一人ディズニー見聞録

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ディズニー・ボールパーク② 信頼ゼロからヒーローとなったヘラクレス助っ人の「太郎」とは?

2022-06-23 07:37:00 | 野球
「昨日まではゼロ ゼロ 今日からは 彼がヒーロー すべてがうまくきそう ゼロがヒーローにはやがわり」。


これは、1997年に公開されたディズニー映画『ヘラクレス』内の劇中歌『ゼロ・トゥ・ヒーロー』の一部だ。同曲は死者の国の神・ハデス(本作の悪役)が、人間界に解き放った魔人たちを主人公のヘラクレスが退治し、一躍ヒーローになった際に使われた。今までは誰からも相手にされていなかった若者が、一日でヒーローになったことから『zero to hero(ゼロからヒーロー)』という歌が唄われた。


実は『ヘラクレス』が公開された同じ年に、日本のプロ野球界でもヘラクレスのように活躍した外国人選手がいた。その名は、ドゥエイン・ホージー。1997年にヤクルトスワローズに入団したホージーは、30代後半以降のプロ野球ファンにとって馴染みの深い外国人助っ人だろう。なぜなら、彼はプレイスタイルよりも人柄が個性的だったからだ。


<ドゥエイン・ホージー(1997-98)>

なんと、ホージーのヘルメットには当時若者の間で大流行していたプリクラのシールが大量に貼られていたからだ(全てのシールがファンからの贈り物だった)。さらに優勝時のビールかけでは、和服におもちゃの刀を持って登場し、練習中には「たけや~、さおだけ~」と叫ぶ等、底抜けて明るいムードメーカーのホージーは、チームメイトやファンからは大人気の選手だった(彼は大の相撲好きで曙太郎のファンであったことから、チームメイトからは「太郎」と呼ばれていた)。


しかしホージーは、野球を始めたのが19歳からだったこともあり、入団当初はボールを打っても前に飛ばず、投げたボールは相手に届かない等、野球選手としての能力の低さを露呈させていた。また、メジャーリーグでの活躍経験も無かったため、チーム内外からは「ダメ外国人」等と酷評の嵐が吹き荒れ、中でも監督の野村克也は「なんで、こんな使いものにならない選手を獲ってきたんだ。ワシはホームランバッターが欲しかったんや」とボヤくほど、ホージーは当初全く信頼されていなかった。まさに、信頼が「ゼロ」だった。


活躍できるか不安視されていたが、シーズンが開幕すると2戦目でホームランを放つと、その後もホームラン量産し、6月には月間MVP(その月で最も活躍した選手が貰う賞)を獲得。ホージーはユニークなキャラクターとは裏腹に、チームメイトの誰よりも早くから練習を行い、コーチから教わったことは自前のノートにメモする等、野球に対しては真面目に取り組んでいた。


練習熱心で真面目なホージーはその後も活躍し、夏のオールスター戦に出場(第2戦で活躍し優秀選手に選ばれた)。さらに、後半戦でもホームランを打ち続け、最終的に38本のホームランを放ちホームラン王を獲得し、さらにはチームのリーグ優勝と日本一にも貢献した。


一躍ヤクルトのヒーローとなったホージーだが、翌1998年は、相手チームから徹底的にマークされ打撃不振となり、さらに自身の怪我の影響でホームランはわずかに13本。チームも4位に終わってしまい、ホージーはヤクルトを退団することになった。日本在籍期間は僅か2年であったが、そのインパクトは凄まじいものであった。


入団当初、監督からの信頼が「ゼロ(zero)」であったが、その年には「ヒーロー(hero)」となったホージーは、まるでヘラクレスのような外国人選手だった。



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