかける。
「せんせい…」
「あっごめんね、いま手が放せないの」
先生は顔をあげずに言う。
「…」
ゆみはまた駆け出す。
途中で良太とすれちがう。
「ろうか走っちゃ……」
良太が言いかけた言葉を変える。
「どうしたの?」
「翔ちゃんのズボンぬれてるの、取り替えてあげなきゃ」
ゆみの声が半分泣き声に聞こえた。
それから、ゆみは事務室の前で井上先生を見つける。
「先生」
「あら、どうしたのゆみちゃん」
「翔ちゃんのズボンとオムツ取り替えてあげて」
「そうね…」
「オムツと着替え、翔ちゃんの着替え袋に入ってるから」
「ええ、そうね」
返事はするが、先生は動こうとはしない。山下先生と同じだ。
ゆみはじれったさと、胸につかえる気持ち悪さを抑えきれずに叫ぶ。
「どうして? 翔ちゃん、困ってるのに」
目にいっぱい涙がたまっている。
井上先生がゆっくりという。
「大丈夫よ。もうすぐお母さんが来る時間だから」
ゆみはくりかえす。
「どうして…?」
先生がいう。
「それは先生の仕事じゃないの。お母さんのやることだから。ゆみちゃんが心配しなくてもいいのよ。」
「しごと?」
ゆみが初めて聞いた言葉のように、そうつぶやく。
「いいよ。もう」
良太がゆみの手を引っ張る。
教室に戻ると、良太がゆみにいう。
「おれが、ズボン脱がせるから、翔が動かないように押さえてて」
「うん」
そのとき、山下先生が教室に入ってきた。
「あんたたち、よけいなことしなくていいの。もうすぐお母さんがくるから」
「でも…」
良太が先生を見上げる。
先生はゆみの手をひっぱり席につかせる。
良太はろうかに出される。
5時間目の授業が始まる。
翔ちゃんはオムツもズボンもぬれたままで車椅子に座っている。ズボンがぬれていることよりも、教室の静けさにとまどったまま、まゆ毛が八の字になっている。じっと動かないでいる。いつものように、声を出すこともなく、車椅子を降りて、ひざで歩き回ろうともしない。
2年1組の小さな魂たちがひっそりしている。ゆみとかおるは、ときどき涙をぬぐっている。小さな魂たちの気配に気づかない二人の大人の声だけが、教室にひびく。
山下先生はいつものようの算数の授業を進めている。井上先生は、翔ちゃんのとなりに座って、翔ちゃんのノートに黒板の問題を書き写している。
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