グルメストアフクシマのブログ

男鹿にある大正七年創業の
お肉とお惣菜のお店グルメストアフクシマ
(有)福島肉店スタッフのブログです。

TOMOSU CAFE 「昔の喫茶店風カレー」

2023-02-09 12:36:47 | tomosu cafe

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

本日はTOMOSUCAFEで昨年からメニューに加わった当店のカレーのお話です。

カフェオリジナルのカレーとは別で「昔の喫茶店風カレー」という名前でご用意しております。

▲自宅でパックをあたためてごはんにのっけただけの図。(トモスでの盛り付け図が手元になくてとりあえずの投稿ですみませぬ)

こちら、当店でも販売していて珈音さんでも出されていたカレーです。

色々と話すと長くなるルーツやエピソードがあるのですが、「伝える」ことを今年は意識していますのでまとめたいと思います。

このカレー、珈音さんで出されていた牛煮込みカレーであり当店の冷凍ケースにいつも入っているカレーの事なんですが、ルーツは昭和、京都にあった「ほんやら洞」という伝説の喫茶店と称されているお店にいきつきます。

そうです、前回読んでもらった方には、色々つながると思うのですが、父基秋が京都での学生時代、そこで出会った辛めなカレーと珈琲の組み合わせです。

2015年に火事で焼失閉業してしまっていますが、ここをルーツにしたほんやら洞のうち、東京の国分寺にシンガーソングライターの中山ラビさんが1977年から引き継いだお店があります。(彼女は一昨年亡くなっちゃいましたが)

基秋は、大学時代(1973年~1976)京都で過ごしたのですが、

当時よく通った喫茶店の一つがこの「ほんやら洞」です。

多くの詩人や美術家、音楽家、文化人たちによって利用され、文化の発信拠点となったところとして有名です。先日投稿したイノダさんもそういった文化人が集まった事で有名ですが、ほんやら洞は文化を意識した店づくりで、詩の朗読会(後に作詞家となり音楽になる作品も多数)なども行われる等文化活動スペースがありました。浅川マキさんのLIVEもここで行われていたそうで、それも伝説級ですが、すごかったそうです。

現代のブックカフェ、ギャラリーカフェなどに代表されるカフェ文化の先駆けとなるルーツともよく言われます。

ここに集った人らが当時は無名でも現在ではレジェンドといわれる人達ばかりで、多くの人に影響を与えた事からも伝説の喫茶店といわれるようになりました。

ほんやら洞の説明で長くなってしまいましたが、基秋が、ここに行こうと思ったきっかけは、当時聴いていた音楽による影響が大きいです。

フォーク、ロック、ジャズなどの音楽雑誌をみていた際に、

当時反戦活動や差別撤廃運動、平和運動などを行いながらそれを音楽で表現していた人達が、そういった文化や活動の拠点となる喫茶店をつくる、という記事をみたようです。

そして、ほんやら洞が完成した一年後に丁度京都の大学に進学する事に決まり、上京と同時に行ったそうです。

これもプリンの話と一部重複しますが、こういった音楽の精神性のお話をしますと

基秋が小四の頃(1965年)P.P&Mによるボブディランの「風に吹かれて」のカバーを聴いて衝撃をうけた、てところまでさかのぼります。

歌詞を見ながら、その音楽性と主張に驚き、原曲のボブディランとはどんな人なのか、

と音楽やその精神性を深堀するようなっていきました。

音楽はもちろんのこと、平和を願った表現やその思想に大きな影響を受けたわけですが、

戦争や差別、公害、不条理な国家間での条約が問題となって続いていた中で、それらに対して「活動をしていた人達」も日本で動き出していた時期です。

60年代後半からタイムリーなのはベトナム戦争に対する反戦運動など、いわゆるヒッピー文化が日本にも広がり、反体制機運が高まり、実際にデモや表現活動と形にうつす人らが増えました。その象徴的なものが全共闘の学生運動が挙げられます。

