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ワニなつノート

自分の「呪い」を解くための100のメモ㊽

《「障害」で子どもを語るのをやめる》

 

ダウン症とか発達障害とか「障害」で子どもを語るのをやめる。あるいは、「インクルーシブ」とか「特別支援」とか「教育」で子どもを語るのをやめようと思う。それより前に話すことがいっぱいある。

たとえば、この子が○○といわれる障害や病気をもって生まれたことが生物学的な事実だとしても、子どもの人生にもっとも影響を与えるのは、それではない。

出生時の条件よりも、家族やコミュニティに「安全なつながり」があるどうか。それこそが、「自分の命と生を生きる」上でもっとも重要な条件である。

健康に生まれたとしても、母親に「つながりの安全」が一つもないコミュニティでは、その日のうちに命を落とすことになる。日本というコミュニティでは、生まれたその日(日齢0日)に命を落とす子どもがいる。(2003年から2022年の20年で176人。)

 

        □

一方で、生まれてすぐ人工呼吸器を使う状態になっても、ふつうに保育園に通い、地域の小中学校、高校に通う子もいる。

その子どもたちは授業と同時に、《自身の個別のニーズに合わせて工夫し調整しながらふつうに生活していくことができる》ことを学んでいる。

私もその子たちのおかげで、そのような「この子の学び」のあり方に気づくことができた。

すると、過去の自分の言葉に疑問がわきまくる。

「この子が生きてきた日々の体験を、なぜ私たちはインクルとか特別支援という教育のフェーズで語ってきたのだろう?」

その人が家族や友だちと生きてきた日々の体験は、「呼吸器ユーザー」というフィルターを通して理解すべきことではない。

その子の学校生活も、呼吸器ユーザーとしてのフェーズで語られるのは、「子ども時代の一部」にすぎない。

だから私は、「障害」という言葉を使わずに、子どもたちの「子ども時代の物語」を語る言葉を探そうとおもう。

【写真:仲村伊織】

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