杉山平一さんは、丸山薫追悼の文のなかで、
『 海のようにゆったりとしていて、そして、ずしりと勁いのである。 』
と指摘したあとに、ある詩の一部を引用しておりました。
興味深いので、その最晩年の詩『月渡る』をひらきます。
『月渡る』の詩のはじまりと、おわりの箇所とを引用。
月渡る 丸山薫
去年の終り頃から今年の春にかけての四ヵ月半ちかくを、
私は病院のベッドにいた。じっと寝たっきりだったせいか、
夜の明ける前には早くも眼が覚めて、そのまま朝を迎える
のが習慣になってしまった。・・・・
はい。あとは、この詩の最後の箇所を引用します。
夜を掃く朝の光に月はしだいに光を失って、
窓の西側の隅に押しやられていた。
そしてついにはそれも白く淡々しく、
スープ皿の一とカケラとなって空の奥に消えていこうとした。
そんな月に私はいつも心の中で『 さよなら 』と言った。
自分の命もまもなくあの影のように空間に帰するのだと思ったからである。
だがとたんにバカヤロー!
早く顔でも洗ってこいと大声叱呼を浴びせられた。
東の山の背からその日の太陽が昇り始めたのである。
杉山平一さんは、
『 海のようにゆったりとしていて、そして、ずしりと勁いのである。 』
と指摘したあとに、詩『月渡る』の最後の箇所を引用し杉山氏は記します。
『 私は、やはり勁(つよ)いな、と感動したのであった。 』
参考本
( p46 「四季終刊 丸山薫追悼号」昭和50年の、「その人と詩」より )
( p404~405 「丸山薫全集2」角川書店・1976年 )
なお、 詩は、私が勝手に行分けしました。
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