
先日本屋に行った時に目に付いたのがこの本。興味があったので即買ってしまいました。
普段はほとんど本など読まない私なのですが、毎日通勤電車の中で読み、めずらしく一気に読んでしまいました。
内容は、「障害者専門」とうたったデリヘル(この言葉の意味がわからない方は調べてみて下さい)で働いていた女性の体験から書いたノンフェクションの手記です。「障害者の性」というのは日本社会ではタブー視されがちですが、この方はそれを真正面から捉えてストレートに書いた点で一見の価値があります。私があれこれ書くのも余計なので、興味がある方はぜひ読んでいただきたいと思います。
私がこの本に特に興味を持ったのは、学生時代のある体験から来ています。
私は高校時代までは福祉なんてものはまったくわからない人間でした。(ま、今もちゃんとわかってるとは言いがたいのですが、一応その道で働いていますからそれなりに考えはあるつもりです) 身内に障害者はいなかったし、当時は祖父母も元気だったし。でも振り返って思い起こしてみれば、小、中学校の同級生に知的障害を持った子はいたんですよね。当時はそういう意識で考えていませんでしたが。
で、何もわからないまま福祉の大学に進んだわけですが、私は大学の授業よりも地域のボランティアにのめりこみました。私ごときが誰かのお役に立てるというのが喜びだったし、障害をもった方と関わるのは楽しかった。だから声がかかればどこへでも行っていました。
初めは障害者の施設や作業所にボランティアに呼ばれていたのですが、そのうちその作業所に通う利用者の方と仲良くなり、個人的にボランティアを頼まれるようになりました。コンサートに行きたいから一緒に行って欲しいだとか、映画を見に行きたいから一緒に行って欲しいだとか。今考えたら今の仕事と同じようなことをボランティアでしていたんですね。身体障害と知的障害の違いはありますけど。私は自分の都合がつく限りは同行して、一緒に映画やコンサートを楽しんでいました。
そのことが作業所で話題になったらしくて、また別の方から個人的なボランティアを頼まれました。前述の方は脳性まひの方ですが、一応なんとかしゃべることができ、私もなんとか何を言っているか聞き取れることが出来ました。電話で用件を聞き取るのはなかなか至難の業でしたけど。でも、そのもう一人の方はもっと重度の方でしゃべることができません。でも頭脳は聡明な方なので言葉の理解はできています。普段は「トーキングエイド」という器械で会話していました。で、ボランティアの要請の電話はその方のお母様が代わりにしてきました。
ある日、その方が「うちに来て欲しい」とのことだったので、自転車で10分くらいのその方のおうちに行きました。するとお母様は「では私は出かけますのでよろしくお願いします」と出かけてしまいました。しばらくはたわいもない話をしていたのですが、その方はなかなかいうことをきかない手でやっとのことである一文をトーキングエイドに打ち込みました。
アソコヲモンデ
正直言うと私はすぐにその意味を理解しました。でも理解したくなくて、「えっ?」っとわからないふりをしました。
ジブンジャウマクデキナイ
ふと見れば手足がけいれんしてうごめいている彼の股間は立派にテントを張っていました。
私は考えました。自分はどうしたらいいんだろうと。私はただのボランティアの学生である。彼と特別な関係があるわけではありません。でも目の前の彼は必死に言うことをきかない全身を動かしながら訴えてくるのです。その時彼は確か30歳くらい。まだまだ若いし性的な欲求があって当たり前です。でも手足の不自由な彼はその欲求を自分で満たすことが出来ないのです。私も男としてそのつらさはすごくわかるんです。でも、自分がそれの手助けをしてよいのかどうか・・・。
しばらく考えました。そして心を決めました。意を決して彼のジャージとブリーフを引き下げました。そして恐々と手を伸ばし、彼のモノを握り、しごきました。
彼はもだえるように全身をけいれんさせるように動かし、数分後、勢いよく精液をほとばしらせました。あまりに飛んだので私の服にも少しかかりました。とにかく近くにあったティッシュで飛んだ精液をふき取りました。部屋の畳にもたっぷり飛んだのでお母様にばれないようにきれいにふき取りました。彼のブリーフとジャージを上げて何事もなかったように元に戻しました。私はなんと言っていいかわからなかったので無言になってしまいましたが、彼からは
アリガトウ
とお礼を言われました。
その後、私は考えました。本当によかったのだろうか?と。いや、彼が望んだのだし、彼の欲求は痛いほどわかったので、それを了承した上でしたのだからよかったのだろう。でも、男にそんなことしてもらってうれしいかな? 私だったら嫌だな。どうせなら女の人にしてもらいたいよな。でもそんなこと女性のボランティアさんになんて頼めないでしょう。何かよい方策はないのかな?と。
その後、しばらくして「障害者向け」のデリヘルがあるという話をどこかから知りました。彼がそれを利用できたらいいのになぁと思ったのですが、当然お母様が金銭を管理しているのだろうし、そんなことできないんだろうなぁ。
