乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『風流 妖化役者附』上 読了   五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6

2019-11-13 | 草双紙:洒落本、仮名草子、黄表紙、黒本、赤本、合巻 等

 

 『風流 妖化役者附』上 読了 五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6

 

 『風流 妖化役者附』上 五ウ

(絵図:暖簾に)
  はけ物や 

 大入名風呂治(ふろじ)と いふわか手の 実事師
 中村鋤(じゃく)五郎と  
 いふ実あく
 師両人


 のたて、濡れがミ長五郎は
 なれ駒の長吉の仕内
 まだ雪とゞかぬ
 取あれど仕内
 たろしゆ、まし
 てやんがて、くろ
 上二吉に 間も
 あるま いとばけ
 ものなか までのひ
 やうばん、すいほん/″\  せい出しかし
  ●これ長吉、ちとまつ てもろうべい、けしずミのなミだ
   といふせりふをしつかり
 

    ●おゝ、われも
         尺八の  
         へどく
       いふつらね
       を おほへ
       て 
         いる
           か


 

(絵図:暖簾に)
  はけ物や = 化物屋

 中村□(じゃく)五郎 = よくわからない。
          中村勝五郎  × (役者)          
          中村又五郎  × (役者)
          中村五郎   × (役者)
          中村鍵五郎  ×
          中村勝五郎  ×
   中村□(じゃく)五郎 = □(じゃく)の文字は、『「手偏」に「助」』か。

 濡れがミ長五郎 = 濡れ髪長五郎
   浄瑠璃「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の主人公の一人。
   大坂相撲の人気力士。義理ある人を助けるため侍を殺し、逃亡の果て、生母に一目逢おうと八幡の親里に現れる。
   歌舞伎「双蝶々曲輪日記」は、複数の役者で見たが、中村吉之助さんの舞台を一番んい思い浮かべる。
   母に会いに行き、母が戸を閉める場面とチキ師の髪を剃る場面。
   及び、役人で取り締まる立場にあるの兄が、長五郎のホクロをとる場面をは、心地よい。

 なれ駒の長吉 = 成駒の長吉

 くろ
  上二吉 = 黒髪二吉

 ●これ長吉、ちとまつ てもろうべい、けしずミのなミだ
  といふせりふをしつかり
    = ●これ、長五郎。ちと(ちょっと)待ってもろ米(もらいたい)、
      「消し炭の涙」と云う台詞を(もっと)しっかり(言いなさい)

    ●おゝ、われも
         尺八の  
         へどく
       いふつらね
       を おほへ
       て 
         いる
           か
   = ●これ長吉、ちとまつ てもろうべい、けしずミのなミだ
      といふせりふをしつかり
     と云うダメ出しに対しての反論

     おぉ、われ(お前)も尺八の屁毒をいう
     連ねを覚えているか!




 (読み間違いはお許しください。)
         
 




 話の続き方
 1
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1
    ↓

 2
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2
    ↓

 3
 ((今回の記録))
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3

    ↓

 4
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 
    ↓

 5
  『風流 妖化役者附』上  四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  5 


    ↓
 6
 『風流 妖化役者附』上 読了 五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6 






 
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1

 
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2

 
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3 

 
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 

 
  『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5 

 
 『風流 妖化役者附』上 読了 五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6 




 『風流 妖化役者附. 上』(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ)
  鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]
  19cm

 黒本
 書名は題簽による 版心書名:役しや 角書付書名:風流妖化役者附
 墨書入あり
 和装


 黒本(くろほん、くろぼん)とは
 江戸時代に書かれた挿絵が描かれた本、草双紙の一種。
 子供向けの赤い表紙の赤本が発展して、青少年向きの黒い表紙の黒本になった。
 題材は、浄瑠璃、歌舞伎、英雄伝、戦記が多い。草双紙 黒本



 上
 

 

 

 

 

 

 下
 

 

 

 

 

 
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『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5

2019-11-13 | 草双紙:洒落本、仮名草子、黄表紙、黒本、赤本、合巻 等

 

 『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5

 

 『風流 妖化役者附』上 四ウ

 実事のしうさん坂田椀(わん)五郎鬼王(おにおう)新左衛門の役をつとめて
 はね  をとる竜王の女房に  芳沢綾(あや)の介両人
 両人             そがの身
                ひんなる
              子を かこち
                   て
             うれい のだん
              もて ます/\


