いきいき

自分の人生 いきいき と送りたいという願いを込めたタイトル

地球を救う森づくり3

2011-07-22 12:38:32 | Weblog
インドネシアの東カリマンタン州の森林を旺盛だった36年前から
現在まで見てきた現実を知る人間は、地元で生活をしている人
たち以外には、それほど多くはいないと思います。

森林資源の調査は国連の機関、FAOが行っていますが、正確に
現実の状態を反映した情報にするにはかなりの困難があります。

このデータは絶えず更新され、改善されてはいますが、正確な
全体像がとらえているとは言いがたいようです。

現実にはこれらの情報よりも速いスピードで消失していて、
訪問するたびに先行きの厳しさと危機感を感じます。

熱帯雨林には何百万というまだ判らない動物種や植物種が存在し
ています。

これらは人類の生活にとって、食糧や医薬品の原材料
として役立つかもしれないのに、わからないままに地上から絶滅
してしまっています。

同定されていないものが消えてなくなるという事は、取り返しが
つかないという事です。

私がこのことを教えられたのは、1987年ごろに起きたデモの
コメントでした。

熱帯雨林伐採の最前線にいて、その後も森林開発のための資源
調査を行ってゆく中で、自分なりにこの経済活動の不合理さを
感じ続けていた時期に起こりました。

マレーシア サラワク州の先住民が日本の商社の森林開発に反対の
意思表示をするために来日し、その本社にデモをかけたものでした。

この行動・活動を支援していたのが、
日本のNGO熱帯林行動ネットワーク(JATAN)の人たちでした。

その翌日の新聞報道でJATANの人のコメントは、
先住民の生活の場である森林に侵入して伐採することの不合理と

森林伐採のために道路を建設するからいけないんだ。
このことが生態系を分断してしまうことや人間が歩いて侵入できる
ために、焼き畑などで森林が次々に破壊されてゆくこと
そして
木材だけでなく、この天然の森林に存在する膨大な未知生物資源が
人類の役に立つかもしれないのに地上から消えてなくなること

をアピールしていました。
現実に会社人間として取り組んできた森林開発の業務の中で漠然と
感じていた不合理が、
明確に人間活動として不合理であることが判った出来事でした。

ここから自分自身の生き方への転換が始まりました。

今回の原発事故でもそうですが、会社や社会としての正義は、
必ずしも正義ではありません。

東京電力で働いている限り、原発推進派正義ですが、廃棄物を
安全に処理する方法がないことや、万に一つでも事故を起こせば

子々孫々にまで被害を及ぼす行動は、人間として正しい行いでは
ありません。
自分自身で責任を負えない、自分たちの世代で責任を負えないような
活動に正義はありません。

熱帯雨林の破壊もその時代の会社として、社会としては一見正義でも
人類の英知では再生できない熱帯雨林を破壊する活動には正義は
ありません。

結果、次世代にツケを回して、大きな被害をもたらすからです。

そのような考えから私は、
これ以上、人類の生存のカギを握る熱帯雨林を減少させない生き方を
求めて歩み、生きついた形が「地球を救う森づくり」です。

持続的な社会の継承こそが、この世に生を受けた人間の役目だと
考えるからです。


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