ブログ主はこのあたりの歴史にあまりくわしくないのだが、どうやら10月1日、山形方面で大規模な戦闘があり、最上・伊達方が勝利したらしい。
さらに史料を読んでみよう。直江兼続から上杉景勝側近にあてた報告。
「書状を拝見しました。さて、このたびは不利な状況となり、多少困惑しております。軍事行動の途中で報告するべきでしたが、庄内方面へ向かわなくてはなりませんので、そちらへの仕置きをすすめるために、昨日(10月3日)、荒砥まで撤退いたしました。こちらで庄内の仕置きを申し付け、かさねて報告いたします。仙道方面の仕置きをするために、今日(10月4日)安田能元をつかわします。兵力の被害は多くありません。水原親憲が軽傷をおいました。この方面はなんとかなりますので、ご安心ください。おって、このたび思わぬ不利な状況となったことについて、安田能元が説明いたします。とにかく、今後はよい報告ができることと存じます」
【史料】10月4日付清野長範宛直江兼続書状(『山形県史』資料編15上2)
追而今度不慮出来仕候様子、具安田申上候、とかく以来ハ御吉事とそんする事ニ御さ候、以上、
御書拝見、仍而今度之無仕合、中々迷惑仕候、半途ニ在陣、可致言上由存候へ共、庄内境目へ相動候故、彼庄仕置、又彼是有進処、昨日当地荒戸まて打入申候、 於此地、領中仕置申付、重而可致言上候、仙道表御仕置彼是ニ付而、安田上総介、今日相立可申候、御人数もそんし申さす候、ひたち少手負申候、くるしからす候条、御心安可被思召候由、御披露候、恐々謹言、
山城守
十月四日 兼続(花押)
助二郎殿
追而今度不慮出来仕候様子、具安田申上候、とかく以来ハ御吉事とそんする事ニ御さ候、以上、
御書拝見、仍而今度之無仕合、中々迷惑仕候、半途ニ在陣、可致言上由存候へ共、庄内境目へ相動候故、彼庄仕置、又彼是有進処、昨日当地荒戸まて打入申候、 於此地、領中仕置申付、重而可致言上候、仙道表御仕置彼是ニ付而、安田上総介、今日相立可申候、御人数もそんし申さす候、ひたち少手負申候、くるしからす候条、御心安可被思召候由、御披露候、恐々謹言、
山城守
十月四日 兼続(花押)
助二郎殿