「女房ども
 いかなれハ
 此ように
 曽我ハってひんしやぞ
 やいゑゝ、くちおしや
 なあと正月(むつき)やの(さん)枚 暁(きやう)をこじつけて はねる


    「せまじきも  のハうやづかへでござんす、こちの
     人と橘屋春水(たちばなやしゅんすい)  をそのままに


     うつす
     大でけ/\


 『風流 妖化役者附』上 五オ

 あずま洞藤(どうとう) 小佐川 舟(ふね)に今此しばい
 口上のぶ  つとりもの
 わん
 き
 事

 よし
 成屋の
 仕内いつれも
 互角(ごかく)の女方ばけもの

 なり田にて外二るいなし

 ●表具(ひやうぐ)やの藁枝(はんし)
 ●米屋の巨舟(こせん)
 とて、こなさんも
 わしも、ミんな御 そんじのわけで
  こざんす、女まからも手うちにせん
       おこされてハ、あいならぬわいな


      「いや、手がら
             ハ
       しがちそこ
      のいくとほしや
        ために
          なる
           まい
            ぞ




 『風流 妖化役者附』上 四ウ

 実事 =じつごと        (三省堂 大辞林 第三版)       
 ① 歌舞伎の演技・演出の一。判断力のある常識人を主役とした誠実さを性根とする演技。また、その役柄。 → 和事 ・荒事
    
 ② 本当のこと。まじめなこと。 「そなたとわが身は-にて、口舌などする挨拶か/浄瑠璃・五十年忌 中」

 しうさん =集散か       (三省堂 大辞林 第三版) 
  集散  =集まることと散ること。また、集めることと散らすこと。聚散。


 坂田椀五郎 = 和事の坂田藤十郎に対しての、実事の坂田椀五郎として表現されているのか。
         或いは、 『二人椀久』のもじりか。

 初代坂田藤十郎 =正保4年(1647年) - 宝永6年11月1日(1709年12月1日))
          江戸時代の歌舞伎役者。俳号は冬貞、車漣。定紋は丸に外丸。
          元禄の時代を代表する名優で、上方歌舞伎の始祖の一人にかぞえられる。
         「役者道の開山」「希代の名人」などと呼ばれた。

          京、大阪で活躍近松門左衛門と提携
         『傾城仏の原』『けいせい壬生大念仏』『仏母摩耶山開帳』などの近松の作品を多く上演
          遊里を舞台とし恋愛をテーマとする傾城買い狂言を確立。
          やつし事、濡れ事、口説事などの役によって地位を固める

 『二人椀久』…この期の唄方には初世富士田吉次のほか,のちに遊里に進出して荻江風(おぎえふう)長唄(のちの荻江節)を創始した初世荻江露友,そのほか初世坂田仙四郎,初世湖出市十郎,三味線方に錦屋総治,西川億蔵,初世杵屋作十郎,2世杵屋六三郎,囃子方に宇野長七,3世田中伝左衛門などがいる。 安永・寛政期(1772‐1801)は長唄が上方依存から江戸趣味へと転向し,内容本位の唄浄瑠璃風の長唄から拍子本位の舞踊曲へと移行する,いわば過渡期であり,《二人椀久(ににんわんきゆう)》《蜘蛛拍子舞(くものひようしまい)》がその代表曲であった。また,1792年(寛政4)には舞台に演奏者が並ぶための雛壇が採用されて,歌舞伎舞踊の舞台をより豪華なものとした。…

 芳沢□の介の文字が付く江戸時代の歌舞伎役者 = 芳沢綾(あや)の介
 芳沢綾(あや)の介 (おんな型)(当時、初代藤十郎と組む)
  芳沢あやめ関連
  紀伊国の中津村(和歌山県日高川町)の生まれ。5歳の時に父を亡くし、その後道頓堀の芝居小屋で色子として抱えられ、吉澤綾之助を名乗った。
  はじめ三味線を仕込まれたが、丹波亀山の筋目正しい郷士で有徳の人として知られた橘屋五郎左衛門が贔屓となると。
  その強い勧めで女形としての修行を重ねた。 
  後年女形として大成したあやめは、この橘屋五郎左衛門の恩を一生忘れず、屋号の「橘屋」も彼にあやかって用いるようになったという。
  のち口上の名手・水島四郎兵衛方に身を置き、初代嵐三右衛門の取り立てで、若衆方として舞台を踏む。

  元禄5年(1692年)に京に上り、元禄8年(1695年)に太夫の号を取得して芳澤菊之丞と改名。  
  元禄11年(1698年)には『傾城浅間嶽』での傾城三浦役が演じ人気を博す。
  正徳 3年(1713年)11月江戸に下り、翌年11月に帰京。その2年後には役者評判記『三ヶ津惣芸頭』で高い評価を受ける。
  享保6年(1721年)には立役に転じて芳澤權七を名乗るが不評で女形に戻る。
  この前後に「吉澤あやめ」を名乗ったといわれているが、詳細は不明。

