ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

 インドと私(8)

2024-07-23 04:47:27 | エッセー
 ★瞑想を求め指導者だけの「聖地リシケシ」ツアー
 その1年後には梅が丘駅の南口前には、能里ダンススタジオ、四谷見附にはヨーガ教室もオープンし、スタッフは26人になっていた。
 そのため自由に動けるようになり、ヨーガの指導者なのに「本当の瞑想」
を体験したことがなかったため、早朝座って瞑想したり、座禅をするお寺へ
通ったり、他の指導者から指導を受けたり、さまざまな本を読んだり、自分
でできる限りの努力をしたが、その目的は得られなかった。
 その間私はインドへ何度か行ったが、瞑想を学習する機会は全くなかった。
多分インドへは5・6回行った頃瞑想を求め指導を受けていたヨーガ
道場で指導者だけの「インドの聖地リシケシで1週間修行するツアー」を
企画した。きっと瞑想の研鑽がきっとできると、大いに期待し参加した。

 インドの首都デリーに着いたのはまだ暗い早朝で、初めての経験だが
地元路線おんぼろバスに乗り、聖地リシケシへ向かった。
 バスの道中は驚くほどいろいろな経験をし、リシケシに着いたのは夕方
4時ごろ、雨が降ってとても寒かった。ビートルズが修行したことで
有名になった「シバナンダアシュラム」に宿泊するはずが、何故か門前で
4時間も待たされた結果、結局宿泊できなかった。
それから暗い道を随分歩いて、ツーリストバンガローへようやく辿り着いた。

 そこから早朝に毎日歩いてアシュラムへ通ったが、暗い道には牛のふんが
落ちていて、踏まないように歩くのが大変だった。
 でもシバナンダアシュラムには求めた瞑想は全然なく、アーサナ(ポーズ)・講義・マントラだだけだった。また、修行の後の朝食は暗く冷たい
床に座り、まるで乞食のように感じ情けなかった。

 全員がヨーガの指導者だったためか、あまり文句を言う人達はいなかったが
アシュラム以外の指導は、ガンジス河原で走って空中へ浮くための練習ばかりで実にバカらしかった。(わざわざリシケシまで来たのに、求めた瞑想は得られない)と、滞在する日が少なるにつれ悲しくなり、一人でガンジス河の清流を見ながら涙した。その間二人で参加した女性と仲良くなり、本当の気持ちを打ち明けたら、すると二人共私と全く同じ気持ちだと分かった。

 後の1週間はインドの観光がセットされていたが「それを全部パスし
リシケシに残り、他のアシュラムの門を叩いて修行しよう」と話がまと
まった。彼女達はインドは初めてだそうだが、その観光をすべてキャンセル
する、その覚悟は聖地リシケシでの研修に、もっと期待をしたのだろうと
感じた。それから受け入れてくれるアシュラムを確保し、「観光をパスし
リシケシで修行し、帰国するデリーで空港で落ち合いたい」と話したら
リーダーは大変嫌な顔をした。でも同行したメンバーは大変羨ましそうな
表情をした。
コメント
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