ワニなつノート

《分ける学校にしない設計》あるいは《分けられない学校にする設計》



《分ける学校にしない設計》
あるいは《分けられない学校にする設計》



1.《問題行動》



「45分、座っていられるか……」
ふつう学級のための就学相談会で、もっとも多く語られる不安の一つ。

「次のオリンピックまでにはほとんどの子が座りますよ」と話してきた。
いまのところ、クレームはない。

先生に受け入れる姿勢さえあれば、一年生の一学期に落ち着く子が多い。
中には、2年生、3年生になっても自主散歩に出かける子はいる。

なっちもやっちゃんもそうだった。

過去に数え切れないほどの子どもが、教室から「逃げ出す」ことを問題行動とみなされ、「困ります」「ふつう学級はムリです」と言われてきた。


ところが、「立ち歩く」ことを予定外の問題行動とみるのではなく、「教室」を出てもそこもまた「学習の場」である設計があった。


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2.《分ける学校にしない設計》


その学校はいわゆるオープン教室です。

『だから教室と廊下がオープンになっているという感じですが、工藤氏の設計の斬新なところは、「廊下」という概念を取っ払ってしまったところにあります。』


『「廊下」というのは従来は「通路」に過ぎなかったのですが、ここも「ワークスペース」と位置づけられて、遊びと勉強に兼用できる広い空間が取られています。』


『そこにはグループで使える大きめの机が置かれています。教室で勉強している子どもが、そこで調べ物をしたり相談することができます。つまり、子どもたちは授業中に『立ち歩き』ができるように設計されているのです。』


そのために、資料コーナーや、図書コーナーが同じフロア―の中に作られています。


『この学校では、「じっとしてる」ことだけが良いこととは見なされていないのです。友だちにたずねたり、資料を調べにいくために「動く」ということは、学習の形態の一部として、最初の設計の段階から認められるようになっているのです。』


この説明だけで、なんだかワクワクします。

こんな設計の学校だったら、逃げ出さないで「いっしょ」が守られた子がたくさんいたでしょう。

「分けられないでよかった」子がたくさんいたでしょう。

逃げて、怒られて、親に言いつけられて、怖ればかり重ねることから、守られた子が数え切れないほどいたことでしょう。


※(引用は、「いじめの解決 教室に広場を」村瀬学・言視舎、から)

※(紹介されているのは、工藤和美さん設計の博多小学校。)



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3.《通じない言葉を、「設計」としてつくることが、できる》


ここで紹介されているのは、いわゆる「障害児」の話ではありません。
映画「みんなの学校」のようなテーマではありません。


でも、私にはこっちの話の方が面白いし、刺激的な感じがします。


「学校をつくろう」工藤和美(TOTO出版、2004年)という本が出ているようですが、私は村瀬さんの本での紹介から、勝手にイメージしてこれを書いています。


私が好きなのは、次のような紹介の言葉です。


『教室の使い方としては、黒板を向いての一斉授業もあるわけですが、自分たちで調べることも大事にされています。それで教室の一角を外からは見えるようにしながら、子どもたちが籠れて、かまくらや秘密基地のように使えるようにも工夫されています。』


『さらに教室のある2階にはぐるりとテラスが取り巻いています。回廊になっているのです。走り回っても行き止まりがないのです。回遊路とでも言えるでしょうか。閉鎖された学校の空間で、どこまでも走って行っても行き止まりがないという空間があるのは、子どもたちには何よりの贈り物だと思います。』


「障害」の文字は何もないのに、これ以上に、「フルインクルージョン」を感じる言葉はないと思います。

本来、障害のある子が、安心できる場所、みんなと一緒にいながらも、「ちょっとほっといてもらえる瞬間」があることは、すべての「子ども」たちにとっても、「同じ」なのです。

「学校の話」をしているときに、「子どもたちには何よりの贈り物」という言葉を見つけることが、こんなにも予想外で、うれしいものだと感じるのは、私たちがいつも違う種類の言葉でばかり話しているからだと思います。


言葉にできない気持ち、言葉にはならない、お互いに大切なものを感じ合い、認め合うこと。
子どもたちが、本来もっている感覚を、大事にする「設計」というものがあるんだと、初めて知りました。


教室にいられない子のために、「クラスメイトが段ボールの隠れ家を作ってくれた話」を思い出しました。私が知っていたのは、そういう子どもたちの工夫の数々でした。


でも、もともとの学校という建物を、そういう工夫で包み込む「設計」があるのです、
そこには、大人の「包み込む能力」があるということでしょう。

そんなことを思いました。


※(Yahoo検索で「博多小学校 設計」と入力すると、一番上に「異なるカルチャーを結合するオープンなプロセス [博多小学校] 」が出ます。そこに、校内を映した動画があり、上記の説明の雰囲気が味わえます。)


※(博多小学校のHPを見ると、「きこえとことばと教室」や「さくら学級」という教室があるのが分かります。だから、私が願う「分けられない学校」かどうかは、また別のお話です。)
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