ワニなつノート

トラウマとフルインクル(その71)




《新しい能力メモ④》「他者と同調する能力」つづき。




「同調は、赤ん坊と養育者の間における相互作用…から始まり、相手にされ、理解されているという感じを赤ん坊に与える。」


「脳は体の各部を協調させ、リズミカルな動きをとらせ、他者の脳と一致して振る舞うように導く。」

「赤ん坊は誕生以前からすでに、母親が話すのを聞いて、音楽性を学ぶ」。(184)




ミラーニューロン(=共感能力を私たちに与える、脳と脳のつながり)


「ミラーニューロンは、赤ん坊が生まれると同時に機能し始める。誕生後6時間の赤ん坊たちに向かって、唇をすぼめたり、舌を突き出したりすると、彼らは即座に真似た。」


「模倣は、私たちの最も根本的な社会技能だ。
そのおかげで私たちは、親や教師、仲間の行動を自動的に身につけたり反映したりできる。」






親が自分の赤ちゃんと、何がどのように同調しているかをほとんど自覚していないと同じように、幼い子ども同士もごく自然に接するので、どのように同調が起こるか、ほとんど自覚していない。

でも、子どもたちには、それは「見える」のだ。


たぶん、それを見てしまった親が、就学相談会に来る。

「どの学校を選んだらいいのか迷っている」と口では言う。

でも、目の前にある子どもたちの同調する日常を疑ってはいない。

子どもが毎日楽しく保育園に通っているのなら、そこに確かな子どもたちの世界がある。



「迷っている」のは、それを「口にしていいのか」だ。


ことばが話せなくても発達障害と言われても、仲間と同調しながら、自分を確かめ自分を守り成長する姿を、日々実感している、その事実を、「口にしても」、誰も信じてくれないような気がするのだと思う。

そんな話は聞いたことがないから。


こんなふうに書いている私が、目の前に思い浮かべているのは、幼い子どもの姿ではない。

中学生のゆうきくんや、高校生のなっちやそらくん、成人したやっちゃんやまなちゃん、三十過ぎのおっさんになったヒデやこうちゃんや優くんの姿だ。


彼らが、いま、この社会のまんなかでふつうの生活をしている姿が、相談会にきて会場のあちこちで遊ぶ幼い子どもたちの姿に重なるのだ。


「人間は根本的に社会的な生き物であり、私たちの脳はともに働き、ともに遊ぶのをうながす様に配線されている。」



私は、そのことを疑ったことがない。

それを疑わせる子どもに、会ったことがない。



子どもは子どもの中で育つ。

そこから、人のなかで暮らす人に成長する。


それはスポーツの技術や音楽の技術の習得とは別の物であり、国語や算数の技術とも別の物なのだ。

日本語が話せるか、英語や中国語が話せるかとも別の物なのだ。

子どもの障害とは別なのだ。

子どもが障害をもちつつ安心して生きていくつながりや仲間の声を、子ども自身が「同調」を通して見出していく。

そのじゃまをしないで、古い慣習をひとつひとつ取り除いていくのが、私たちにできること。

私たちが、子どもを助けるとか、成長させることが「できる」訳じゃないのだ。


と、おもう。

いまは、なつやすみ。

なつやすみに、ひとりでいることの多い子どもの姿をみていても、時折「同調」はみえる。

言葉にするのは難しいけど、その子の「同調」の成長は、その子の「親」にだけ、確かに見えるものらしい。
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