  享保13年(1728年)隠居、翌年死去した。
  初代あやめは、舞台だけでなく日常生活でも常に「女性」を意識していなければならないと門人に教えていた。
  たとえば、食事をするときはみなから離れて一人で食べなくてはいけない。
  食べている時に男になってしまったら相方の役者がどう思うか、そこまで考えなくてはいけない、という徹底したものだった。
  初代のこうした「芸談」は、それを直に見聞きしたという狂言作者の福岡彌五四郎が晩年に口述、この他にも数人の役者の芸談を加て『役者論語』という一冊の本にまとめられた。
  同書の「あやめ草」の章を参照されたい。


       両人     そがの身
                ひんなる
              子を かこち
                   て
             うれい のだん
             もて ます/\

      =両人 蘇我の身(蘇我十郎、曽我の五郎)
          貧なる子を囲いて
          憂の段を以って益々

 暁 =きやう(ギョウ)(角川新字源)
  意味①あかつき。よあけ。あけがた。「暁鐘」「暁天」「早暁」
    ②さとる。よく知っている。さとい。「暁習」「通暁」
   春暁(シュンギョウ)・早暁(ソウギョウ)・通暁(ツウギョウ)・払暁(フツギョウ) →ギョウ
   旧字は、形声。日と、音符堯(ゲウ)→(ケウ)とから成る。空が明るくなる、「あかつき」、あきらか、転じて、「さとる」意を表す。

 橘屋春水 = たちばなやしゅんすい
  芳澤あやめ (初代)
   上にも書いたが、
   初代 芳澤あやめ(しょだい よしざわ あやめ、1673年(延宝元年) - 1729年8月9日(享保14年7月15日))は元禄から享保にかけて大坂で活躍した女形の歌舞伎役者。
   屋号は橘屋。俳名に春水。
   本姓は斎藤。通名を橘屋 權七(たちばなや ごんしち)といった。


 『風流 妖化役者附』上 五オ

 藁枝(はんし) = 半紙
           藁紙(わら紙)

 こな(さん) = こ-な 【子な】
          名詞
          子供たち。
          恋人などを親しんでも呼ぶ。
         「こら」の上代の東国方言。「な」は接尾語。

 ミんな御 そんじ = 皆んなご存知

 女まからも手うちにせん
 おこされてハ、あいならぬわいな
   = 女ながらも手打ちにせん(と)
     起こされては、相ならぬわいな


 

 (読み間違いはお許しください。)
         
 


 話の続き方
 1
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1
    ↓

 2
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2
    ↓

 3
 ((今回の記録))
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3

    ↓

 4
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 
    ↓

 5
  『風流 妖化役者附』上  四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  5 


    ↓
6








 
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1

 
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2

 
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3 

 
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 

 
  『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5 


 『風流 妖化役者附. 上』(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ)
  鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]
  19cm

 黒本
 書名は題簽による 版心書名:役しや 角書付書名:風流妖化役者附
 墨書入あり
 和装


 黒本(くろほん、くろぼん)とは
 江戸時代に書かれた挿絵が描かれた本、草双紙の一種。
 子供向けの赤い表紙の赤本が発展して、青少年向きの黒い表紙の黒本になった。
 題材は、浄瑠璃、歌舞伎、英雄伝、戦記が多い。草双紙 黒本



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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)

2019-11-13 | ことのは

 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)



 合巻(ごうかん)とは    (ウィキペディア)
 合巻(ごうかん)は、寛文期以降江戸で出版された草双紙類の、1804年(文化元年)頃に始まった最終形態。
 それまで5枚(5丁)1冊に別々に綴じていたのを、纏めて厚く綴じた。明治初期まで続いた。


 合巻(ごうかん)の歴史
 赤本・黒本・青本・黄表紙と時代を下った挿画入り娯楽本草双紙は、左右1ページずつ木版摺りした和紙を2つに折り、その5枚(5丁)10ページ分に表紙・裏表紙を付けて1冊に綴じるのが原則。
 それの数冊で1編の絵物語になっていた。
 大きさは、美濃紙半裁二つ折りの中本(約14×20㎝)が普通だった。現在のB6よりやや大きい。

