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山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

いわきの笑顔

2011-06-27 23:10:00 | 復興応援
Smile プロジェクト

  じしんのときはね、みみをつぶって
      めをつぶって うたをうたえば こわくない


何も聞かなかったけれど、教えてくれた子がいました。
その笑顔にぐっときました。
がんばってきたんだなって。

滞在中も何度か余震はありました。
まだ不安だらけです。
10km先の山間の町は原発避難のゴーストタウンです。
津波被害の風景の背景にある海は何もなかったかのように静かです。


       

この子たちは、誰に教わる事なく生きるちからを身につけてゆくのでしょう。
日本一、強い心の県民になれると、その日が楽しみです。
だからこそ、この子たちの「今」を「健康」を「笑顔」を守ってあげたいです。

それは物でもお金でもなく、安心して年齢にあった過ごし方が出来る状況があること・・・かな。



       

子どもの笑顔は世界共通。
しあわせの象徴。

だから大人もがんばれる。




       

支援という言葉は使いたくない。
「当たり前に明日はこない」身にしみます。

だから・・・
どう生きるか・・・
震災後の山梨での活動で思うことや迷うことがたくさんありました。
でも、これで大事な事はブレません。

お世話になった新谷家のおとうさん、おかあさんは本当に面倒見がよく、見ず知らずの私を家族のようにお世話下さいました。
耳元で小さな声でライブの話が何回か聞こえましたが、応えることが出来ませんでした。
この状況を整理するのが精一杯。

そうなら、うたのひとつも・・・と思われるアーティストの皆さん、まずはお見舞いして下さい。
よくわかります。

ご自分の得意な事を活かして応援・・・とお考えの皆さん。
ます、人としてこの地に立って下さい。
出直して、それからでも遅くはありません。


自然災害・・・起きてしまった事だけれど
あらためて残念でなりません。

さて、これから・・・
Smileプロジェクトは細く長く、遠くにいても近くにいても。


怒った顔も、しょげてる顔も、みつめる顔もみんな好き。
でも「笑顔」がいちばんすきです。

いわき市四倉町のみなさんありがとう。
ゆうた、こうせい、ありがとう。
新谷じぃ、ばぁ、ありがとう。
                   山本晴美

       

          ありがとう 
              ありがとね      
           
                ゆうた こうせい
                    
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四倉小学校

2011-06-27 23:06:00 | 復興応援
最終日の朝、今日はゆうたが四倉小学校の級友にあいさつをする日です。
ひとりひとりにお手紙を書いたそうです。


   

気持ちの優しいゆうたは、いっぱいいっぱいでなかなか言葉が見つかりません。
こちらも胸の傷む所ですが、見守るしかありません。。
こちらも・・って、何で私がいるのかって?

昨晩の「そろばん」をゆうたの親戚の方が届けて下さったので、一緒に学校に連れてきてもらい、廊下で贈呈式。
彼女の驚いた顔がキュート。
必要な物は「そろばん」・・・素敵な選択です。
たくさん練習してね。



    

で、教室に戻ると女の子たちが寄ってきました。
なつっこくてかわいいです。
山梨から来たよと言うと、「ねぇ、サン宝って知ってる?」
「ハイハイ、知っていますよ~」・・・harumiさんの娘も好きでしたよ。
ごらんのとおり素敵な笑顔でもう友だちだよ。
でも今日は時間がない。。

またきっと会えると思うよ。
会いたいね。


    

この小学校には津波被害で使えなくなってしまった中学校の1、2年生が空き教室を使用しています。
学校給食も一週間交代で普通食と簡易給食が続いています。
よく話題になるあの簡易給食です。。

この子たちはあの惨事を経験し、直後は他県の親戚へ避難した子が多いけれど、今日までの日々、これからの日々、きっと心の想いの深い大人になってゆくのではと思います。

しかし、子ども故に「今」を過ごす選択肢はあまりありません。
不安でありながらも、それぞれの選択の中、家族が揃い、日常を過ごすことが身近な一番のしあわせに感じました。

「今」を取り戻す・・・これがこんなに難しい事だということ、原発の事故は取り返しのつかない事実となっています。

運動場から子どもの姿が消えた。
平成サスペンスですね。


きっと、また会いにくるから。

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白銀バスケットチーム

2011-06-26 23:31:00 | 復興応援
今日は、ゆうたが待ちに待った白銀バスケットチームの練習会。
山梨を出発する時から、待ち遠しくてたまらない様子でした。
仲間と過ごす、かけがえのない時間。。
避難所となっていた体育館もやっと6月から使用出来るようになったそうです。
運動不足で腸の動きが悪くなり、お腹の調子で病院に行く子どもが増えているそうです。
外遊びが出来ないぶん子どもたちは体も心も発散させる場所が必要です。

