12月18日(日)に、根岸の「子規庵」に行ってきた。
この日は1年に一度の、子規庵ファン感謝デーの「蕪村忌」なのです。
この日は、正岡子規が高く評価していた与謝蕪村のために、生前か
ら子規と弟子たちが集まって「蕪村忌」を行っていたことに因んで
毎年、「子規庵ファン感謝デー」と称して、入庵料500円を無料にする
とともに、襖に寄せ書きをしたり、俳句、短歌、絵、コメントなどを書いた
り、庭を散策するなど、自由に楽しんでもらう日になっているとのことで
す。
実は、この日の楽しみは、熱々の風呂吹き大根とココアを無料で振
舞ってくれるという楽しみがあるのです。子供さんにはお土産を用意し
てありました。
そして今回は、熱々、焼きたての、海苔で巻いたお餅も頂だきました。
丁度、入庵がお昼時でしたので、昼食代わりになってしまいました。
実を言いますと、この日が「子規庵ファン感謝デー」であることは知りま
せんでした。
<私が描いた絵です>
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近代俳句は正岡子規から始まったといわれています。
子規は、明治新政府がまだ定まらない慶応3年の生まれですが、
明治35年(1902年)9月に僅か35歳で亡くなっています。
彼の周りには、夏目漱石や森鴎外、中村不折、高浜虚子、河東碧梧桐、
長塚 節、伊藤左千夫、与謝野鉄幹、島崎藤村、会津八一等々が集まり、
彼の家は近代文学の原点の一つとなった。
))))))))))))))))))))))
子規は、江戸時代の俳諧師として高名な松尾芭蕉に対する批判者として
知られている。芭蕉は諧謔、憂鬱、恍惚などを誇張した作品が多く、演
劇的であり、説明的であり、散文的である。この点について子規は、詩
としての純粋性に欠けていると批判したのである。
)))))))))))))))))
子規は一方で、芭蕉に比べると評価の低かった与謝蕪村の俳句を高く評
価した。事物の簡潔な描写・表現が大事であり、蕪村の方が技法的に
洗練されており、鮮明な印象を効率的に表現している、という。子規は
「写生」の手法の重要性を高く評価し、視覚的で簡潔な俳句を目指した。
蕪村は俳諧中興の祖といわれるが、俳画の創始者でもあり写実的である。
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行く春や鳥啼きうおの目は泪 (芭蕉)
寂として客の絶間のぼたん哉 (蕪村)
鶏頭の一四五本もありぬべし (子規)
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いずれも著名な句であるが、今日は子規庵を訪問したので、上記の
最後の子規の句について語りたいところであるが、
有名な「鶏頭の・・・」は、いろいろな意見があり面白いために
長講となる可能性があるので、一旦この辺で閉めて次回以降としたい。
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上の絵は、「吉田 漱」の画
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<外観>空襲で全焼したが、戦後の昭和25年に新築、復興した
建物が「子規庵」として残っている。。
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上段の左が庭から見た子規庵 右側は子規愛用の机
机のまん中が開くように
なっている(膝が入るように)
庭と部屋の間取り。
一番下の真ん中↑辺が玄関。
絶筆三句が書かれている
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<子規庵のホームページ>
http://www.shikian.or.jp/
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