和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二十年忘れないでいてくれた。

2018-06-13 | 道しるべ
あらためて、「言葉の力」を思い浮かべる、
二冊の本がありました、引用しておきます。

一冊目は
伊達得夫著「詩人たち ユリイカ抄」(平凡社ライブラリー)。
解説は、大岡信。
解説のなかに、こんな箇所がありました。

「あるとき、伊達得夫は私にいった。

『おれ、売れねえ本ばかり出して、
みんなに珍しがれているけどね。
岩波だって古本屋から
ああなったんじゃねえか。
おれの目標は二十年ばかり先なんだよ。
そのころになると、
ユリイカに書いた貧乏詩人たちが
みんなえらくなってさ、おれは左ウチワですよ、
左ウチワ。ヘッヘッヘッ』」(p238)


二冊目は
山本夏彦著「私の岩波物語」(文藝春秋・単行本)

その「佐佐木茂索と池島信平」の章から
少し長くなりますが、引用。

「私がはじめて文藝春秋にコラムを書いたのは
昭和24年ごろである。・・・
そのときは児童雑誌について書かされた。
せいぜい二、三枚だったろう。
私が原稿を持参すると出て来たのが池島で、
これが名高い池島信平かと挨拶したら、
失礼して読ませてもらうと目を通して
突然海軍軍人の『不動の姿勢』をとって
『有難うございました』と言ったのでびっくりした。
その声にはこのコラムはよく出来ている、
文句はないという響きがあったので
私は安心すると同時に編集者には
こういう謝意の表しかたがあるのかと教えられた。

池島信平から学んだことはまだある。
以来池島は雑誌を送り続けてくれた。
書いたのはそのあくる年十四、五枚の
小論一編である。・・・・・
それだけの縁なのに十年十五年雑誌を
送りつづけてくれるのには恐縮した。
池島は私が文学青年でないことを承知している
けれども他日何か書かせたいと思っている。
だから一度や二度の執筆者に
永遠に送ってくるのだなと思った。
 ・・・・・・・・・
『諸君!』という雑誌は池島がかねがね出したいと
思っていたオピニオン雑誌だという。
その創刊号に私は一文を徴せられた。
昭和四十四年だから実に二十年たっている。
二十年忘れないでいてくれたのである。

私は勇んで二十なん枚の論文のごときものを書いたが、
勇みすぎてこれも不出来だった。
気にいらなかったが池島は気にいって、
創刊のパーティで言葉少くほめてくれた。・・
それきり書かないでいたが、
四年たった昭和四十八年頼まれて
『笑わぬでもなし』の連載をはじめた。
この時の編集長が現社長の田中健五である。
これは大過なくいまだに続いて・・・
『諸君!』がつぶれるか私がつぶれるか
どちらかだと言われている。」(p214~216)


最近読んだなかに
『おれの目標は二十年ばかり先なんだよ。』と
『昭和四十四年だから実に二十年たっている』と

ということで、
『二十年忘れないでいてくれたのである。』
ああ、これが「言葉の力」なのだな(笑)。
コメント
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