少林寺流空手道拳昇会

道場案内・活動記録・会員間出来事など

空手"道"

2014-09-22 19:05:09 | 日記
 
錬心舘鹿屋南地区本部フェイスブックより引用させていただきました。
 
≪義≫

先日、ある保護者から「試合で勝つために、他の道場へ移籍したい…」との話がありました。
『武道』というものの本質を全く理解していないお話だと残念に思いました。
武=空手は、半善半悪の術です。
武術は、人を殺める殺人拳にもなれば、人を活かす活人拳にもなります。
そこに「道=人としての正しさ」を与えることによって、空手に人としての品性・品格が産まれます
空手術が、空手道へ昇華する瞬間です。
試合に勝てないのは、自分の努力の結果です。好むと好まざるとに関わらず、指導者の責任ではありません。
「流した汗の分だけ自分に返ってくる…」...
武道の世界は、とても単純です。
錬心舘ファミリーと言われるように、道場は一つの家族です。
師範・先生・指導員は親、同じ道場生は兄弟も同然、大切な存在です。
そこには、強い師弟の「絆」があります。
自分の都合(エゴ)で先生(=親)をコロコロ変えたり、道場を移ったりするのは、地に足のつかない根無し草=風来坊のようなものです。
そこには、落ち着き=礼節は存在しません。
「道=人としての正しさ」に基づかない勝利至上主義は、勝てばよい・勝つためには手段を選ばないという、フェアプレイ・スポーツマンシップに反する行動を助長します。
たとえば、資格もないのに上位の帯を締めて虚勢をはったり、年齢をごまかして試合に出場したり等々…
そこには、武道人としての名誉を重んじる心、日本人に特有の恥を知るという文化は存在しません。
平たく言ってしまえば、なんでもアリの人種です。
平成26年錬心舘のテーマは「義」です。
「義」とは、正しき事、誠の心、正義を貫くという心構え。
人として正しく生きるという事。
「我以外は皆我が師」という言葉があります。
こうした行状を反面教師としながら、自らは道を踏み外さない(外道に落ちない)=道理をわきまえた精神性の高い空手道を目指してゆきたいですね。