少林寺流空手道拳昇会

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心に響く(Kuuの社長ブログ、そして石牟礼道子さん)

2019-01-20 23:08:21 | 日記

年に二回ほど届く石材会社冊子に掲載の社長さんのブログです。いつも心に響くメッセージを発信してくれます。転記します。

ありのままの現実を受け入れる

「自分で選択した」こう考えるのが独立自尊

一休さんが蓮如さんにあてた手紙に「食べて寝て、寝て食べて」と書いたら、蓮如さんは「ああしてこうして、こうしてああして」と返事を返した。実に現実に生きる素直な人間の、行動の真実をついた会話だ。

ところが、われわれ凡人は善だ、悪だと分別して、どちらが良いとか悪いとか、学歴があるとかないとか、お金を持っているとか持ってないとか比べたがる(分別知)。

自分よりすごい人を見たら素直に「喜べない」で卑下したり、自分より愚かなことをしてると思えば「馬鹿」にしてえらそうにする。一休さんも蓮如も、言いたいことはこの「分別する知」を捨てて現実の行動を見よというのだ。

凡人の我々は相対的に〇✕を決めてかかって、二分化して考える癖がついている。これを解説して、現実の世界(一如、分別せず)を楽しく味わえと言っているのである。これがなかなかできないのも凡人のわれわれ人間の性だ。

さて、逆に自分に何か悪いことや良いことが外から起こった時の処理の仕方も重要で、分別して考えると二つの対応が考えられる。

1 「他人のせいにする」言い換えると自分は悪くない。 

  愚痴ばかり言ってすべて他の人や環境が悪いと原因を探らない。

2 「自分のせいにする」言い換えると自分に自信がなく悲観的になって自分を責め

  て、体を壊すか精神的にうつ状態になる。

ではどうすることが良いのかというと、「ありのまま」の現実を受け入れることだ。「自分が選択した」という主体を持つことだ。自分の意志で決めたことは勿論だが、偶然に出会って相手から望んできた場合も「自分が選択した」と主体的姿勢をとる。これが「ありのまま」である。

勿論、良いことも起こるし、悪いことも引き受ける覚悟ができてることが独立自尊だ。中村天風いわく「絶対積極」とは消極でも積極でもない相対を超えて現実に処す姿勢のことだ。仏教でいう分別智を解脱し、無分別知を体得して明るく、ワクワク生きたい。

 

~最近、石牟礼道子さんの生前のドキュメンタリー番組を見ましたが、水俣病患者とその家族に生涯をかけて寄り添い、チッソに対する座り込みデモなどにも一緒に参加しながらも、訴える言葉は実に穏やかで美しく、誰をも敵対視せず、ただただ人間の原点を魂を、人間のあり方や自然との共存を深く掘り下げ、美しいお国言葉で「苦海浄土」という長編小説を40年もの歳月をかけて書き上げた生きざまが、この社長さんのメッセージと見事に重なるものを感じました。なんて美しい人なんだろうと思いました。「ありのまま」に生きられた方なんだなあと感じました。「苦海浄土」は絶対に読んでみたいと思います。また、自然豊かな美しい漁村で、その自然の恵みに感謝しながら朴訥に暮らす人々を今なお続く悲劇に貶めたこの公害事件は私たち日本人が決して風化させてはいけない原点であろうと改めて思い知らされました~。