基秋は影響を受けた音楽の表現の変遷も社会情勢と関係性が強いという捉え方で当時の記憶と結びついていて、後に子ども達(僕ら兄弟)も地球環境や社会と自分達の小さな選択の結びつきをなんとなく考える機会があったのでした。当時日本では高度経済成長期における大気汚染や水質汚濁、自然破壊、新幹線などによる騒音・振動などの公害問題も日本各地で顕在化し、深刻度を増していた時期。公害やこれに対する活動の話にもなります。

 

ほんやら洞では、この時代に前述した「活動をしていた人達」が集まっていて、基秋は影響をどんどん受けます。

こういった事と音楽と自然環境や食がつながっている感覚は、この頃からのものです。

食に目を移すと、効率重視で大量生産が一気に盛んになっていった時代。

農業政策は化学肥料や化学合成農薬の使用を前提とした食糧増産の路線を進み、近代農業が既に主流となっている時代です。レイチェルカーソンが沈黙の春を発表し地球の環境や生態系、資源の限界において疑問を持った人は少なからず今から60年程前にも世界各国で活動しだしていました。

「地球の美しさに深く思いを巡らせる人は、生命の終わりの瞬間まで生き生きとした精神力を保ち続けることができるでしょう。」byレイチェル

日本でもこの経済合理主義や農業の近代化、都市工業化に対して疑問を持つ人がでてきてはいても、圧倒的に「まずは食べる事」「まずは生活する事」が重視され「国」を盛り立てる事に価値観がおかれた社会。

農村社会にあった助け合う仕組みや伝統やライフスタイルまでも破壊する近代化のスピードはすさまじく日本古来の思想そのものも段々失われていった時代だと思います。まともな大人は本当に少ない。そう考えると、今、自分も後世に胸をはれるまともな大人として生きているのか、一つ立ち返る点です。

話は戻り、人間社会や自然生態系の存続を危機に陥れかねないと大量生産効率化をはかった近代農業に対して疑問を持ちはじめた人達が、前述した文化人には多く、京都から発信された考え、主張が広まった後押しになったと考えられます。

と、ここまでが、カレーの話の前置きです。…え!えええ本題まだなんかい!!!(笑)とても長い前置きですね、すっません(笑)

ほんやら洞のカレーは、原材料などは不明ですが、牛煮込みのスパイスのきいたコクのあるもので、珈琲とセットというもの。

そして、やっぱりそういう文化的背景もセットなので、お話せずにはいられなかったのでございます。

基秋はほんやら洞の他、秋田では「びすけっと」という角館にある喫茶店で「有機無農薬珈琲」とカレーというセットをこのお店が創業当時から食していて、そのカレーがやはり深入り珈琲に合うほんやら洞のものとそっくりと感じ、今振り返ると昔の喫茶店が様々な文化背景の中独自に生んだカレーの内珈琲を重要視しているところの味なのだなーと振り返り「昔の喫茶店風カレー」という名称が浮かんだわけでございます。

びすけっとの店主は登山が好きで両親も登山が好きでそういったつながりもあります。そして、「自然」や「手作り」「手仕事」を大切にされている方で色んな道具やバッグなど天然素材で自分で作っちゃう方で、僕も小さな頃からお世話になっており今も交流のある尊敬するおじさんです。創業は1980年で現在も営業されております。

最近の一枚。(秋田ホリデーパスで息子と二人旅、内陸線の缶バッチを頂いたのでした♪)

基秋は実家のお店を継ぐ事になると(1977年くらい)
間もなくコロッケの素材は有機無農薬のものに変える判断をするなど、学生時代醸成された価値観を形にしていきます。

また自らカレーをつくる時は決まってほんやら洞のカレーに似たものとなり、それが福島家我が家のカレーでもありました。母のカレーはまた違ってそれもとても好き。

そして、総菜の販売(揚げ物以外に現在の品揃えをはじめたのは1984年頃)も安定してくるとカレーの販売(1990年代後半から)も始めます。僕は学生時代(2003年~)など仕送りで嬉しいアイテムの一つだったりその当時のカレーもよく覚えています。秋田に戻ってきた頃色んな新しい取り組みをはじめ、たくさんの方と交流する機会がありました。その中で、

