和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『感謝の語り草』を語り継ぐ。

2024-06-11 | 安房
「語り継ぐ」ということで、思い浮かぶのは、
中島みゆき作詞作曲の「ヘッドライト・テールライト」。

   語り継ぐ人もなく
   吹きすさぶ風の中へ
   紛れ散らばる星の名は
   忘れられても

はい。このようにはじまっておりました。

昭和46年(1971)発行の『館山市史』のなかに
「関東大震災と館山」と題した箇所があり、そこにこうありました。

『 ・・当時の安房郡長大橋高四郎氏を中心として、
  郡役所職員、各町村首脳部が打って一丸となって、
  県当局への連絡、各機関への通報請願等をなした努力は、
  今でも感謝の語り草となっている。 』( p565~566 )

ところで、関東大震災は、大正12年(1923)9月1日。
この「館山市史」発行は、昭和46年(1971)7月1日。
まだ、関東大震災から50年に満たない頃の市史です。

倉地克直著「江戸の災害史」(中公新書・2016年)に

『  60~70年以上を超えると、口頭による伝承は
        不確かなものとならざるをえない。  』(p72)

とあります。そして昨年、関東大震災から百年がたちました。


さて、今年の一年一時間の講座を、どのようにまとめたらよいか?
どのように始めたらよいのか? と思う時に、まずここからにします。


「 『 感謝の語り草 』とは何だったのか?
   安房郡長大橋高四郎氏とは、いったいどういう方だったのか?
  『 県当局への連絡、各機関への通報請願等をなした努力 』
   とは具体的にはどのよなものだったのか?
   どうでしょう。あらためて『 安房震災誌 』をたどる試み。 」

はい。今のところ講習録は、このような感じで始めようと思うのでした。



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