本読みを続ける。
「信玄本隊が、遠江を席巻し始めていたころ、信濃伊那に進んでいた山県昌景は、秋山虎繁らの軍勢と合流し、信濃・遠江国境を越えて、北遠江に侵入した。」(平山優『新説 家康と三方原合戦』より抜粋)
「山県・秋山軍は、長篠城に入ると、次いで野田城に攻め寄せる。そして一帯を放火すると、軍勢を返して、鳳来寺道を経て、井平に攻め寄せた。」(平山優『新説 家康と三方原合戦』より抜粋)
「井平城を拠点に、山県・秋山軍は、連日軍勢を祝田に派遣し、徳川方を挑発した。山県・秋山軍が連日、祝田に出張ったのは、二俣城の包囲攻撃を始めた武田軍に対し、徳川軍が後詰めに出陣するのを牽制することと、三河から本坂道を経て浜松に通じる補給路の分断が目的であろう。」(平山優『新説 家康と三方原合戦』より抜粋)
このあたりはおおむね史実どおりの展開となっているようだ。山県隊はヘックス4128で徳川本隊を牽制し、武田本隊は遠江諸城の攻略にあたっている。
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