悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

直流と交流

2005-09-16 22:10:17 | 自然科学・技術

常磐線とつくばエクスプレスの通勤各駅停車は何故、取手止まり、守谷
止まりなのか、と言う疑問から素人なりに調べてみた。既にその答えを
知っている人も多いのですが、両電車の地元茨城の人に聞いてみたら、
 「取手までの通勤客が多いから取手止まりが多いんでしょ?」
 「ここで直流と交流が切り替わるからでしょ?」
と言う人が多く、確かに現象としてはそういうことも言えるのですが、その
本当の原因を知らない人が多い、ということも分かりました。
そこで、その真の答えに到達する前に、今、一つの現象として話が出た
直流電車・交流電車とは一体どういうものなのか、と言う観点から整理し
その後で本題の原因へ進んでみることにしました。
したがって、この章は、(その1)とします。
         - その1<直流と交流の歴史> -  

<直流と交流>
電流には直流と交流があり、プラス極からマイナス極へいつも同じ方向
に同じ大きさで流れるのが直流で、電流の流れる方向と大きさが周期
的に変わるのが交流
であると教わりました。プラス極とマイナス極の間
に一定方向に乾電池を並べると豆電球がつく懐中電灯、あれには直流の
電流が流れているという訳です。トランジスタや集積回路も直流電圧で動
作するのだそうです。
私たちが習った子供の頃には、直流と交流の違いもさることながら、むし
ろ、  電力(W)=電流(A)×電圧(V) とか、
     電流(A)=電圧(V)分の電力(W)で、
例えば、一般家庭では、500Wのトースターは 5Aになるので、クーラー
(20Aとした場合)とは同時に使えない、などということに興味がありました。
明治時代に導入された最初の家庭用電力は直流でしたが、現在家庭で
使われている電気は交流
です。
電車については、直流と交流の両方があり、車両については、直流電
車、交流電車、交・直流電車の3種類
が動いています。

<エジソンの「直流」導入の歴史>    
わが国の鉄道の電化の歴史を覗いてみましょう!
かの有名な発明家エジソンは1868年頃から次々に発明を始めましたが
産業としての電力について言えば、1878年に電灯照明会社を設立し、
実業家として世界初の電力供給システムを完成させたのが1882年(明
治15年)
だそうです。 わが国では、その翌年の1883年(明治16年)
初の電気事業会社、 東京電燈(東京電力の前身)が設立
され、次いで
1887年(明治20年)から1889年(明治22年)にかけて、神戸電燈、
大阪電燈、京都電燈、名古屋電燈が設立されたそうですから、ロウソクや
ガス灯の時代からアッという間に電灯の世界へ急速な進歩を遂げていっ
たわけです。この発展の早さは賞賛に値するものですが、当時沢山、設
立された各地の電力会社が、それぞれ独自の判断によりその設備を
外国から導入した結果、直流と交流、50Hzと60Hzの問題が後世
に解決されないまま残ることになったのです。

<交流導入とHz(ヘルツ)の関係>
このとき最初に導入した電流がエジソンが発明した直流だったのです
エジソンはゼネラルエレクトリック社と組んで直流発電機による直流送電
を拡張していったのですが、その後、変電の容易さ、送電ロスが少ない
こと、遠距離への送電が可能
、などの理由から、ニコラ・ステラという
人物が発明した交流発電機」が世界の主流となり
、わが国でも1895年
に東京浅草に火力発電所を建設し、ドイツの交流発電機を購入して交流
による広域営業が始まりました。以後各地の電力各社も「交流」の導入に踏
切ることになったのですが、このとき東京はドイツ製(50Hz)、大阪・神戸
などはアメリカ製(60Hz)を導入し、そのまま拡張を続けてきたため、導
入先のHzの違いを一本化できないまま今日に至ったのです。