 古典を下敷きに、洒落・滑稽・諧謔を交えて風俗・世相を諷刺的に描き綴って売れていた黄表紙類が、松平定信の寛政の改革期に、相次いで発禁にされ、業界は当座の厄除けに、黄表紙を勧善懲悪の仇討話に方向転換し、仇討話は筋が複雑で長編化して、10ページ1冊の冊数が増えた。
 そこで数冊を纏めて綴じてしまう工夫が生まれ、それを『合巻』と呼んだ。

 1804年(文化元年)の、春水亭元好作・歌川豊国画『東海道松之白浪』が、表紙に『全部十冊合巻』とうたっている。

 1806年の式亭三馬の『雷太郎強悪物語』が合巻の始まりとの説は、三馬の自己宣伝に発すると言う。

 読者の好みと世相の変遷に従い、内容は、仇討・お家騒動・古典の翻案・歌舞伎・教訓・変態・猟奇などに変遷した。

 作者には、
     山東京伝、
     十返舎一九
     曲亭馬琴、
     山東京山、
     式亭三馬、
     柳亭種彦、
     為永春水、
     一筆庵主人、
     墨川亭雪麿、
     笠亭仙果、   らがいた。

 絵師には、
     北尾重政、
     歌川豊国、
     勝川春扇、
     葛飾北嵩、
     二代目歌川豊国、
     歌川国貞、
     渓斎英泉、
     歌川国直、
     歌川国安、
     歌川貞秀、
     貞斎泉晁、
     歌川貞重、
     四代目歌川豊国、
     落合芳幾、    らがいた。

 装丁も派手になったが、水野忠邦の天保の改革(1841-1843年)で地味になる。
 そして又華美に戻ったものの、改革のあおりで為永春水と柳亭種彦は没す。
 作品の質はエログロの方向に低俗化して、明治に入り、大衆向けの小新聞の影響を受けて消滅した。


 主な合巻とその厚さ
 主な合巻を、年を下る順序に列記する。
 各行末の括弧内の、例えば(50×2)とは、50ページ(25丁)ずつ綴じた2冊、計100ページ、の意である。
 表紙・裏表紙・口絵・広告などは、数えていない。

