能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
早雲鑑
乱筆、読み間違いなどお許しください。
能狂言 八文字屋八左衛門 早雲鑑 1 稀書複製會
奈良県立情報図書館所蔵 稀書複製會
八文字屋八左衛門 (世界大百科事典 第2版)
?‐1745(延享2)
江戸中期の京都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。
八文字屋本
八文字屋は京都の麩屋町にあった書林。
八文字屋本はこの書林から出版されたもののほか、他の書店から出版されたものでも八文字屋のオーナーであった八文字自笑(はちもんじじしょう)および専属作家の江島其磧(えじまきせき)、自笑の子・其笑、さらにその子瑞笑の著作などは八文字屋本と呼ばれている。
このページ(https://hamasakaba.sakura.ne.jp/033hatimonji/)では、八文字屋から出版された草子のほか、他の書林から出版された自笑・其磧・其笑・瑞笑の著作物も八文字屋本として掲載しています。
元禄時代(1688~1703)以前の京都の書林としては山本九兵衛、鶴屋吉右衛門が大手として君臨して浄瑠璃本などを出版しており、八文字屋も歌舞伎の筋書きなどを書いた本を出版していたがその規模は微々たるものだった。
しかし(4代目?)八文字屋八左衛門(自笑)の代になってから、元禄12年(1699)に出版した歌舞伎役者の評判を書いた「役者口三味線」が大評判を得、さらに元禄14年(1701)に出版した「けいせい色三味線」が西鶴以来の浮世草子の傑作と評され、以降八文字屋はたちまちのうちに繁盛して他の書店を吸収するほどの力を得る。
八文字は自笑の時代を見るに長けた商才と機敏な行動に加えて、執筆者に江島其磧、挿絵に浮世絵師・西川祐信およびその門弟を使ったことが評判を得た理由とされる。
また、板下作者、彫師も名工をたのみ、本の体裁も他よりも立派に整えたことも理由の一つに挙げられている。
八文字屋の専属作家であった江島其磧は通称を江島屋市郎左衛門といった。
寛永7年(1630)京都京極通り、誓願寺の門前で大福餅(大仏餅)を売って巨万の富を蓄えた商家に生まれる。
しかし西鶴の好色本の登場人物のごとくの放蕩を尽くして没落。浄瑠璃本を手始めに作家に転身し、自笑と組んで大成功を収める。
ただし、当初の出版物の作者名には江島其磧ではなく八文字自笑の名が記されている。しかし
しかし実際の作者は其磧で自笑はプロデューサーの役割であったようだ。
其磧は当初は自分の名前を出すことを嫌っていた(?)らしいが、後になって、出版される本の評判が高まるにつれて利益配分などをめぐって自笑と対立。
其磧は正徳4年(1714)に独立して江島書林を開業。
そこで出版した本の中で其磧は八文字屋の本は全て自分が書いたもの(一部分については自笑が書いたことも認めている)であることを暴露。
自笑は他に代筆者を雇ってこれに対抗する。
江島其磧の暴露、作品の質は江島其磧の方が勝っていたにもかかわらず、また八文字屋の商売敵であった正本屋(山本九兵衛)や鶴屋が其磧に肩入れするも、多くの読者は引き続き八文字屋の本を購入。
もともと資金力の乏しかった其磧は享保3年(1718)に力尽き、自笑と和解して再び八文字屋から出版することになる。
ただし、これ以後の出版物の作者名には自笑のほかに其磧も連名して記載されることになった。
なお、このサイトの掲載本で、文中で作者を自笑あるいは自笑と其磧の共同執筆と記載されているものでも其磧が書いたものと確認されている書籍は作者を江島其磧としています。
専属作家であった江島其磧は享保21年(1736)に他界。代わって元文4年(1739)より多田南嶺(ただなんれい)が専属作家となり、自笑およびその子の其笑の代筆者となる。多田南嶺は神道・兵学の学者で寛延3年(1750)に死去するまでに20余りの作品を手掛けている。
作品は才気に満ち、奇趣にあふれ、警告や皮肉が随所に織り込まれており「花楓剣本地」「鎌倉諸芸袖日記」などが代表作とされる(当サイトでは作者を自笑・其磧も連名して記載されることになった。
なお、このサイトの掲載本で、文中で作者を自笑あるいは自笑と其磧の共同執筆と記載されているものでも其磧が書いたものと確認されている書籍は作者を江島其磧としています。
専属作家であった江島其磧は享保21年(1736)に他界。代わって元文4年(1739)より多田南嶺(ただなんれい)が専属作家となり、自笑およびその子の其笑の代筆者となる。
多田南嶺は神道・兵学の学者で寛延3年(1750)に死去するまでに20余りの作品を手掛けている。
作品は才気に満ち、奇趣にあふれ、警告や皮肉が随所に織り込まれており「花楓剣本地」「鎌倉諸芸袖日記」などが代表作とされる(当サイトでは作者を自笑・其笑としています)。
しかし代筆者として自身の名を記載しない気安さからか、浮世草子の執筆は余技としてあまり努力を払わなかったようである。
其磧をしのぐ才能の持ち主ともいわれたが、もともと奔放でやま気の多い人物でもあったようで質的にむらが多く其磧没後の浮世草子作者の第一人者とはなりえなかったようである。
自笑(一世)は延享2年(1745)に没し、南嶺も寛延3年(1750)に死去。多田南嶺没後は其笑の子”瑞笑(自笑二世)”が執筆者となり浮世草子を出版。ただし南嶺に代わる代筆者もいたようで、すべての執筆者を特定することが困難であるようだ。
本サイトでは江島其磧以外の執筆者は全て書籍に記載された執筆者を作者としてしています。
