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慶長出羽合戦6

2024-05-03 23:05:42 |  戦国群雄伝

ブログ主はこのあたりの歴史にあまりくわしくないのだが、どうやら10月1日、山形方面で大規模な戦闘があり、最上・伊達方が勝利したらしい。



さらに史料を読んでみよう。直江兼続から上杉景勝側近にあてた報告。
「書状を拝見しました。さて、このたびは不利な状況となり、多少困惑しております。軍事行動の途中で報告するべきでしたが、庄内方面へ向かわなくてはなりませんので、そちらへの仕置きをすすめるために、昨日(10月3日)、荒砥まで撤退いたしました。こちらで庄内の仕置きを申し付け、かさねて報告いたします。仙道方面の仕置きをするために、今日(10月4日)安田能元をつかわします。兵力の被害は多くありません。水原親憲が軽傷をおいました。この方面はなんとかなりますので、ご安心ください。おって、このたび思わぬ不利な状況となったことについて、安田能元が説明いたします。とにかく、今後はよい報告ができることと存じます」
 
【史料】10月4日付清野長範宛直江兼続書状(『山形県史』資料編15上2)
追而今度不慮出来仕候様子、具安田申上候、とかく以来ハ御吉事とそんする事ニ御さ候、以上、
御書拝見、仍而今度之無仕合、中々迷惑仕候、半途ニ在陣、可致言上由存候へ共、庄内境目へ相動候故、彼庄仕置、又彼是有進処、昨日当地荒戸まて打入申候、 於此地、領中仕置申付、重而可致言上候、仙道表御仕置彼是ニ付而、安田上総介、今日相立可申候、御人数もそんし申さす候、ひたち少手負申候、くるしからす候条、御心安可被思召候由、御披露候、恐々謹言、
            山城守
   十月四日       兼続(花押)
   助二郎殿
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慶長出羽合戦5

2024-05-03 17:55:18 |  戦国群雄伝
ゲーム上では不確定要素として第8〜第10ターンの間に上方情勢が伝わり、上杉勢の撤退がはじまることとなる。


この時期伊達政宗は白石から福島へ向かうとみられていたが、9月25日、とつじょとして米沢方面へ山越えの奇襲を敢行した。二井宿峠であがる煙は長谷堂を包囲する上杉勢からも見ることができただろう。ちなみにこの周辺6郡(刈田郡、置賜郡をはじめとする)は天正19年(大崎・葛西一揆)までは伊達家の領地だった。



さらに史料を読んでみよう。
「きのう(10月1日)の合戦であなたが比類のないはたらきをしたことは、いまに始まったことではありません。とくに100余りを討ち取ったことは大慶です。大きな合戦だったので、さだめて味方にも多くの負傷者がでたことでしょう。残った敵もいるとのことですので、いそいで増援をそちらへ向かわせます。明日(10月3日)には半数以上がそちらに到着することでしょうから、安心してください。そちらにいる全員に書状をつかわしたいのですが、急いでいますので、そうもできません。『みなみな、骨折り大義であった』と伝えたいところです。そのように全員に伝えてください。大条実頼が負傷したと聞いて心配しています。また、この書状を最上義光殿へとどけてください」

【史料】10月2日付留守政景宛伊達政宗書状(『仙台市史・政宗』1085)
皆々へ書状遣度候へ共、急候間、無其義候、皆々骨折り大義之由申度候、必々各へ此由可被仰候、大さつま手負申之由、無心元候、又此書出羽殿へ御届尤候、かしく、
昨日合戦之様躰、御手前無比類由、不始義ニ候、殊百余人被討捕之由大慶ニ候、大合戦ニ付而、定而味方ニも手負可有之候、又于今敵残候由承候間、茂石見・屋勘・湯信・奥与一、早打申付候、明日者過半も可為着陣候間、可御心安侯、恐々謹言、
   十月二日       政宗(花押)
   伊上州
      まいる

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