当時、私がもっと大人だったら、うまくお母様と話をして、そういうサービスを利用することの手伝いをできたかもしれないし、家に呼ぶのが抵抗があるなら、私が車椅子を押して障害者を受け入れてくれる風俗店に行くことも提案したかもしれません。なかなか難しい話ですけどね。やっぱり家族にとっちゃ性の問題はタブーだと思うし。
現在彼はお母様が亡くなられたので施設で暮らしているみたいです。今は年賀状のやりとりしかしていません。彼の年賀状はたぶん施設で作ってくれてるので、彼のメッセージなどは書かれていません。元気でいるということなので安心はしていますが、施設での生活が彼にとって居心地のいい生活なのかは気になることはあります。
東京に行った時にいつか面会に行けたらなと思っています。
普段はほとんど本など読まない私なのですが、毎日通勤電車の中で読み、めずらしく一気に読んでしまいました。
内容は、「障害者専門」とうたったデリヘル(この言葉の意味がわからない方は調べてみて下さい)で働いていた女性の体験から書いたノンフェクションの手記です。「障害者の性」というのは日本社会ではタブー視されがちですが、この方はそれを真正面から捉えてストレートに書いた点で一見の価値があります。私があれこれ書くのも余計なので、興味がある方はぜひ読んでいただきたいと思います。
私がこの本に特に興味を持ったのは、学生時代のある体験から来ています。
私は高校時代までは福祉なんてものはまったくわからない人間でした。(ま、今もちゃんとわかってるとは言いがたいのですが、一応その道で働いていますからそれなりに考えはあるつもりです) 身内に障害者はいなかったし、当時は祖父母も元気だったし。でも振り返って思い起こしてみれば、小、中学校の同級生に知的障害を持った子はいたんですよね。当時はそういう意識で考えていませんでしたが。
で、何もわからないまま福祉の大学に進んだわけですが、私は大学の授業よりも地域のボランティアにのめりこみました。私ごときが誰かのお役に立てるというのが喜びだったし、障害をもった方と関わるのは楽しかった。だから声がかかればどこへでも行っていました。
初めは障害者の施設や作業所にボランティアに呼ばれていたのですが、そのうちその作業所に通う利用者の方と仲良くなり、個人的にボランティアを頼まれるようになりました。コンサートに行きたいから一緒に行って欲しいだとか、映画を見に行きたいから一緒に行って欲しいだとか。今考えたら今の仕事と同じようなことをボランティアでしていたんですね。身体障害と知的障害の違いはありますけど。私は自分の都合がつく限りは同行して、一緒に映画やコンサートを楽しんでいました。
そのことが作業所で話題になったらしくて、また別の方から個人的なボランティアを頼まれました。前述の方は脳性まひの方ですが、一応なんとかしゃべることができ、私もなんとか何を言っているか聞き取れることが出来ました。電話で用件を聞き取るのはなかなか至難の業でしたけど。でも、そのもう一人の方はもっと重度の方でしゃべることができません。でも頭脳は聡明な方なので言葉の理解はできています。普段は「トーキングエイド」という器械で会話していました。で、ボランティアの要請の電話はその方のお母様が代わりにしてきました。
ある日、その方が「うちに来て欲しい」とのことだったので、自転車で10分くらいのその方のおうちに行きました。するとお母様は「では私は出かけますのでよろしくお願いします」と出かけてしまいました。しばらくはたわいもない話をしていたのですが、その方はなかなかいうことをきかない手でやっとのことである一文をトーキングエイドに打ち込みました。
アソコヲモンデ
正直言うと私はすぐにその意味を理解しました。でも理解したくなくて、「えっ?」っとわからないふりをしました。
ジブンジャウマクデキナイ
ふと見れば手足がけいれんしてうごめいている彼の股間は立派にテントを張っていました。
私は考えました。自分はどうしたらいいんだろうと。私はただのボランティアの学生である。彼と特別な関係があるわけではありません。でも目の前の彼は必死に言うことをきかない全身を動かしながら訴えてくるのです。その時彼は確か30歳くらい。まだまだ若いし性的な欲求があって当たり前です。でも手足の不自由な彼はその欲求を自分で満たすことが出来ないのです。私も男としてそのつらさはすごくわかるんです。でも、自分がそれの手助けをしてよいのかどうか・・・。
しばらく考えました。そして心を決めました。意を決して彼のジャージとブリーフを引き下げました。そして恐々と手を伸ばし、彼のモノを握り、しごきました。
彼はもだえるように全身をけいれんさせるように動かし、数分後、勢いよく精液をほとばしらせました。あまりに飛んだので私の服にも少しかかりました。とにかく近くにあったティッシュで飛んだ精液をふき取りました。部屋の畳にもたっぷり飛んだのでお母様にばれないようにきれいにふき取りました。彼のブリーフとジャージを上げて何事もなかったように元に戻しました。私はなんと言っていいかわからなかったので無言になってしまいましたが、彼からは
