ワニなつノート

「問う人」と「揺れる親」(その2)


「問う人」と「揺れる親」(その2)


結論をひとつ、先に書いた方がいいと思う。

【結論1】

問う人の「問い」と、
親の「揺れ」は、同じ言葉を使うことがある。

でも、問う人の言葉と、揺れる親の言葉は、
まったく別のもの。


       ◇

「障害があるのに、どうしてふつう学級なのか」
と問う人と、
「障害があるけど、ふつう学級で大丈夫だろうか」
と揺れる親の、言葉は似ている。


「障害があるのに、どうして高校なのか」
と問う人と、
「本当に、この子が高校に行きたいと言い出すのだろうか」
と揺れる親の、言葉は似ている。


揺れる親は「子どものおもい」を、いつも分かりたい。
揺れながら、子どもに「ほんとうの安心」を贈りたい。


だけど、問う人は、答えを知りたいわけじゃない。


こんな当たり前のことを、私は言葉にしてこなかった。(-ω-)/


【り】《理解は遅れてやってくる。》

ああ、このカルタは今日も真実だ。
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