 春水亭元好作、歌川豊国 画:『東海道松之白浪』、永寿堂 (1804)(50×2)
 式亭三馬、歌川豊国画:『雷太郎強悪物語』、西村新六 (1806)(50×2)
 山東京伝作、歌川豊国画:『糸車九尾狐』、永寿堂 (1808)(30×3)
 山東京伝作、歌川豊国画:『岩井櫛粂野仇討』、永寿堂 (1808)(30+40)
 山東京伝作、歌川豊国画:『累井筒紅葉打敷』、耕書堂 (1809)(80×1)
 山東京伝作、歌川豊国画:『志道軒往古講釈』、(1809)(60×1)
 山東京伝作、歌川豊国画:『男草履打』、甘泉堂 (1811)(30×2)
 山東京伝作、勝川春扇画:『暁傘時雨古手屋』、耕書堂 (1811)(60×1)
 柳亭種彦作、葛飾北嵩画:『鱸庖丁青砥切味』、永寿堂 (1811)(70×1)
 山東京伝作、歌川国貞画:『薄雲猫旧話』、岩戸屋 (1812)(60×2)
 山東京伝作、歌川豊国画:『娘清玄振袖日記』、永寿堂 (1815)(60×1)
 柳亭種彦作、歌川国貞画:『正本製 初編 - 12編』、永寿堂 (1815 - 1831)(編により80×1、60×1、40×1)
 山東京伝作、歌川豊国画:『琴声美人伝』、丸屋甚八 (1816)(60×1)
 山東京伝没 (1816)
 山東京伝作、歌川国貞画:『長髦姿蛇柳』、東永堂 (1817)(30×1)
 十返舎一九作、歌川国直画:『糠三合有卦入聟』、鶴屋喜右衛門 (1820)(20×1)
 十返舎一九作、歌川国直画:『御あつらへ出来合女房』、鶴屋喜右衛門 (1820)(20×1)
 北尾重政没 (1820)
 為永春水作、歌川国直画:『総角結紫総糸』(1822)(50×1)
 式亭三馬没 (1822)
 曲亭馬琴作、歌川豊国画:『諸時雨紅葉合傘』、甘泉堂 (1823)(50×1)
 幽月庵元越作、十返舎一九校合、北尾美丸画:『附祭踊子新書』、伊藤与兵衛 (1823)(50×1)
 曲亭馬琴作、歌川豊国画:『膏油橋河原祭文』、仙鶴堂 (1823)(30×2)
 曲亭馬琴作、渓斎英泉画:『金毘羅舩利生纜』、和泉屋市兵衛 (1824)(30×2)
 曲亭馬琴作、二代目歌川豊国(初編)・歌川国安(2編以降)画:『傾城水滸伝 初編 - 13編上』、仙鶴堂 (1825 - 1835)。(編により、20×1か40×1)
 歌川豊国没 (1825)
 為永春水作、春川英笑画:『腹内窺機関』、永寿堂 (1826)(20×1)
 為永春水作、歌川国丸画:『浦島太郎珠家土産』、青林堂 (1828)(80×1)
 為永春水作、歌川国丸画:『風俗女西遊記』、青林堂 (1828)(60×1)
 柳亭種彦作、歌川国貞画:『偐紫田舎源氏初編 - 38編(未完)』、仙鶴堂 (1829 - 1842)(各編とも、80×1)
 西来居未仏作、歌川国兼画:『忠臣合鏡 前 後編』、森屋治兵衛 (1829)(30×2)
 為永春水作、春川英笑画:『愚智太郎懲悪伝』、(1829)(60×1)
 為永春水作、渓斎英泉画:『繋馬七勇婦伝』、(1829)(50×2)
 曲亭馬琴作、歌川国安画:『新編金瓶梅 1 - 10集』、甘泉堂 (1831 - 1847)(各集とも、80×1)
 十返舎一九没:1831、歌川国安没:1832
 歌川雪麿作、貞斎泉晁画:『宇治拾遺煎茶友』、喜鶴堂 (1834)(60×1)
 柳亭種彦作、歌川国貞画:『邯鄲諸国物語 1 - 8編』、栄久堂 (1834 - 1841)(編により、20×1、40×1、60×1)
 墨川亭雪麿作、渓斎英泉画:『洗鹿子紫江戸染』、(1835)(60×1)
 為永春水作、歌川貞秀画:『笠松峠薊花恋苧車』、(1835)(40×1)
 二代目歌川豊国没 (1835)
 山東京山作、歌川国貞画:『廓花勝山話』、福川堂 (1840)(30×1)
 水野忠邦の天保の改革(1841 - 1843年)
 美濃屋甚三郎(初 -5編)・楓川市隠(6編)・柳下亭種員(13 - 39、41編)・柳水亭種清(37 - 40、42編)作、歌川国貞(初 - 15編)・一雄斎国輝(16 - 28編)・一竜斎国盛(29 -31編)・一寿斎国貞(32 - 35、42編)・一勇斎国芳(36 - 38編)・一恵斎芳幾(38 - 41編)画:『児雷也豪傑譚』、甘泉堂 (1841 - 1865)(各編とも80×1)
 為永春水没 (1841)、柳亭種彦没 (1842)
 一筆庵主人作、渓斎英泉画:『心学教訓誰身の小槌』、(1844)(40×1)
 一筆庵主人作、渓斎英泉画『絵本二十四孝』、(1844)(20×1)
 万亭応賀作、渓斎英泉画:『忠臣国性爺将棋合戦』、(1844)(40×1)
 万亭応賀作、渓斎英泉画:『教訓浮世眼鏡』、(1844)(60×1)
 墨川亭雪麿作、渓斎英泉画:『紅粉絵売昔風俗』、(1845)(60×1)
 半俗退士作、渓斎英泉画:『拍掌奇譚品玉匣』、(1845)(60×1)
 

 ついでに現代における合本と合冊についても記しておきたい。

 合本とは [名]     (大辞泉)
  1 数冊の本や雑誌などをまとめ、1冊として製本すること。また、その本。
   合冊(がっさつ)。「合本された雑誌」
  2 分冊して発行した図書を、新たに1冊にまとめて発行したもの。合冊。 
 合冊とは [名]     (大辞泉)
   「合本(がっぽん)」に同じ。ごうさつ。
 つまり   合本(がっぽん) = 合冊(がっさつ) である。


 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2 「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3  丈(じょう )と 丈(たけ)
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4 「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5 「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6 「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8 「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9 「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11  東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12  一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13 「全集とは」                       
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14 「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15 「Pythagoras ピタゴラス(ピュタゴラス)」 「万物は数なり」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 16  「Dennis Vincent Brutus ブルータス」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 17  風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 18  相手が悶々としない時間を「折り返し」と言うのだということがわかりスッキリした。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)






 トップの写真は、中国の刺繍  クリムトの絵画を題材に制作されている。
 手の込んだ詩集の中には、表から見ても裏から見ても別の絵に仕上げられている神戸の技術のものもある。
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