アリガトウ
とお礼を言われました。
その後、私は考えました。本当によかったのだろうか?と。いや、彼が望んだのだし、彼の欲求は痛いほどわかったので、それを了承した上でしたのだからよかったのだろう。でも、男にそんなことしてもらってうれしいかな? 私だったら嫌だな。どうせなら女の人にしてもらいたいよな。でもそんなこと女性のボランティアさんになんて頼めないでしょう。何かよい方策はないのかな?と。
その後、しばらくして「障害者向け」のデリヘルがあるという話をどこかから知りました。彼がそれを利用できたらいいのになぁと思ったのですが、当然お母様が金銭を管理しているのだろうし、そんなことできないんだろうなぁ。
当時、私がもっと大人だったら、うまくお母様と話をして、そういうサービスを利用することの手伝いをできたかもしれないし、家に呼ぶのが抵抗があるなら、私が車椅子を押して障害者を受け入れてくれる風俗店に行くことも提案したかもしれません。なかなか難しい話ですけどね。やっぱり家族にとっちゃ性の問題はタブーだと思うし。
現在彼はお母様が亡くなられたので施設で暮らしているみたいです。今は年賀状のやりとりしかしていません。彼の年賀状はたぶん施設で作ってくれてるので、彼のメッセージなどは書かれていません。元気でいるということなので安心はしていますが、施設での生活が彼にとって居心地のいい生活なのかは気になることはあります。
東京に行った時にいつか面会に行けたらなと思っています。
どうコメントしてよいのか・・・。
私、障害者の人のことって、見てみないフリとかをしちゃってます。
ふれてはいけない部分なのかなと思ってました。
そうだよな~、体が不自由なだけなんだよなって。
うーん。
コメントありがとうございます。強要しちゃってごめんなさいね。
みんなみきさんと同じような気持ちだと思いますよ。だからこそみきさんのようなごく普通のOLさん(?)に読んでもらって、何かを感じてもらいたかったのです。
なにも答えはいらないです。ただそういうこともあるんだなと思っていただければ。
ありがとうございました。
手話通訳がろう者の耳であり口であるように。ガイドヘルパーが盲人の目であったり、知的障害者の移動能力を補うものであったりするように。
この本は私も読みたいと思っています。
コメントありがとうございます。
確かに介助者の手は本人の手の代わりなのかもしれませんが、こういうデリケートな部分についてはそうは断言できない気もします。ボランティアが何でもしてあげられるかというとそうではないと思いますしね。
かといって私も悪いことをしたとは思ってないですよ。ただ同性のボランティアがそういうことをするより、色々問題はあるにせよ、お金払ってでも女性にしてもらう方がいいのかなと思ったわけです。
ただし、性風俗の存在自体を否定する方からすると、またこれは話がややこしくなっちゃうんですけどね。
やっぱりこの問題難しいです。
この書を私も拝読させていただきました。障害者に関して、現在では社会政策や、例えばJRや公共施設、そして就業対策など様々な対応があるんですが、性的な部分は未解決ですね。。
こちらまでおいで下さりありがとうございます。
「障害者自立支援法」なんていう、実は障害者の自立を阻害しているような法律を作る日本です。性の問題などまったく考えていないでしょうね。
そういう社会にショックを与える意味でもこの本が出版された意義があると思います。
身障者の方の性については色々と聞きますが、実際に経験された方から聞くと改めて驚くばかりです。
本当に難しい問題だと思います。
周りは何処まで心配したら良いのか難しい所ですね。
また来ます。これからどうぞ宜しくお願いします。
はじめまして。難しい問題についてコメントありがとうございます。
この記事で書いた方は、実はこのちょっと前にお父様が亡くなり、母子家庭だったので、性についてなど話せる状況でなく、よけいに色々と考えてしまいました。
このブログ、いつもこんな真面目な話を書いているわけではありませんが、よかったらまたぜひ遊びに来て下さい。
本部は新潟県ですが各都道府県にスタッフも居て障害者の性の介助をしています。
ここの考え方は障害者の「性を」風俗としてでなく「介護」として取り組んでいる事です。
ですから男性障害者の射精行為を介助するときにもスタッフは普通に洋服を着ています。
利用者(障害者)もメールや電話で自分の都合の良い日時や場所でサービスを受ける事が出来ます。
ですから周囲に気を使うことも無く。まさにプライベート・ケアが受けれるのです。
悩んでいる障害者の方、一度、お試しあれ。
http://www.privatecare.jp/index.html
本来宣伝コメントはお断りしたいところですが、本文の主旨を考えて、一応残しておきます。
ただし、私のコメントは差し控えさせていただきます。