さいきんYouTubeを見てて知った話。森祇昌からも、野村克也からも、達川光男からも「キャッチャーに向いていない」と言われ、1塁にコンバートされそうになっていた城島をキャッチャーとして育てあげたのはホークス時代の工藤であったらしい。で、どういう育て方をしたかというと...
1999年のシーズン、工藤は「城島のサインにいっさい首をふらない」というスパルタな方針を決めた。これは城島がどんなにヘタクソなリードをしても、その通りに投げるということである。もちろん、ボコボコに打たれる。
バッターがストレートにぜんぜんタイミングがあっていないとき、城島がカーブのサインを出した。そのときの工藤のリアクション(鬼)がこちら
工藤は城島の要求どおりカーブを投げ、レフト前にはじき返された。城島はその場で公開説教。
同年9月11日の近鉄戦、ノーヒットノーランがかかった8回2死の場面で鈴木貴久に3ボール1ストライクとなった。城島がたまらずマウンドに来て「歩かせましょう。次のバッターで勝負しましょう。ノーヒットノーラン、チャレンジしましょうよ」と進言。工藤は「おれはノーヒットノーランをするために、マウンドに上がってるんじゃない。いいから座ってろ」とこれを拒否し、つづく5球目でホームランを打たれた。
この年城島と工藤は最優秀バッテリー賞を受賞した。