シルバーの独り言

いつしか70年以上の月日が過ぎ 心身ともの健康を心がけての日々・・・冬の日差しにも似て。

この一年を感謝

2007-12-31 | Weblog
まず健康で過ごせたこと。いろいろ困ったこと心配なこともあったけれど 全て良い方向へ向かう大切な通る道であったこと。

人間である以上そして老いの年齢の中 いつか分からないが 今年のように無事かどうか分からない。そのことをも思いの中に置きながら 感謝の中で過ごそう。

クリスマスも年末も独り暮らしの親しい人を訪ねて お茶の時間を過ごした。おいしいお菓子を持って 尋ねる事を続けよう。性格も異なり 考え方も異なるが 気を使うことなく 言いたい事をお互いに言い合える。若いころは避けていたが 今は違いを楽しめ 気にならない。一人一人違って当たり前 自分の考え 生き方が一番正しいと思っていた事を恥じる。

信仰も一人一人とらえ方が異なり どのような人にも当てはまる箇所が 聖書に記されている。神様の厳しさに心をとめる人。箴言の箇所を中心にしている人。聖霊の満たしの中で神と対話している人・・・・・私は

神様の愛の中に逃げ込み どんなに深い信仰があっても愛がなければ・・・・・の聖書の箇所が何時も思い出される。又

信仰は行いによって得るものではなく 
神様からの一方的恵みよって与えられるものとの箇所が何時も思い出される。

徹夜祈祷 断食祈祷 熱心な礼拝 賛美出来ていなく 出来ないだけに そのような信仰を人生の中心に置いている多くの人達を尊敬し 素晴らしいとも思う。

この世の多くの出来事 事柄にも関心があり 信仰にのめり込めないでいる。信仰を楽しみ この世の事柄をも楽しむ生き方を
神様に問ながら来年も 神様とつながって生きよう

    

ビスタPCでカレンダー作成

2007-12-28 | Weblog
NHK中高年パソコン手習塾のテキストを片手に 3か月分のカレンダーを作成。
特にエクセルは覚えられなく 習った事があるだけでも 理解は出来るため助かる

コピーし張り付ければ12月まで簡単に出来 数字も一字入れれば良いだけ。使いこなせば便利なエクセル テキストを見ながら復習を心がけよう。

4時間はまたたかくまに過ぎ 頭のリフレッシュを兼ねて ヴィスタPC エクセルに取り組もう。

写真は昨日通た森町のがけに6~7匹の鹿がたむろし 携帯で撮ったが陰になり
鹿がうつっていな~い。デジカメがあれば写せたものを残念

この頃痛切に思うこと。何かの宗教に入らなくとも TV番組 本 CD PC等で 信仰の事を学ぶ事が出来る。

天知る地知る我知ると学生の頃 担任教師から教わった 数十年前。今でも人間を超えた神の存在を信じ 天にも地にも私の心の中にも神様の住んでいる事を感じる

反対にサタンもいるために 意識的にも 無意識的にも 常に心を神様の方に向けねばと しみじみ思う。

今年最後の水曜ウォーク

2007-12-26 | Weblog
妙見駅裏から厳しい山道を 汗をかきながら登る。

一年間事故もなく皆が無事に過ごせたことの 感謝の祈りをする。

宇宙を支配し 心の中の同じ神様に祈る。キリスト教と仏教は異なるが 育った環境でキリスト教式に 皆とは離れた所で祈る。

仏教の日本では 相手に無礼にならないように合わせる事も多いが そうでない時には拝まない。人の造った物に手を合わせる事は 偶像につながるらしいから いつしか自然に信じるようになった。ただそれだけの事

言葉の花束

2007-12-08 | Weblog
牧師からカウンセリングを学んでいた当時が思い出される。今は学ぶ体力 事柄も良いほうへと落ち着いたこともあり。

神様からの助けは(身近な人を通し 物を通し 書物を通し 聖職者を通し・・・)存在しているいろいろな事を使って与えられる。

鈍感な私は今頃気がつき 感謝の祈りが変わってきた。まず
神様へ感謝するが 他人には感謝が出来るが なぜか家族には出来ていなかった。このごろは 夫へ 子どもへすらすらと言葉となって出てくる。

賛美の中に変えられた 変えられた 神様に出会ってから変えられたの歌詞を思い出し ぶどうの枝のように神様とつながっていると いつしか神様が自分を幸せな生き方へと変えてくださるのだろう。

友人にもいろんな宗教を生きる糧にしている人は多いが お互い思いやりながら素敵な関係にいれるのも お互いに良い言葉がけを心がけているからのように思える。

いろんなこだわりが取れると 生きやすくなり 幸せな気持ちにもなれる。自分の価値感にしがみつき 相手を受け入れられない日々を過ごしていただけに 自分の気持ちからも解放される

写真は青木氏撮影


聖書から

2007-12-07 | Weblog
神様ってどんな人なのだろう 怖いイメージがあり恐れの存在の時期もあり。

聖書に親しんでみると 無限の愛を注いでくださることを知る。私が良い子だろうがそうでない子だろうが 一方的に愛を注いで下さる。人間ではなく 全てを創造したのは神様。

60数年を振り返り 信仰的にも劣等生の私なのに 困ってあたふたしていたときに 何時も助けら お金が無くなると不思議と与えられても来た。

そのような経験をして来ると 
神様が助けてくださったのだから大丈夫と思える。この
神様を大切な子どももしっかり信じて生活するようになった。そうなるまでには
親も助けることの出来ない苦しみを負い。しかし

これも子どもが神様の愛を知る大切な出来事と 口には出さなかったが じっと祈りながら時を待った。

教会生活をしているわけでもなく 組織に所属しているわけでもなく
書物を通し 賛美を通し 祈りを通し そのように出来るまでに支えてくださった
多くの牧師 牧師夫人 クリスッチャンの方々の導き 祈りがある事も感じている
神様としっかり人格的な交わりを指導してくださり 人間的な思いを超え
神様へと導いて下さった事に感謝。

思いがけなくお金のいることがあり 手元に余裕はないし たくわえもない。
不思議な道から与えられた。
神様に助けられたことを感じながら 振り返るとあの時も この時も 子育てのときも 姑 母の病んでいる時も・・・・・・助けられた事が思い出されてくる。

老いを感じるようになり 10年後はどうなるのだろう いつまで生きれるのだろう等と 不安になる事がある。そんな時神様から与えられた所で感謝して過ごせる自分でありたいと思う。死ぬ怖さはないが それまで痛みや体の苦しみに合わないだろうかと ついつい人間ゆえ不安になる。

しかし 今までを助けてくださった
神様が良いようにして下さる事を信じると 不安はなくなり 不思議と喜びにつながって来る