ワニなつノート

分けること・分けられることの両側で(4)

分けること・分けられることの両側で(4)


【障害のあるふつうの子ども】


一般に誤解されているのは、子どもには、
「障害のある子ども」(障害児)と
「障害のないふつうの子ども」(健常児)の
二通りの子どもがいると思われていることです。

子どもを分類するには、いろんなやり方があります。
サッカーの好きなふつうの子どもと、
サッカーが好きじゃないふつうの子ども。

水が好きなふつうの子どもと、
水が苦手なふつうの子ども。

犬が好きなふつうの子どもと。
犬が苦手なふつうの子ども。

虫歯のあるふつうの子どもと、
虫歯のないふつうの子ども。
その他いろいろ。

で、障害について言うなら、
障害のあるふつうの子どもと、
障害のないふつうの子どもがいます。

だから、子どもの「障害」を見ないでいたら、
その子をありのままで受けとめているとは言えません。
それは、確かにその通りです。

専門家は、それに続けてこんなふうに言います。
「だから、障害を受容して、
その子に合った特別な教育が必要なのです」
「養護学校が嫌だというのは、障害を差別しているのです」


でも、おかしいですよね。(-。-)-゜゜゜
そこには「ふつうの子ども」が抜け落ちています。

障害のあるふつうの子どもの、
「障害」を
無視してはいけないのと同じように、
障害のあるふつうの子どもの、
「ふつうの子ども」も
無視してはいけないのです。

障害のあるふつうの子どもの
「ふつうの子ども」を見ないことも、
その子をありのままに受けとめることにはならないからです。


今まで、障害のあるふつうの子どもたちは、
「障害」を差別される以上に、
「ふつうの子ども」であることをなしにされてきたのでした。

誰にも相手にされず、
そこにいないように扱われてきたのは、
誰よりも、障害のあるふつうの子どもの、
「ふつうの子ども」でした。

コメント一覧

kawa
satoさんの「発見!}に「納得!」
こちらでは、よく新聞にも
「障害者と市民がふれあった」という見出しがあります。。
なんだか「障害者」は「市民」ではないの?別々に生きているの?って悲しくなります。
「市民」に障害のある人もない人もいる。
「ふつうの子ども」に障害のある子やない子がいる。
会や会報「分けないで」と何度も言ったら、
会に来ていた養護学校を卒業された方が、差別だと怒って出て行かれました。
上手に伝えられなくて、落ち込みました。
私たちも「障害のある普通の子ども」堂々と生きていきます。
yo
自分で読み返して、
「発見!」って思った(・。・)

差別されてきたのは、「障害」以上に、
その子どものなかの「ふつうの子ども」だった!
というのは、本当だって気がする。

だって、「障害児」は「障害児」だと見えるから、
差別されてきたんであって…、

でも、「障害児」のなかの「ふつうの子ども」は、
ごく少数の親以外には、
誰にも見えず、いないことにされていた。

それは、嫌われることや、
あっちにいけと言われること以上に、
苦しいことではないのかな。

なにより、私自身、このことを「発見!」
だと思うくらいだから、
今まで、聞いたこともないし、
ここまで自覚して書いたこともなかった気が
するけど…、どうだろ??
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