ワニなつノート

「問う人」と「揺れる親」 (その1)


「問う人」と「揺れる親」(その1)



「障害があるのに、どうしてふつう学級なのか」
と問う人がいる。

「本当に子どもが望んでいるのか」
と問う人がいる。


「子どもの意志か?」「子どもの自己決定か?」
その「問い」の前で、揺れる親がいる。


そのとき、その問いに「確かな言葉」、「揺れない言葉」をもつ親は、少ない。

でも、揺れながらでも、ふつう学級を手放さない親がいる。


       ◇


それから9年後。親は同じ問いにぶつかる。

「障害があるのに、どうして高校なのか」

「本当に子どもが望んでいるのか」


問う人の問いは強まる。

「分からない授業を9年も受けさせられて、この上さらに難しい授業を受けさせることに何の意味があるのか」

「そもそも言葉もなく明確な意思表示もできない重度の障害児が、高校に行きたいと、どうして分かるのか?」

「本当に子どもが望んでいることなのか?」

「子どもの自己決定は尊重されているのか?」

その他いろいろ。


そのとき、揺れる親の、揺れは…。



問う人と、揺れる親によって、子どもの世界は左右される。

問う人は、子どもの世界をどのように知っているか?

揺れる親は、子どもの世界をどのように受け止めているか。


       ◇


先日、定員内不合格についての取材を受けて、改めて四十年分の「問い」と、「揺れ」を思い返してみた。

何を書こうとしているのか、まとまらないけど進めてみる。

(つづく)
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