奈良の郡山には、源九郎狐の鳥居というのがある。
源九郎狐の鳥居前といえは、歌舞伎で何十回見た演目だ。
以前から気に掛かってはいたが、行くのは今回が初めて。
伏見やら、奈良の郡山やら、桃太郎生誕地と同じく、源九郎狐の鳥居前も御盛んなことだ・・・。(笑み)
源九郎狐の鳥居前につくと、芝居とはかけ離れたイメージの鳥居。
これでは鎧(よろい)を置き、鼓を兜(かぶと→頭)を据え付ける場面などは、イメージできない(笑み)
しかしながら、貧困な私のイメージを最大限に膨らませ、夫と荒れやこれや話しながら、或いは、沈黙しながら楽しんだ。
源九郎狐の鳥居前付近には 写真のような重厚な建物が多い。
私は、昔宿であったのだろうと、夫に伝えるが、夫は無関心。
私は歌舞伎や江戸の本などを思い浮かべながら、建物を一つ一つを丹念に見て回った。
建物は三階建てのものが多く、当時の女たちの喜びや悲しみや切なさが伝わってくる気がした。
格子戸は、一階、二階、三階とかなり細かい。
当時の女たちに対する厳しさが、もの悲しく感じる。
多分、ここは遊郭であったのだ。
見て回ると今も住まわれている家、空き家になった家と様々だった。
不思議なことに、数少なくだが調べたガイドブックには、ここのことは全く触れられてない。
しかしながら、当時の様子は、京都の島原のように美しく大切に保存されている。
私の調べ方に、問題があったのかも知れない・・・。
充分に源九郎狐の鳥居前と遊郭跡を楽しんだ後、郡山商店街の蒲鉾・てんぷら店で、天ぷら十枚を購入。
気のよいおばさんは一枚、はんぺんをおまけして下さった。
おばさんに、
「源九郎狐の鳥居前の近くの 素敵なお家は、何ですか?」
徒党と、おばさんは一瞬戸惑いの色合いを見せながら、それでも答えて下さった。
「あれは、おやまさんが、住んだはったんですわ。」
少し京都弁と違う 奈良弁の調べが これもまたよし。美しい。
重ねて、
「三階建てが多いででっしゃろ。昔はこの辺も賑やかでしたんや。昔はおやまさん目当てで、夕方は、この通りも 男の人がいっぱいでなぁ。お相撲さんなんかも、よう、歩いたはりましたんや。・・・・・・。」
おばさんは話し出したらとまらない。
ところで奈良では遊郭の女性のことを『おやまさん』と呼ぶらしい。
天ぷらはおまけして下さり、興味深いお話もして下さって、有意義な時間を過ごすことができた。
私は、この時はどういう訳か『籠釣瓶』を思い浮かべていた。
女たちにも、いろいろなドラマがあったのだろうなぁ・・・。
最後になりましたが、写真の家が当時の宿とは限りませんことを付け加えておきます。
また、話し言葉が、奈良弁でない場合もあると思います。
不手際がございましたら、教えていただけましたら、嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます