うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

祭りの風景

2007年01月10日 | ことばを巡る色色
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眺めのいいお茶

2007年01月10日 | 最後の晩餐
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夢がない

2007年01月10日 | ことばを巡る色色
新年早々身辺あわただしく、先日は本当に嫌なことがあり、「もう、言い訳ばっかりたくさんだぁ。聞き飽きた」と思ったり、ほろほろと泣いてしまいましたり。そうして、書きたいことが頭の中になんだかあったような気がするんだけど、書こうと思うと、なんだっけというわけで、取りとめもなく記事をアップしようとしている私があり、くどくどと前書きをしながら書いていたりして、だらだらと「序」のみが長くなったりして。
今年、一番ビクっとした言葉(まだ数日しかたってないけど)
「夢がないとなじられて」
あの事件はあまりに凄惨で、そこにはいろいろ複雑な事情があったんだろうけど、この言葉は、鋭かったなあ。「夢がない」上に、「なじられて」いるのだ。
きっと、本当に夢がなかったんだろうなあ。人が本気になって怒る言葉って、その人にとってあまりに、避けようもなく「真実」の言葉であるからだろう。少しでも否定の余地があれば、笑って済ませたり、話を変えたり出来るけれど、あまりにも本当で、自分がそこからどうやって抜け出せばいいのかわからない時は、怒るしかない。攻撃するしかない。だから、相手の顔色が変わったら、本当のことを言いすぎたのだと、お茶を濁したほうがいい。「本当」のことを追求するような権利は、通りすがりの人にはない。それでも、本当のことを言って、彼と対峙しようとするのなら、相当の覚悟が、たとえば、彼がへろへろほろほろになっても、付き合ってやる覚悟がいるのだろう。そんな覚悟を持って言える相手って、そう簡単にはいない。家族とか、唯一無二の友達とかしかね。たとえ家族唯一の友達であっても、彼の地獄まで付き合う覚悟や気力体力の充実と相談したがよかろう。あらゆる人の地獄と付き合うほど、人生は長くない。それでも「本当」のことを言わねばと思っているのなら、何年も何年もが必要だろうなあ。期待せず、あきらめず、くじけず、あせらず、力まず。何年も何年もね。
氷は一度に解けない。外から、少しずつ溶けていくんだしね。

すんません。雑談っぽい記事になっちゃいましたね。  (画像:百済寺)

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