Smileプロジェクトは子どもたちの笑顔をつなぎ、守ることを目的とします。
その笑顔は周りの大人たちも笑顔にします。
だからみんな笑顔、、平和で幸せな時。



     

休憩時間、女の子たちが集まってきました。
そして、誰となく、3、11当日の話をしてくれました。
どれだけ怖かったことでしょうね。
今の環境でかわいそうな気がしましたが、欲しい物と必要な物の話をしました。
過酷な体験をした今、子どもたちにとっても大事な学びの時かもしれません。
欲しいものはそれぞれあるけれど、必要な物って・・・
ふたりの女の子が「そろばん・・・」と言いました。

そろばん。
彼女たちのそろばんもなくなってしまいました。
そろばん教室も流れてしまいました。

私の伝えたいことがすぐ理解してもらえたようです。
抱きしめたくなるような気持ちになりました。

そろばん。
そろばん。。


     

男の友情は言葉じゃありません。
見ていて微笑ましいです。
にいちゃんの真似をするおチビのこうせいも先輩仲間とごきげんです。


     

差し入れの大~きなスイカをみんなで食べました。
大人も子どももみんなで「おいしいね」。

とてもうれしいなぁ。。


     

またね、きっとまた会おうね。
新谷のじぃ、ばぁが私を迎えに来てくれたので、午後は退散。
明日もまた会えるようなバイバイでした。
これがいい感じです。

じぃはこちらで建設業をしていらしていろいろなことに詳しいです。
ばぁとじぁは真面目にはなしているつもりかもしれませんが、私にはかけあい夫婦漫才に聞こえてなりません。
3人でおそばやさんに行き、おそばをご馳走になりました。
復興メニューがいろいろありました。


     

がんばっぺ。

ごく自然に、イントネーションはいわき言葉に。
この馴染みやすさは何でしょうか?
まぁ、身延に帰れば戻るでしょう(後でとんでもないことに・・・)

家にあった広報いわきをいただきました。
今のいわきの現状が具体的な数字でわかります。
軍手やマスクなども持参したのですが、作業のボランティアは原発の問題もあり手続きが大変なようです。


夜は新谷家の親戚の方がお見えになり、またまた若い方のお気持ちに触れることに。
昼間のそろばんが気になることを話ました。

「えっ!」

お客さまは福島で2番の腕を持つそろばんの達人だったのです。
念ずれば・・・

絶え間なく私の中でいろいろなことが連鎖するいわきの夜です。


     
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いわき市お見舞い

2011-06-26 22:47:00 | 復興応援
お預かりしたお米は5kgづつに。
車から荷物をおろすたびに「こんなにたくさん~」と声があがります。
福島産も大丈夫・・・と言われていますが、やはり皆さん不安は隠しきれないようで、山梨からの野菜や米は大変喜ばれました。私も現地で野菜を買い足そうと考えたのですが、小さな八百屋さんは再開していないし、スーパーにあるのは福島産の野菜や米。
風評に乗っかるようで考えてしまったのですが、物を運んできたのではなく、「安心」や「思い」を形にしたのだと思い返し、現地では子どもたちのお菓子を中心に購入しました。

カートに3つ、ゆうたとこうせいがメッセージを書いて、昨晩一人分づつ袋づめにして、ふたりからのおみやげに。


  

荷物を託して下さったみなさんの顔が浮かびます。
身延にいても気持ちは運んできましたよ。


  
季節がら菜っ葉類は手に入れにくく、金曜日に仕入れて日曜にお渡しだから、あきらめました。
それでも道中の高原でチンゲンサイを見つけたので少々購入。
生で食べる野菜がもっと揃えたらいいね。
トマト、キュウリ、大好評です。

  

驚いたのは皆さん、テレビで放送されているような支援物資を受けられておられなかったことです。
決して、それが欲しかったとか、不公平だとか口にはされませんでしたが、「はじめてこんなお見舞いをいただきました。震災後一度、おにぎりをひとついただきました、それ以来です・・・」

