先日『福祉のお仕事とは…?』という記事を書きました。
その時に書こうと思っていて、文章が長くなり過ぎたので書くのをやめた内容を蛇足ながら書かせていただこうと思います。
「あなたはなぜ福祉の道に進もうと思ったのですか?」
福祉の仕事をしていると必ずと言っていいほど聞かれることです。
いや、仕事に就いていなくても、福祉の大学に入学した時点でまずその動機を聞かれます。
私が福祉の道へ進んだ動機を書く前に、つい最近あった出来事を書きます。
8月の終わり、私がヘルパーの仕事に行っている先に、そこのご家族の東京に住んでいる親戚の高校生の女の子が夏休みということで来ていました。
その女の子は福祉の大学に行きたいと親に話したところ反対され、重度の障害のあるこの家へ来て現実を見て改めて考えてくるようにと送りだされたとのことでした。
彼女は自ら体験しようと、私のヘルパーの仕事を助手のように手伝ってくれました。その時に「どうして福祉の仕事をしようと思ったの?」と聞いてみました。
「私は小さい時から(従兄弟である)○○君の姿を見てきたし、社会に役立つ仕事をしたいと思って…」と答えました。
こんな言い方もなんですが、まったくスレていない彼女のまっすぐな気持ちに、私もそんな頃もあったかなと、改めて自分も初心を忘れないようにしなければと思ったのでした。
また、本職の方の仕事の出張先に、福祉の大学の女子学生が現場実習に来ていました。
彼女は初めての現場実習なのか、どことなく所在なげで、利用者と一緒に作業に没頭していました。
おそらくとても緊張していて、周りの人と関わる心の余裕もなく、ひたすら黙々と作業をしているんだろうなと思った私は、「実習生さんなんですか?」と声をかけました。彼女は話しかけられてホッとしたような笑顔を見せて「はい、○○大学から来ています」と答え、「緊張するから、ついつい作業にはまっちゃうでしょ?△△さんにちゃんと挨拶しておいた方が心象良くなりますよ」と彼女の耳元でささやいてウインクして見せたら、彼女は「はい!ありがとうございます!」と顔をほころばせて笑って答えてくれました。
でも、その彼女の左手首には何本ものリストカットの痕が…。
ここからは私の勝手な想像ですが、彼女はたぶん大学に進む前にかなり悩んだ時期があったのでしょう。そしてその暗闇の中から自分の進むべき道として選んだのが福祉の道だったのではないでしょうか。
そういう私も、高校1年生の時、自分の生き方についてかなり悩みました。今から思えばその時から‘うつ’は始まっていたのかなと思いますが、自分のすべてに自信を失い、暗闇に入りもがき苦しんでいました。学校を休むことはしませんでしたが、保健室に逃げ込み、養護の先生の前で泣いたこともありました。
どん底だった1年生の時はまったく進路のことなど考えられなかった私ですが、2年生になって少し精神的に落ち着いた頃、進路調査があり、とりあえず大学進学を考え、大学案内の本をパラパラとめくっていたところ、ふと社会福祉学科というのが目にとまりました。私は身近に障害者がいたわけでもなく(のちに思い返すと同級生に障害をもった人や精神病を発病した人はいたのですが)、介護が必要な年寄りがいたわけでもありません。ただなんとなくこんな自分でも社会に役に立てるのかもしれないと漠然と思ったのです。
一つきっかけのようなものをあるとすれば、中学生の時、不登校になった同級生がいて、私は毎朝その彼の家を訪問し「学校へ行こう」と誘っていました。別に先生から頼まれたわけではないのですが、最初は自分が学級委員だという義務感みたいなものからそうしていたのが、だんだんと彼への思い入れが強くなり、なんとかして彼に学校へ行けるようになって欲しいという願いから訪問するようになっていました。
結局は彼は卒業までほとんど学校へ来ることはできなかったのですが、私の心の中には「どうして彼は学校へ来ることができなかったのだろう?」という思いがずっと残っていて、同じような人を救うことができないだろうかという気持ちがあったのも事実です。私の勝手なイメージで児童福祉というのがそういうものなのかな?という思ったのでした。
「社会の役に立ちたい」
その思いは間違っていないと思いますし、今もその思いは変わらないと思います。
但し、私の場合、福祉の道に進んだことが自分の存在意義を確かめることと結びついているところがあり、下手をすると自己満足の間違った方向へ行きかねません。
また、私の友人の中には、私が福祉の道に進んだことに対して大きく不快感を示した人もいますし、また別の友人は私が福祉の仕事に就いていることを‘聖職に就いている’と自慢しているように捉える人もいて、「お前のような福祉の商売やっている奴は…」とわざと貶める言い方をする人もいました。
確かに福祉の仕事をしていれば偉いわけでもないし、すべてが正しいわけでもありません。私だってお金が欲しくてやっている仕事ですし、清廉潔白な人間でもないですからね。
それでも「福祉の仕事」は社会の役に立てる立派な仕事だとは自負しています。
なんだか何が言いたいのかわからなくなってしまいましたね(苦笑)。
たまたま最近福祉の道を目指そうという若者に出会う機会があり、彼女らを応援したいという気持ちと、自分も色々と思い悩みながらも進んで来た道を、彼女らも頑張って進んで欲しいと気持ちと、そして自分もまた道を踏み外さずにこれから進んで行きたいと強く思ったのでした。