八文字屋は「役者口三味線」を出版して以降、約70年間にわたり京・大坂の出版界に君臨、中心的な役割を果たした。
特に役者評判記は八文字屋が始めた形式が幕末まで踏襲されている。
しかし作品が評価されているのは自笑・其磧の時代の出版物で、其笑・瑞笑の時代以降の出版物の評価は低いようだ。
明和3年(1766)に瑞笑が没すると、八文字屋は板木の大部分を大坂の書林・升屋大蔵に売却。
浮世草子出版の第一線から退くことになる。(https://hamasakaba.sakura.ne.jp/033hatimonji/)
絵入浄瑠璃本・絵入狂言本
金時洛陽入
作: 出版年:寛文4年(1664) 版元:八文字屋八左衛門
絵入浄瑠璃本
染殿后紀僧正恋衣
作: 出版年: 版元:八文字屋八左衛門
絵入浄瑠璃本
福壽丸
絵:
作:白石彦兵衛 出版年:元禄9年(1696) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
あかつきの明星が茶屋
作: 出版年:元禄10年(1697) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
阿弥陀池新寺町
作:近松門左衛門 出版年:元禄12年(1699) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
けいせい富士見里
作:近松門左衛門 出版年:元禄14年(1701) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
けいせい壬生大念仏
作:近松門左衛門 出版年:元禄15年(1702) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
からさき八景屏風
作:近松門左衛門 出版年:元禄16年(1703) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
傾城三の車
絵:
作:近松門左衛門 出版年:元禄16年(1703) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
けいせい安養世界
作: 出版年:宝永3年(1706) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
大和大路陰陽泉
作: 出版年:享保4年(1719) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
和州法隆寺江口美影
作:佐渡島三郎左衛門 出版年:享保5年(1720) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
けいせい来満舎
作: 出版年:享保6年(1721) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
津国女夫池
作:近松門左衛門 出版年:享保6年(1721) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
大和歌伝授富蔵
作: 出版年:享保6年(1721) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
平仮名今川状
作:津打久平次 他 出版年:享保16年(1731) 版元:八文字屋八左衛門
絵入狂言本
役者評判記
役者金化粧
作:八文字自笑・江島其磧 出版年:享保4年(1719) 版元:江嶋屋市郎左衛門
芝居本(役者評判記) 1巻
役者若咲酒
作:八文字自笑・江島其磧 出版年:享保6年(1721) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
舞台三津扇
作:江島其磧 出版年:享保7年(1722) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 5巻
役者春子満
作:八文字自笑・江島其磧 出版年:享保17年(1732) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 1巻
役者大極舞
作:八文字自笑 出版年:元文4年(1739) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者一會桜
作: 出版年:元文5年(1740) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者披顔桜
作:八文字自笑 出版年:寛保2年(1742) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者紋二色
作:八文字自笑 出版年:延享2年(1745) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者三叶和
作:八文字自笑 出版年:延享3年(1746) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者花双六
作:八文字其笑・瑞笑 出版年:寛延2年(1749) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者千贔負位指
作:八文舎自笑 出版年:明和6年(1769) 版元:八文字八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者大通鑑
