乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

2012年4月2日 郡山城の桜 染井吉野はつぼみ、しだれ桜は三~五分咲きです。(3景)

2012-04-03 | お出かけ




    4月2日 郡山城の桜 染井吉野はつぼみ、しだれ桜は三~五分咲きです^^



 郡山城に行きました。染井吉野はまだつぼみです

    
    つぼみも、とってもかわいい


 郡山城のしだれ桜は三~五分咲きといった感じ☆きれいでした






                  2012年4月2日 奈良県大和郡山市 郡山城にて



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常称寺 生田伝八郎の墓   (8景)

2012-04-03 | 民俗考・伝承・講演




         常称寺 生田伝八郎の墓





 常称寺に、生田伝八郎の墓があります。


 入ってすぐ右に「八」の字の墓。これでしょうか?
 もう少し中にはいてみましょう…。

 
 ありました☆
 生田伝八郎の墓。


 真正面から、見てみましょう。


 六地蔵さまもいらっしゃいます。


 六地蔵さまの意味も書かれていました。


 横には何やら 欲はわかりませんが、富雄さまのお墓



 ところでいったい 生田伝八郎って誰?
 私には、チンプンカンプンです。



 崇禅寺馬場の仇討ちは数少ない返り討ちに終わり、しかも残忍な悲惨事として昔から芝居に上演のたび大衆の同情を得るものとして有名である。

 討手の遠城兄弟も、仇の伝八郎も共に 郡山藩主本多忠直の家来であった。生田伝八郎は遠城兄弟の義弟筝宗左衛門重次を兵学の討論から謀殺して出奔した。

 一方遠城治左衛門、喜八郎の兄弟は、継母の悲嘆にくれる有り様を見て復讐を申し合わせた。

 しかし、元来仇討ちは尊属に対して行われるべきものとして藩廰の許可がおりず、止むを得ず二人は脱藩して敵を追った。

 そして大阪生玉神社の境内で伝八郎に巡り合い、約束の日時、崇禅寺馬場(現:阪急電鉄崇禅寺駅前)に到着すると、伝八郎は既に多数の助勢を周辺に配置し、遂に返り討ちにしてしまった。

 事件後伝八郎も自ら顧みて漸愧に堪えず、当地千日寺(常称寺)門前で切腹して果てた。

 遇々、同寺の尼僧が伝八郎の姉であったので伝八郎の遺骸を葬り、且つ遠城兄弟の冥福も併せて祈ったと伝えられている。


 



              常称寺 大和郡山市千日町49-8 
              

              2012年4月2日
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