悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり 時事通信 11月3日(木)11時28分配信
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(5)は3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で、「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」に臨まれた。皇室のお子さまの成長を祝う儀式で、秋篠宮さま以来41年ぶり。春に予定されていたが、東日本大震災を受け延期となっていた。
落滝津(おちたぎつ)の服を着た悠仁さまは、ご夫妻と姉の眞子さま、佳子さま、祖父母の川嶋辰彦さん夫妻が見守る中、畳の上に南を向いて立つと、宮内庁御用掛が白のはかまをはかせ、ひもを結んだ。
続いて悠仁さまは童形服(どうぎょうふく)姿で、右手に扇、左手に小松2本と山橘(やまたちばな)1本の枝を持ち、皇太子さまと秋篠宮さまのときも使われた碁盤の上で、黒っぽい「青石(あおいし)」2個を踏み南を向いて立った。御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、悠仁さまは約27センチの高さから「ピョン」と飛び降りた。
式後の午前10時40分すぎ、悠仁さまは落滝津の服を着て、ご家族と赤坂東邸の玄関前に姿を見せた。報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声が掛かると、「ありがとうございます」と話し、笑顔を見せて歩いた。
この後、悠仁さまは皇居・宮中三殿で参拝し、ご夫妻と一緒に御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。悠仁さまがこの日着た装束は、両陛下から贈られた。
ということで、【着袴の儀】と【深曽木の儀】を調べてみた。
【着袴の儀】チャッコノギ
皇室の子が5歳になったときに初めて袴を着ける儀式。衣装は誕生時に天皇・皇后から贈られる。民間の七五三にあたる。
御着袴(ごちゃっこ)。
着袴の儀(ちゃっこのぎ) ウィキペディア 皇室の儀式
子が数え5歳の時に、『賜剣の儀』の際に贈られた袴を着用する儀式。
男子は滝の意匠をあしらった和服「落滝津の御服」の上に白絹の袴、着用
女子は濃色(こきいろ:濃い赤紫色)の小袖と同色の袴を、着用
【深曽木の儀】
深曽木
髪削(かみそ)ぎ( 大辞泉)
ふか‐そぎ【深削・深除・深曾木】 (日本国語大辞典)
〔名〕三歳で髪置(かみおき)をしてのち、五歳頃に童幼の髪のすそを切りそろえて成長を祝う儀礼。
「かみそぎ」を、髪の豊かであるよう、祝意をこめていう語。また、その髪形。
ふかそぎ【深曾木】(国史大辞典)
髪置(かみおき)ののち、長くのびた童幼の髪のすそを切り揃える儀式。
深削・深批・深除とも書き、髪曾木(かみそぎ)ともいう。
名義について、『倭訓栞』に「髪の多きをもて、深くそぐと祝したる名目なり」とある。
深曽木の儀(ふかそぎのぎ)ウィキペディア 皇室の儀式
着袴の儀に引き続き行われる。
着袴の儀で着用した和服と袴に加え、男子はさらに童形服を、女子はさらに袿を、別室で着用する。
男子の場合
子は
松と山橘の小枝を持って碁盤の上に乗り、子の髪を少し切った後、掛け声とともに飛び降りる。
女子の場合
衵扇(あこめおうぎ:檜扇とほぼ同義)を手にして儀式が終了したとされ、
碁盤の上に乗らないまたは碁盤の上に乗るが飛び降りない等の諸説がある。
もともと、着袴とは独立した儀式だったが、近世までに同時に行うようになった。
着袴の儀・深曽木の儀の終了後、宮中三殿を参拝する。