2010年頃、某シェフよりいいかげんなカレーだと厳しいご指摘を頂きまして、一旦販売を中止し、あれこれ見直す事にしました。そのお言葉があって、カレーの素材・レシピ・分量や保存方法や販売方法を一から見直して、小麦粉や調味料、油、スパイス、をそれまでのものから地元の安全性の高いもの、とどんどん変えていきました。厳しく言って下さったシェフはじめ関係者の方に心から感謝です。

そして、また新たな形で出したいなーとなったきっかけが、珈音さんの「蛍カフェ」のお話でした。

2010年の6月に蛍鑑賞をご案内してもらった際に毅さんの蛍にかける想いをきき胸があつくなりました。ホタルが舞う光景を子ども達の子ども達にも残したい、そういった想いを伝える機会を蛍カフェとしてやってみたいとお伺いし、夜のフードで珈琲に合うカレーをセットでコラボしましょうととんとん進んだのでした。

珈音ブレンドと合せた試食を数度、微調整を繰り返し仕上げて今の形になりました。

▲陶房つるかまさん(地元若美の作家さん)の釉薬も地元の素材を織り込んでつくられた陶器の器に珈音とFUKUSHIMAの文字も!

なるべく顔の見える地元の農家さんや作り手さんのオーガニック素材、安全性の高い素材を選択したいと思うようになったのは、食べる人のからだの健康面や環境や社会におけるお金の巡り、人の行動も含む様々な循環が挙げられるのですが、深くは前述してきた事がベースになっており、そこをつきつめると「家族」「愛」になると思っています。

そう在りたいという事です。

珈音さんでの蛍カフェは2011年6月からのスタート、これを機にお店での販売も新しいカレーとして生まれ変わり再スタートしております。「フクシマの牛煮込みカレー」として、地元の牛という事で秋田錦牛(2010年末に切り替え…それまではりんごで育った信州牛)を使用しておりますが、

今までカレーにおいてルーツを深く追った事はなかったのでトモスでもメニューにしよう、となった時は

良い機会を頂いたなーと思い感謝しております。

この取り組みは何度か数社に取り上げてもらったのですが、男鹿を取材しようといらしてた通りすがりのチームがうちに寄って下さり、急遽このカレーから毅さんのホタルへの想いや取り組みを紹介するような企画も作って下さりました。荻野目洋子さんがナレーターの時は少しやりとりもさせてもらってラッキーでした♪(バブリーな再ブレイクはこの後色々重なって起こったのでした)

この時のリーダー的な存在の長谷川さんが大学の先輩だったり色んなつながりがありまして、

フランスの写真家シャルルフレジェ氏をアテンドしたきっかけにもなったのでした。

▼秋田県民なら誰もが目にした事があると思うこの一枚、このシャルルによるものです。芦沢地区のなまはげ(通称岡本太郎の面)

▲寒い中小雨が降ってたのと長時間の撮影で皆さまお疲れだったなーというのを思い出します。こんな静かななまはげ達をみたのは初めてでした(笑)

話は戻りまして、日本の黒毛和牛のルーツは神戸牛などで有名な但馬牛であり、関西圏が牛を食す文化が強く、それがカレーにも表れており、一般家庭で「カレー」といえば関西だと圧倒的に牛が多く、東日本や九州では豚か鶏、等のお肉というアンケート結果も数字に出ています。

このフクシマのカレー(昔の喫茶店風カレー)も牛の煮込みカレーで父が京の街で過ごしほんやら洞で受けた影響は大きいなと思います。

素材は、秋田錦牛・玉ねぎ・人参(基本的には松橋さん、安田さんはじめ大潟村で農薬化学肥料不使用で作っている方のもの)ホールトマト、レーズン、にんにく、しょうが、バター、米油、小麦粉、スパイス各種、醤油、ブイヨン、ローリエを使用しており、地元産の有機野菜がそろわない時は市場のお野菜を使用しています。

▲店内入られましたら右の冷凍ケース、真空パックでこちらにご用意しております。

前述したとおり、僕にとっては父の味で本当好きなカレーなので、この感じ共有してくださる方が増えたら本当嬉しいのでございます。

是非、機会ありましたら、トモスブレンドとこのカレーを合わせてお召し上がりください。
当店のレーチンケース(冷凍)やirutocoさんでもご購入頂けます(^^)ご家庭でも是非ご利用ください♪



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