「新編柳田國男集」第八巻(筑摩書房)の解説は長谷川四郎。
そこに、
「さて新編柳田國男集の第八巻である本書に解説を書けと言われ、それを大いに光栄に感じて勇んでのこのこと出て来たのはいいが打者のポジションにつくまでに歩きながら、どう書こうかなといろいろ思案した末、仮にどうだろう、『俳諧復興の悲願』ということを中心に考えてやってみたら?」
と途中に書かれており、以下が解説の本題になるのでしょうが。
私が興味をもったのは、そのすぐ手前の箇所なのでした。
その手前では、「村と学童」について書かれております。
「・・しからば柳田國男の『村と学童』はどうだろう。なんだかとても不幸な本だったような気がする。『物心がつく』年頃の児童のために書かれたこの本の序文には、『昭和二十年七月』という日付が記入されているが、この昭和二十年は1945年で、この都市の8月6日は広島に原子爆弾が投下された日である。柳田國男のこの本は、おそらくは一冊も学童たちの手にとどくことなく終っただろう。そればかりではない。大東亜共栄圏などという『共同幻想』にも柳田國男はこの本のどこかで触れていた。思いやりの深い著者はこの本の受け取り手たちが疎開させられた学童であり、その教師たちであろうことを考慮に入れてだろう、それを書き入れておいたのだと私は想像する。自分の私的感懐であるが私は、不幸だった柳田國男と思わずには、これを書かないではいられない。」
ところで、新編柳田國男集第八巻には『村と学童』は入っておりません。
新編柳田國男集第十巻に「村と学童」の一部が抜粋されて入っております。
ちなみに、第十巻の解説は鶴見俊輔。
ということで、「定本柳田國男集」第二十一巻をひらくことになるのでした。
定本の第二十一巻は
こども風土記
なぞとことわざ
火の昔
村と学童
村のすがた
が載っている巻でした。
その「はしがき」は昭和二十年七月と日付がはいっております。
うん。その「はしがき」を、まずは読めてよかった。
と、思っております。
そこに、
「さて新編柳田國男集の第八巻である本書に解説を書けと言われ、それを大いに光栄に感じて勇んでのこのこと出て来たのはいいが打者のポジションにつくまでに歩きながら、どう書こうかなといろいろ思案した末、仮にどうだろう、『俳諧復興の悲願』ということを中心に考えてやってみたら?」
と途中に書かれており、以下が解説の本題になるのでしょうが。
私が興味をもったのは、そのすぐ手前の箇所なのでした。
その手前では、「村と学童」について書かれております。
「・・しからば柳田國男の『村と学童』はどうだろう。なんだかとても不幸な本だったような気がする。『物心がつく』年頃の児童のために書かれたこの本の序文には、『昭和二十年七月』という日付が記入されているが、この昭和二十年は1945年で、この都市の8月6日は広島に原子爆弾が投下された日である。柳田國男のこの本は、おそらくは一冊も学童たちの手にとどくことなく終っただろう。そればかりではない。大東亜共栄圏などという『共同幻想』にも柳田國男はこの本のどこかで触れていた。思いやりの深い著者はこの本の受け取り手たちが疎開させられた学童であり、その教師たちであろうことを考慮に入れてだろう、それを書き入れておいたのだと私は想像する。自分の私的感懐であるが私は、不幸だった柳田國男と思わずには、これを書かないではいられない。」
ところで、新編柳田國男集第八巻には『村と学童』は入っておりません。
新編柳田國男集第十巻に「村と学童」の一部が抜粋されて入っております。
ちなみに、第十巻の解説は鶴見俊輔。
ということで、「定本柳田國男集」第二十一巻をひらくことになるのでした。
定本の第二十一巻は
こども風土記
なぞとことわざ
火の昔
村と学童
村のすがた
が載っている巻でした。
その「はしがき」は昭和二十年七月と日付がはいっております。
うん。その「はしがき」を、まずは読めてよかった。
と、思っております。