その後、1915年(大正4年)に猪苗代水力発電所から230キロ㍍離れた
東京への高圧送電が成功したことにより、交流大電力の供給時代へと
発展していったのです。

<Hzとは何か>
ヘルツ(Hz)とは周波数のことで、交流の電気が1秒間に何回変わるか、
その回数を周波数・変動数
といい、ドイツの科学者の名前からとったものだ
そうです。Hzが異なると、モーターなどは回転数が違うために使えないか、壊
れてしまいます。私も遠い昔、東京から神戸転勤で初めて経験しました。もっ
とも、今は電気機器の方で自動変換するようになっているケースが多いよう
す。
明治・大正時代には現在より、もっと多くの電力会社があったようですが、当
時、主に東日本系の会社がヨーロッパ(50Hz)から、西日本系がアメリカ
(60Hz)から発電機を輸入したため、結果として異なるHzになってしまいま
した。統一の機運はあったようですが、莫大な費用がかかるため、統一でき
ないまま今日に至っているわけです。

 50Hzは、東京電力、東北電力、北海道電力
 60Hzは、北陸電力、中部電力、関西電力、中国電力、四国電力、
        九州電力



(最近我が家の近くではあまり見かけなくなった
 川鵜を手賀沼の近くの沼で見つけました。2005.9.15)


<わが国の電車の電化について・・・当初は直流>
以上のことから、わが国の電流は直流の導入からスタートしたことが
分かったわけですが、直流電化はどのように導入されていったのか
調べてみました。電気は、当然ですが都市部から使われていった
ですが、汽車の電化も当然、都市部から始まった訳です。つまり
わが国の電車の電化は、当初、直流の電流を使って、直流電車が
導入
されたわけです。電化が早かった都市部の電車は現在でも東
西ともに、直流主体です


地方はもともと長い間、蒸気機関車が走っていたのですが、石炭を止め
て電化に切り替える時点では、電車に限らず、世の中のあらゆるものが
電化、電化の時代になり、都心部の工場も含めて大容量・大電圧の電流
即ち、交流を必要とする時代になっていきました。 そのため、蒸気機関車
から電車に切り換えるときに、地方では、直流の延伸ではなく交流による
交流電車を新たに導入したのです。

直流からスタートした直流電車も、その後、電力会社の発電所において
交流で発電し、交流送電されたものを交流で受電し、鉄道会社が自
社の変電所で必要な電圧に変換後、整流器で直流にして架線に電
力を供給する
方式になっているのです。
その後に電化が導入された地域では、交流電流による交流電車が
主流となっています。現在の都市部の直流電車との関係については
別に述べます。
(現在、一般家庭の電力は、交流電力を遠方より高圧送電して、それを
100ボルトに変圧した低電圧の交流が使われています。)

<直流と交流の費用面での得失>
直流と交流はそれぞれに電流としての特質があるわけですが、直流の
場合は、送電途中でのエネルギーロスが発生するほか、架線での
電圧降下も多いため多数の変電設備が必要となり、建設コストが高い
といわれるが、
一方、その分、車両にはコストをかけないで済むため、
運転頻度が高く、車両台数も多い都市部の路線では直流電化方式
が有利であると言われている。


交流は遠距離から高圧で送電が可能であり、その分エネルギーロス
も少なく、各家庭や事業所の近くで変圧j器によって電圧を下げること
が可能であるため、
今や発電、送電に関しては世界の主流であり
わが国の電車についても、当初導入以来の東西の都市部、近郊の
電車、地下鉄など一部を除いて、交流による交流電車が主流である

地下鉄はトンネルの問題から直流電化方式が基本である。各地で直流
地下鉄によるJRその他路線との相互乗り入れが可能になっているのも
直流電車だからである。

遅れて電化した地域や、高電圧を必要とする新幹線などが交流電車
なっている。しかし先ほど述べたように、東西ともに都市部近郊の電車は
交流電流の直流変換による直流電車が主流であり、都心部から遠距
離先への延伸拡張の動きもあり、その場合、コストのかかる交・直流
両用車両を走らせるよりは、
交流路線を直流路線に変えてしまって、
そのまま直流車両を直通で走らせた方が効率的だ、という意見
もある
ようです。
(-その2-につづく。)   



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