一人ディズニー見聞録

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ディズニー・ボールパーク③ タワー・オブ・テラー・ジャイアンツ

2022-08-19 07:28:00 | 野球
「史上最恐」。

これは、東京ディズニーシーの大人気アトラクション「タワー・オブ・テラー」(以降「タワテラ」)がオープン直前に、テレビ等で流れていたCMのキャッチコピーだ。

2006年9月4日(月)にオープンした「タワテラ」は、東京ディズニーリゾートでは初めてのフリーフォールタイプのアトラクションだった。そのため、落下時には強い浮遊感を体験でき、アトラクションのオープン当時から「ディズニー史上最恐」というキャッチコピーが付けられていた。

パーク内で最も恐ろしいアトラクションとされる「タワテラ」だが、ファンからは絶大な人気を誇るアトラクションでもあった。オープン初日は、スタンバイとファストパスの列は共に長蛇の列となっていた。さらにその後、落下回数を増やすなどの期間限定プログラムが行われており、「タワテラ」は現在に至るまで多くのファンから愛され、そして恐がられるアトラクションとなった。

その「タワテラ」がオープンした同じ年、「タワテラ」のようにチーム成績が急激に上がったり下がったりしたプロ野球チームがある。そのチームとは、読売ジャイアンツだ。

2006年、原辰徳がジャイアンツの監督に復帰。前年5位に終わったチームを立て直すべく、ロッテから4番打者のイ・スンヨプ、オリックスから先発投手のジェレミー・パウエル、西武ライオンズから抑え投手の豊田清を獲得。大幅な戦力補強をしたジャイアンツは、シーズンが開幕した4月を18勝6敗と12の勝ち越しを作るなど開幕ダッシュに成功した。

しかし6月の交流戦で、高橋由伸、小久保裕紀、阿部慎之助などのレギュラー選手が相次いで怪我をして離脱。そのことが影響し、6月に8連敗。さらに、連敗を止めた直後に10連敗を喫するなどチームは大失速した。8月には最下位に沈むも、何とか持ちこたえて4位でシーズンを終えた。

2006年のジャイアンツは、まさに「タワテラ」のように急上昇した後、一気に急降下して元に戻ることはなかった。チームがこのようになったのはシリキ・ウトゥンドゥの呪い、じゃなくて、6月に起きた主力選手の故障による大量離脱が原因だった。原監督は自著で当時のチーム状態を振り返り、選手層が薄かったため、主力選手が故障するとその代わりとなる選手がいなかった、と告白した。

監督復帰1年目に「タワテラ」ジャイアンツを経験した原監督。しかし、その「史上最恐」の経験が、原監督を名将へと変える原動力となった。4位に終わったシーズンオフ。「技術のある選手より、体の強い選手が欲しい」と言って、怪我が多い小久保らの主力選手を放出し、前年日本ハムでリーグMVPやホームラン王等を獲った小笠原道大らを獲得。その結果、翌2007年はリーグ優勝を果たした。

さらに翌2008年は、ヤクルトの4番打者アレックス・ラミレスらを獲得し、2年連続優勝。そして、翌2009年は大型補強をせずに若手選手たちを起用して3年連続のリーグ優勝。さらに7年ぶりの日本一にも輝いた。また原監督は、その後も監督を続け、2012年~2014年でリーグ3連覇(2012年は日本一)、2019年と2020年はリーグ2連覇を果たすなど、ジャイアンツ並びに球界を代表する名将となったのだ。

2006年にオープンした「タワテラ」と同じ年のジャイアンツのチーム成績。同じ年に起きた「史上最恐」の出来事は、共に両者の人気を築き上げるきっかけだった。


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