店主のつぶやき

カフェハンナの店主ウジキのつまらない独り言で綴る日記です。

幸せであるように

2010年10月31日 21時26分40秒 | music
先日は弱気な発言で皆様にご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。
とりあえず今は落ち着いています。
コメントを下さった方、ご心配いただいた方々、本当にありがとうございました。


そんな落ち込んでいた先週の月曜日の夜9時過ぎ。
テレビをつけてもあまり面白そうな番組がなかったので、CSのチャンネルに切り替えてみました。
リモコンで番組表を操作して見ていると、「フジテレビONE」というチャンネルで、『FLYING KIDS 復活LIVE』というのが目に付き、「これは!」と思い、チャンネルを切り替えました。
残念ながらもう終わりかけだったのですが、最後の3曲を聴くことができました。

TBSの深夜番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』いわゆる『イカ天』を見ていた世代としては、FLYING KIDSはやはり思い入れのあるバンドです。
そして、私がチャンネルを変えた時にちょうどそのライブのラスト曲として演奏したのが、そのイカ天出演時に演奏しFLYING KIDSの評価を不動のものとした曲であり、その後のメジャーデビュー曲となった『幸せであるように』。なんだかあの熱病のようにうかれて、わくわくしながら土曜の深夜を楽しみにしていた学生時代を思い出して感傷にひたってしまいました。

そして、アンコール曲として演奏したのが『風の吹き抜ける場所へ~Growin'Up,Blowin'In The Wind~』。
これはFLYING KIDSがメジャーデビュー後ノリにノっていた頃の曲と言っていいでしょうか。私のこの曲が入っているアルバムCDを持っていて、今でも時々カラオケで歌います。
当時から15年ほど経ち、ボーカルの浜崎貴司の歌はさらに深みを増し、メンバーの演奏も円熟味が増し、なんだかもう胸がいっぱいになり、涙が出そうでした。

やはりFLYING KIDSはライブを中心に活動してきたバンドであって、スタジオでレコーディングされた演奏よりライブでの演奏に力を感じます。
もっと早く気付いていれば初めから全部の演奏を聴けたし、ブルーレイに記録して保存版にしたのに…とかなり残念に思ったのですが、それでも心がふさぎこんでいる時にこの2曲を聴けただけでも幸せでした。

2007年に再結成し、これからどんな活動を続けていくのかよくわかりませんが、もし機会があるのならば一度ライブに行って実際に演奏を聴いてみたいです。

パ・リーグ クライマックスシリーズを終わって

2010年10月19日 22時07分32秒 | baseball
千葉ロッテが勝って、日本シリーズ優勝を決めましたね。
クライマックスシリーズ(プレイオフ制度)が始まって、レギュラーシーズン3位のチームが勝ちぬいたのは初めてということで。
まぁ、私は千葉ロッテは好きなチームなんですけど、クライマックスシリーズ反対派なので、なんとも複雑な気分です。それにしてもソフトバンクホークスはクライマックスシリーズに弱いですね。

このクライマックスシリーズのMVPは2勝を挙げた成瀬でしたが、今回のクライマックスシリーズを見ていて(…といっても試合を見ていたわけではないですが)思ったのは、中4日の登板はけっこういいんじゃないかということです。
メジャーリーグでは100球前後の球数制限はあるものの、先発投手の中4日登板が普通です。
私が小学生の頃見ていたプロ野球、そう江川とかが投げていた頃は中4日が普通でした。1人例外だったのは肘の手術から復活したロッテのベテラン村田兆治で、中6日で毎週日曜日に登板するので‘サンデー兆治’と呼ばれていました。
それがいつの頃からか中6日の登板が普通になってしまいました。そうなれば当然1年間の登板試合数も減るわけで、今では15勝以上を挙げる投手も少ないですし、200投球回数を超える投手もほとんどいません。
そりゃ、大昔の「権藤、権藤、雨、権藤…」と言われたような連投が当たり前の酷使の仕方はどうかと思いますが、やっぱり中6日はさぼり過ぎなような気がしてなりません。中4日あたりが適当な間隔なのではないかなぁと思ってしまいます。

こんなことを考えてるって、やっぱり私が年寄りってことなのでしょうかね?(笑)

25年経っても変わらない

2010年10月11日 23時30分34秒 | diary
今日(11日)は祝日。朝はゆっくりと寝ていようとまだ布団でボーっとしていたら、8時半頃枕元の携帯にメール着信。
「さて突然ですが、今日空いてますか? これからホムスタで天皇杯神戸ー柏戦を見るつもりなんですが…」
東京の友人からでした。

