2006年12月6日(水)15:01
複数の筆者が書いたとされる日本書紀で、天文に関する記述が実際の観測と合う筆者と、そうではない筆者の2タイプいることが、天文学の研究でわかってきた。書紀は筆者により表記の仕方が違うとされるが、内容の信頼度も差があるようだ。
河鰭(かわばた)公昭名古屋大名誉教授と谷川清隆国立天文台助教授らは、書紀の天文現象が中国の記録や計算結果と合うかどうか調べている。以前に書紀の天文記録の一部が事実だと示したが、筆者による違いにも着目した。
京都産業大の森博達教授(中国語学)は、日本書紀全30巻を、万葉仮名などの使い方で、筆者A群(14~21、24~27巻を担当)、筆者B群 (1~13、22、23、28、29巻)、不明(30巻)に分類している。Aは、当時の日本の社会常識に疎いことなどで渡来中国人、Bは、漢文の執筆能力 が低いことなどで日本人(日本生まれの渡来人子孫も含む)との推測だ。
河鰭さんらの結果を合わせると、Aの巻に出てくる643年の月食が、日本では見られないものだった。彗星(すいせい)や超新星を表す記述は中国では記録されていないなど、事実と確認できる天文現象はない。逆に天智天皇の代に中国で見えた彗星2個が記録されていない。
Bの巻にある628年から681年の5回の日食は、年代の誤記とみられる1例はあるが、いずれも日本で観測できたと認められた。月食と火星食各1例も事実で、684年のハレー彗星など6個の彗星も、5個が中国の記録と一致した。
30巻には6例の日食があるが、暦から予報されたもので日本では見えない。逆に日本で見えたはずの日食はなかった。
こうしたことから、少なくとも天文記録ではB群の信頼性が高く、他は実際の目撃記録によらず書いたようだ、という。
同志社大理工学研究所の宮島一彦教授(東アジア天文学史)は「それほどはっきりした違いがあるなら面白い。どんな裁量が認められていたのか、使った資料は同じなのかなど書紀の編集態勢を知る手がかりになるかもしれない」という。
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