作:八文舎自笑 出版年:安永5年(1776) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者大功記
作:八文舎自笑 出版年:寛政13年(1801) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者宝船
作: 出版年:享和2年(1802) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者よしよし
作:八文舎自笑 出版年:文化2年(1805) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
役者真草行
作:八文舎自笑 出版年:文化4年(1807) 版元:八文字屋八左衛門
芝居本(役者評判記) 3巻
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浮世草子(作:江島其磧)
けいせい色三味線
作:江島其磧 出版年:元禄14年(1701) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
野白内証鑑
作:江島其磧 出版年:宝永7年(1710) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 4巻(全5巻のうち第5巻が欠)
頼朝三代鎌倉記
作:江島其磧 出版年:正徳2年(1712) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
野傾咲分色孖
作:江島其磧 出版年:享保3年(1718) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
武道近江八景
作:江島其磧 出版年:享保4年(1719) 版元:
浮世草子 5巻
浮世親仁気質
作:江島其磧 出版年:享保5年(1720) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 4巻(全5巻のうち第1巻が欠)
日本契情始
作:江島其磧 出版年:享保6年(1721) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
出世握虎昔物語
作:江島其磧 出版年:享保11年(1726) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
本朝会稽山
作:江島其磧 出版年:享保13年(1728) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
世間手代気質
作:江島其磧 出版年:享保15年(1730) 版元:菊屋喜兵衛
浮世草子 5巻
富士浅間裾野桜
作:江島其磧 出版年:享保15年(1730) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
傾城歌三味線
作:江島其磧 出版年:享保17年(1732) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
鬼一法眼虎の巻
作:江島其磧 出版年:享保18年(1733) 版元:菊屋七郎兵衛
浮世草子 7巻
高砂大嶋台
作:江島其磧 出版年:享保18年(1733) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
那智御山手管滝
作:江島其磧 出版年:享保18年(1733) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
風流友三味線
作:江島其磧 出版年:享保18年(1733) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
咲分五人娘
作:江島其磧 出版年:享保20年(1735) 版元:菱屋治兵衛
浮世草子 5巻
渡世身持談義
作:江島其磧 出版年:享保20年(1735) 版元:菊屋喜兵衛
浮世草子 5巻
風流西海硯
作:江島其磧 出版年:享保20年(1735) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
愛護若一代記
作:江島其磧 出版年:享保20年(1735) 版元:
浮世草子 5巻
諸商人世帯形気
作:江島其磧 出版年:享保21年(1736) 版元:菊屋七郎兵衛
浮世草子 6巻
和漢遊女容気
絵:西川祐信
作:江島其磧 出版年:享和年間 版元:谷村清兵衛
浮世草子 5巻
兼好一代記
作:江島其磧 出版年:元文2年(1737) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
御伽名題紙衣
作:江島其磧 出版年:元文3年(1738) 版元:菊屋七郎兵衛
浮世草子 5巻(全6巻のうち第5巻が欠)
忠孝寿門松
作:八文字自笑 出版年:元文3年(1738) 版元:八文字屋八左衛門
浮世草子 5巻
其磧諸国物語
作:江島其磧 出版年:延享1年(1744) 版元:菊屋喜兵衛
浮世草子 5巻
傾城情乃手枕
作:江島其磧 出版年:延享1年(1744) 版元:川勝玉郎右衛門
浮世草子 5巻
梅若丸一代記
作:江島其磧 出版年:天明8年(1788) 版元:和泉屋卯兵衛
浮世草子 5巻 再刻版
俊徳丸一代記
作:江島其磧 出版年;天明8年(1788) 版元:播磨屋新兵衛
浮世草子 5巻 再刻版 (https://hamasakaba.sakura.ne.jp/033hatimonji/))