和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

深く高く大きく面白い。

2022-01-14 | 前書・後書。
長谷川伸著「我が『足許提灯』の記」(時事通信社・昭和38年)。
この古本が函入りで300円でした。

うん。名前とエピソードしか知らない方なのですが、
いつかは読めればと思っていた人なので、この機会に購入。
はじまりをちょこっと引用しておきます。
小林栄子という老女が登場しております。

「・・中秋名月の日、滋賀県大津に宿をとり、
昼のうちに石山寺に詣で・・・宿にもどり、
夜になるのを待ち、石山寺で満月をみようと出かけてはみたが、
大阪の方からきた月見客の群集に揉まれながら、
石の多い路を足もとくらく上ることの覚束なさに、
ひとり瀬田川べりに佇んでいた。」

そこに、石山寺から下りてきた娘さんが


「どうぞなされてかと問うが如く顔を向けたので、
栄子は問わず語りに、上るのも大変なのでどうしようかと思って、
というとその娘さんが、ご一緒しましょう、
もう一度わたくし、おまいりしますと、
京都弁でいうより早くハヤ踏み出して栄子をふり返った。」

それから栄子は、石山寺の秋の月をながめ、下山します。

「・・振りかえりなどせずに行くその娘さんのうしろ姿を、
  真昼のような月の下で見送った。

 人混みにやがて紛れてしまったその娘さん・・・
 栄子はその娘さんを忘れかねて、宿にもどる心になれず、
 瀬田川べりをそぞろ歩きしているうちに、あの娘さんが
 ここの観音さまの化身でもあるように貴くおもわれ出した。

そのことを栄子が、昭和14年9月27日の夜、小石川の幸田家で、
幸田露伴に話すと、露伴は『その娘がおもしろいですね。
 そんなのを昔の人は観音様にしてしまうんですね』といった。
このことは『露伴清談』(小林栄子)にある。・・・・」

このエピソードをうけて長谷川伸は書いておりました。

「私には今いった娘観世音のことが深く高く大きく面白い。」
 (~p12)

ふ~。これで私は満腹。本文は、さらにエピソードが
続いてゆくのですが、私はこの本のはじまりと、
そして本の最後を読んで、それまでにして
その前に佇むようにしながら、本を閉じます。

そうそう。今日になってネットで古本を注文しました。
『露伴清談』(小林栄子)。
届いたら、引用の箇所を確認してみたいと思います。
そのとき、またブログにあげてみます。

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2 コメント

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Unknown (びこ)
2022-01-14 13:46:02
面白く読ませていただきました。寓話ですね。
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イソップ物語。 (和田浦海岸)
2022-01-14 15:11:39
こんにちは。びこさん。

読んでいただきありがとうございます。
うん。わたしは寓話というと、
イソップ寓話を思い描いてしまうので、
ちょっと違うような違和感があります。

『寓話』で辞書をひくと、
「教訓的な内容や風刺を盛りこんだ
たとえ話。『イソップ物語』など。」
とあります。

言葉の好き嫌いになりますが、
わたしには、『寓話』として
くくってしまうのには、違和感があります。

かといって、何なのだと
つっこみは、なしですよ(笑)。
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