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うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

ダルクに会いに

2005年11月06日 | お出かけ
遠い希望、遠いご褒美を考えながら生きることはしんどい。つらい。手っ取り早く、強くなりたい。手っ取り早く、傷つけられない自分になりたい。手っ取り早く、一目置かれる自分になりたい。楽になりたい。世の中には薬物をはじめとする多くの誘惑が満ちている。「手っ取り早い」誘惑。でも、その連鎖は断ち切らなくてはならない。

岐阜ダルク(ダルクは薬物依存症回復のための団体です)が開いた薬物乱用防止シンポジウムで、水谷修氏「夜回り先生」の講演会を市民会館で聞いてきました。
水谷氏は多くのメディアで紹介されており、多くの方がご存知だと思いますが、その実践主義と、ちょっと芝居がかったところは、「どうしても実際に話が聞きたい」と思わせるものがあります。だから、同じように芝居がかったところのある私は、この人を確かめに行ってきました。
彼は、夜回りをするというところで世に知られていますが、今回のお話を聞いて、薬物中毒防止への思いを強く持ち、活動をされているということがよくわかりました。確かに、うますぎるお話には、ちょっと芝居がかったところもありなのですが、そうやって伝えられていくもの、そうやって伝えられなければならないものが確かにあり、正直をいうと、一時間半あまりの講演の間、私はずっと泣き続けていました。
子どもにとって、生まれ出てきたこの世は、不公平なものです。親として、育む環境として機能しないところに生まれ出る子も多いのです。だからといって、その親をのみ責めるのは正しくありません。その親もまた、救われなければならない場合が多いからです。そのような子に降りかかった不条理、誰かを責めることだけでは何一つ変わっていかない不幸。
不幸の連鎖は、くるくると回っていくけれど、その連鎖は、正しい連鎖へと戻されなければならないし、それは絶対にできるもののはずだと、私は思います。できると思いたいのかもしれないけれど、そう思わないところは果てしなく不毛が続くばかりだと思います。
ネグレクトな親に育てられた子も、やくざの親の子も、何かの依存症をもった親の子も、いじめられた子も、みんなみんな、幸せになっていい。そうして、ネグレクトだった大人も、やくざだった大人も、依存症を持っていた大人も、みんな、幸せになっていい。「まっとう」に生きる権利を持っているはずです。

生きている中で、人は何ができるんだろう。幸福なことに、幸福な環境に生まれた人は、どうぞ、何も考えず、その環境に生きてくださればいい。しかし、不幸な環境に生まれざるを得なかった人は、何のために辛いこの世に送られてきたのか。
それは、その不幸の連鎖を、自分で断ち切り、正しい連鎖に戻していくということではないかと私は思っている。それだけのために人生が終わっても、いい、じゃん。
「夜回り先生」は、そこいら中で、それをしようとしている人かもしれない。
この講演会では、岐阜ダルク代表の遠山さんのお話も聞いた。立派な話だった。連鎖を断ち切ろうとしている、潔い心のお話だった。
ダルクの活動は、薬物依存は自己責任でしょ、という点から募金が集まりにくいということだった。今回は、けんちゃんちに駐車させていただいたので、駐車料分を募金させていただいた。けんちゃん、どうもありがとう。      岐阜ダルク
コメント (10)
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