その時に書こうと思っていて、文章が長くなり過ぎたので書くのをやめた内容を蛇足ながら書かせていただこうと思います。
「あなたはなぜ福祉の道に進もうと思ったのですか?」
福祉の仕事をしていると必ずと言っていいほど聞かれることです。
いや、仕事に就いていなくても、福祉の大学に入学した時点でまずその動機を聞かれます。
私が福祉の道へ進んだ動機を書く前に、つい最近あった出来事を書きます。
8月の終わり、私がヘルパーの仕事に行っている先に、そこのご家族の東京に住んでいる親戚の高校生の女の子が夏休みということで来ていました。
その女の子は福祉の大学に行きたいと親に話したところ反対され、重度の障害のあるこの家へ来て現実を見て改めて考えてくるようにと送りだされたとのことでした。
彼女は自ら体験しようと、私のヘルパーの仕事を助手のように手伝ってくれました。その時に「どうして福祉の仕事をしようと思ったの?」と聞いてみました。
「私は小さい時から(従兄弟である)○○君の姿を見てきたし、社会に役立つ仕事をしたいと思って…」と答えました。
こんな言い方もなんですが、まったくスレていない彼女のまっすぐな気持ちに、私もそんな頃もあったかなと、改めて自分も初心を忘れないようにしなければと思ったのでした。
また、本職の方の仕事の出張先に、福祉の大学の女子学生が現場実習に来ていました。
彼女は初めての現場実習なのか、どことなく所在なげで、利用者と一緒に作業に没頭していました。
おそらくとても緊張していて、周りの人と関わる心の余裕もなく、ひたすら黙々と作業をしているんだろうなと思った私は、「実習生さんなんですか?」と声をかけました。彼女は話しかけられてホッとしたような笑顔を見せて「はい、○○大学から来ています」と答え、「緊張するから、ついつい作業にはまっちゃうでしょ?△△さんにちゃんと挨拶しておいた方が心象良くなりますよ」と彼女の耳元でささやいてウインクして見せたら、彼女は「はい!ありがとうございます!」と顔をほころばせて笑って答えてくれました。
でも、その彼女の左手首には何本ものリストカットの痕が…。
ここからは私の勝手な想像ですが、彼女はたぶん大学に進む前にかなり悩んだ時期があったのでしょう。そしてその暗闇の中から自分の進むべき道として選んだのが福祉の道だったのではないでしょうか。
そういう私も、高校1年生の時、自分の生き方についてかなり悩みました。今から思えばその時から‘うつ’は始まっていたのかなと思いますが、自分のすべてに自信を失い、暗闇に入りもがき苦しんでいました。学校を休むことはしませんでしたが、保健室に逃げ込み、養護の先生の前で泣いたこともありました。
どん底だった1年生の時はまったく進路のことなど考えられなかった私ですが、2年生になって少し精神的に落ち着いた頃、進路調査があり、とりあえず大学進学を考え、大学案内の本をパラパラとめくっていたところ、ふと社会福祉学科というのが目にとまりました。私は身近に障害者がいたわけでもなく(のちに思い返すと同級生に障害をもった人や精神病を発病した人はいたのですが)、介護が必要な年寄りがいたわけでもありません。ただなんとなくこんな自分でも社会に役に立てるのかもしれないと漠然と思ったのです。
一つきっかけのようなものをあるとすれば、中学生の時、不登校になった同級生がいて、私は毎朝その彼の家を訪問し「学校へ行こう」と誘っていました。別に先生から頼まれたわけではないのですが、最初は自分が学級委員だという義務感みたいなものからそうしていたのが、だんだんと彼への思い入れが強くなり、なんとかして彼に学校へ行けるようになって欲しいという願いから訪問するようになっていました。
結局は彼は卒業までほとんど学校へ来ることはできなかったのですが、私の心の中には「どうして彼は学校へ来ることができなかったのだろう?」という思いがずっと残っていて、同じような人を救うことができないだろうかという気持ちがあったのも事実です。私の勝手なイメージで児童福祉というのがそういうものなのかな?という思ったのでした。
「社会の役に立ちたい」
その思いは間違っていないと思いますし、今もその思いは変わらないと思います。
但し、私の場合、福祉の道に進んだことが自分の存在意義を確かめることと結びついているところがあり、下手をすると自己満足の間違った方向へ行きかねません。
また、私の友人の中には、私が福祉の道に進んだことに対して大きく不快感を示した人もいますし、また別の友人は私が福祉の仕事に就いていることを‘聖職に就いている’と自慢しているように捉える人もいて、「お前のような福祉の商売やっている奴は…」とわざと貶める言い方をする人もいました。
確かに福祉の仕事をしていれば偉いわけでもないし、すべてが正しいわけでもありません。私だってお金が欲しくてやっている仕事ですし、清廉潔白な人間でもないですからね。
それでも「福祉の仕事」は社会の役に立てる立派な仕事だとは自負しています。
なんだか何が言いたいのかわからなくなってしまいましたね(苦笑)。
たまたま最近福祉の道を目指そうという若者に出会う機会があり、彼女らを応援したいという気持ちと、自分も色々と思い悩みながらも進んで来た道を、彼女らも頑張って進んで欲しいと気持ちと、そして自分もまた道を踏み外さずにこれから進んで行きたいと強く思ったのでした。