皆さんは自宅の形があり、避難所の生活を選択しなかったためだそうです。
形はあっても、少なくても私が昨日見聞きした限り、最低限の被災でも、すぐ生活が元に戻る家庭はありません。
いまだ修理が出来ないご家庭もありますし、何よりもとの生活を送っておられる方はおりません。まず、仕事が同じようにはありません。鉄骨が見えるくらいの家屋の被災でない限り、補助も出ません。貯蓄をくずしながら、倹約して「今」を乗切っています。
自力でがんばる姿はたくましく、さも被害が少なかったように見えがちですが、決してそうではないのです。
何より「心」の支え。
お見舞い物資は「物」に形を変えていますが、遠くから被災地の皆さんの生活を思いやる「気持ち」です。

緊急時は過ぎたかもしれませんが、自分のちからで出来る無理のない長期の支援やお見舞いこそ、必要に思いました。子どもたちは育ち盛り、とうさんもかあさんも頑張っても頑張っても、思うように運ばない状況がしばらく続くのですから。。


  

このあたりは原発から40km近辺。
30kmまでの補償からもはずれています。
生活への不安は隠しきれないけれど、笑顔で過ごしています。


庶民の私たちに出来ることは庶民レベルです。
「支援した、された」の関係にはならずが理想的です。
みんな今日はどうしているのだろう・・・思うことがせめてものエールかもしれません。

ふた月以内に再度福島に来ます。
Smileプロジェクト、次回への心がけはじめました。

福島、身延、それぞれの笑顔が輝きますように。



コメント (4)
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楽寿荘

2011-06-25 22:50:00 | 復興応援
百田小学校のトークライブを楽しく終わらせ、誠さんに機材を預かってもらい、新谷家と長坂で待ち合わせ、いずみ温泉で汗を流し出発です。道すがら、野菜を仕入れ、「すき家」の牛丼を初体験し、いざ、高速へ!
福島まで5時間の予定。
・・・・気がついたら、新潟経由、、あれれ、、日本海を目指していました。
車はお見舞いの品々でいっぱいで、後部座席の子ども2人と奥さまのtamaちゃんはじっとガマンして下さいました。
真夜中の大雨の新潟から太平洋を目指す私たち。。atsusiくんはほとんど休まず福島いわき市四倉の自宅に2:30にゴール。
お母さんが私の部屋を用意して下さっていました。
翌日、はじめましてのご挨拶、おとうさんもおかあさんも人情味あふれる素敵なご夫婦でした。
じぃ、ばぁ・・・ふたりの孫との再会は今回の災害あっての痛みでもありますが、新谷家の選択は、誰も何も悪くないのです。

朝に外に出ると、まわりの家も新谷家も足場が組まれ、修理の最中でした。
当日の様子をおかあさんが話してくれました。

今日の予定は、お見舞いの品の買い足しと、現場視察です。
ます、ゆうたとこうせいのひいばぁちゃんがいらっしゃる楽寿荘さんへ。
ここは海岸近くにもかかわらず、117名全員の安全を確保し、やっと再開にこぎつけ、補修工事を進めておられる所でした。
新鮮なトウモロコシをはじめ、食材となるものを持って、お見舞い出来ました。
今回の実行はこちらに向かうことが決定して5日しかなかったので、先日ライブをさせていただいた鬼子母神さんが、お声かけにご協力を下さり、たくさんのお見舞いが出来ました。

   

    


職員の皆さんもどうぞ、お元気で・・ご苦労に頭がさがります。

    

建設業関係のお父さんが四倉から久之浜地区から小久地区、小名浜に続く長い海岸通りを詳しく半日かけてご案内下さいました。
原発さえなければ、復興はもっと進んでいただろうに、時の止まったゴーストタウンはリアルに3.11のまま・・・「これでも片付いたんだ・・・」とお話下さいました。

この場所にたつと、復興とは何を目指すのか?と考えてしまいます。
地面から生える草や、庭の花たちだけに「いのち」を感じる現場です。

じぃ、ばぁ、ともすっかり仲良くなり、いわき言葉のイントネーションがうつった! かな・・・。夜は新谷家のご友人がいらっしゃり、にぎやかな食卓に、大きなしあわせがありました。

そう、避難することも、ここに残ることも誰も何も悪くはないのです。
大人の会話の中にふと感じるそれぞれの心の葛藤・・・でも、すぐに尊重しあう変わらぬ友情と笑顔は「Smileプロジェクト」の象徴。
子どもたちはおおはしゃぎ。

これでいいのだ。
そうだっぺ?


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