ワニなつノート

新一年生の「作法と手続き」について 2018(その1)



新一年生の「作法と手続き」について 2018(その1)


もし先生が、自分自身に、そして子どもたちに、学校生活の一日目から敬意を払うことができるならば、その先生はクラスの子に「敬意を教えこむ」必要はありません。

子どもたちは自然に他の子どもと、そして自分と「敬意をもって」向き合い始めるでしょう。



クラスに障害のある子がいるとき、もし先生が、「障害を含めてまるごと」の「ひとりの子ども」としてつきあう「作法と手続き」の経験があり、その「作法と手続き」で接することができるなら、その先生はクラスの子に、「障害のある子への配慮や説明」をする必要はありません。

子どもたちは自然に、先生のその子への「作法と手続き」で向き合い始めるでしょう。



その環境は、子どもたちにとって、「初めての、新しい、環境」なので、そこでの「人への作法、時間割やルールなど、学校生活の手続き」を、一つひとつ真似ていきます。

それは、言葉での「理解」と同時に進んでいきます。

だから、言葉での「理解」が苦手な子や、言葉より身体での理解から先に入る子どもたちにとっては、「言葉以外で、みんなが行なっている態度、行動、表情、に現れる《手続き》」を真似ることで、適応していきます。



たとえば就学相談会では、「45分座っていられるだろうか?」という不安が語られます。

でも、私は、自分の席に座れない子に出会ったことがありません。

授業中は自分の席に座るという「作法と手続き」を学ぶ(真似る)のに、かかる時間が違うだけです。

どれだけ時間がかかるかは、障害とは別の要因もたくさんあります。

その証拠に、低学年なら多動と言われますが、中学生で座っていない子たちは非行と呼ばれます。



また、言語障害といわれる発音が不明瞭な子どもがいるとき、先生が不明瞭に注意を向けるのでなく、その子の「ことばで伝えようとしていること」に耳を傾ける「作法と手続き」で自然に対応すれば、子どもたちもことばの「不明瞭」よりも、ことばの「かたりかけているもの」に耳を傾けるようになります。

そして、わずかな間に、先生の「聴き取り力」よりもはるかに高性能な「聴き取り力」の「手続き」力をつかいこなせるようになります。


それは、発音が不明瞭なことばを話す子どもに対してだけでなく、あーとかうーしか言わない子どもで同じです。

「あー」と「あ~」の違いを、子どもたちは苦も無く聞き分けるようになります。


保育園でも小学校でも、中学校でも、その「作法と手続き」の力は、先生は子どもたちにかないません。



新一年生にとって、学校も教室も、初めて出会う「新しい世界」だから。

子どもたちにとっては、そこに障害のある子がいることに何の不思議も差別もありません。

車イスの子やしゃべらない子、ピューっと走り去ってしまう子への興味や驚きや怖れは、差別や偏見ではなく、「初めて」のもの、コンタクトの作法も手続きも知らないことへのとまどい、の自然な表現です。

そこから、先生がどういう「作法と手続き」で自分たちに向かい合うのかが、子どもたちの「作法と手続き」を形作っていきます。


先生が、手のかかる子を「分ける作法と手続き」で向かい合えば、子どもたちもその作法と手続きを学びます。

子どもたちがみて感じて学ぶのは、新一年生の世界の「新しい」の作法と手続きなのです。




※《いることの能力》

「いることの能力」は、これらの「敬意や作法、手続き」の在り方によってもたらされるものです。

これらは「言葉で考えたり、思い出せる」場所ではなく、「手続き記憶」「情動記憶」と呼ばれる「潜在記憶」の領域にあります。

つまり、自転車の乗り方や、泳ぎ方や、故郷の風景のように、考えたり意識して説明できるものではない、ところに確かにある、ものです。

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