ホムスタとは神戸の和田岬にあるホームズスタジアム(神戸ウイングスタジアム)のこと。友人は東京在住ですが、柏レイソルのサポーターなのでレイソルの応援に来るということらしいですが、突然でしたし、私もそんなに熱心にヴィッセル神戸を応援しているわけではないので、天皇杯の試合まではノーマークでした。
本当は今日は妻とゆっくりしようと思っていたのですが、妻にお伺いをたてると、わざわざ東京から来るのだからと快く?送り出してくれました。
もちろん今日の私のタスクであった家の中、玄関、トイレ掃除を済ませてからね(笑)。

ところが羽田からの飛行機の出発が遅れたらしく、神戸到着はすでにキックオフの午後1時を過ぎていました。
三宮駅で待ち合わせていた私達はちょっと贅沢だけど、ホムスタまでタクシーで急行。それでもホムスタに着いた時はもうハーフタイムでした。
まだチケットは売っていたので自由席のチケットを買い、私の愛するバックスタンドで観戦しました。

「ここに来るのはW杯以来だなぁ」
と友人。
そうそう、2002年のW杯日韓大会の時、ブラジルvsベルギー戦を一緒に観戦したのでした。友人はそれ以来のホムスタになるのです。2002年W杯終了後再改修されているので、当時の神戸ウイングスタジアムとは様相がまた違っているのですけどね。

その当時、私はうつ病により東京の職場から無期限の休職を命じられ、落ち込んでいるところを、別の友人がチケットを手に入れ、私達を誘ってくれ、またさらに2枚のチケットを手に入れたため、その時すでに神戸に住んでいた私の父と妹も一緒に5人でW杯観戦したのでした。
あきらめていた夢のW杯観戦は私の心を少なからず勇気づけてくれたものでした。

その後も友人は私のことをずっと心配してくれていて、休職中何もすることなく1人家にこもっていた私を、「プールでパーっと泳ごうか?」と連絡くれて、車で迎えに来てくれて、千葉県習志野市にある千葉県国際水泳場へ連れて行ってくれました。
私は初めての足のつかない深さの本格的な50mプールに若干戸惑いながらも、やわらかいプールの水に身体を委ねながらけっこう気持ちよく泳いだ記憶があります。

それから8年、私は結局仕事を辞めざるをえなくなり東京を離れ家族の住んでいる神戸へ移り、その後仕事ができるほどに回復し、再婚もして今に至ります。
神戸と東京に離れ、それぞれ違う道を歩んでいる2人ですが、そんな時間の長さはまったく忘れていました。

さて、試合は1-1で延長戦になり、退場で1人少ない柏が1点をもぎ取り、結局1-2で柏レイソルが勝ちました。
試合後半からの観戦になりましたが、延長戦もあったし、得点シーンも見られたのでまあまあ損した気分にはなりませんでした。

延長戦もあったので試合が終わった時は4時前。2人とも昼食を食べていなかったので、とりあえずハーバーランドへ出て、モザイクにあるシェラスコ(ブラジル風焼肉)のお店へ。ここはバイキングのお店なのですが、モザイクから中突堤、メリケンパーク、その先にポートアイランドも臨め、いかにも神戸らしいロケーションを眺めながら食事が出来るので、東京からの客人が来た時にはよく利用します。

店外デッキのはっきり言ってカップルシートと言ってよいテーブルで四十路を過ぎた男2人が並んで食事している姿は、傍目から見たらかなり気持ち悪いものだったかもしれませんが(笑)、そんなことまったく気にせず色々おしゃべりしながら思い切り肉を食べてました。

思えば彼との出会いは高校1年生の時なので、知り合ってもう25年、四半世紀になるのです。
彼とはクラスこそ一緒になったことはないのですが、フォークソング部でずっと2人でユニットを組んでいたのでした。ちなみに彼がギターを弾いて、私は歌うというスタイルでした。
お互い白髪が目立ったり、小じわが目立ったり、体のあちこちにガタがきてたり(苦笑)と、歳をとってしまったなぁと感じるのですが、話をしていると高校時代とほとんど変わらず。話の内容も、生活のことや恋愛観?やあれこれ話してはいたのですが、話の50%近くが下ネタというおバカぶりも高校時代と変わっていないような(笑)。

食事が終わった後は神戸空港へ場所を移して帰りの飛行機の時間までカフェでおしゃべり。
近くに席に女性がいるというのに、やっぱりえげつない内容の話だったりして(笑)。

そんなこんなで楽しい一日はあっという間に過ぎてしまいました。
東京からわざわざ神戸に日帰りでサッカー観に来るのもすごいなぁと思いましたが、それも口実の一つで私に会いに来てくれたというのもわかっているので、本当に嬉しかったです。
ありがとう。


ところで、2人の話の中でずっと思い出せなかったこと…

『‘地獄のスナフキン’金谷ヒデユキ』


栄枯盛衰 人生いろいろ

2010年10月10日 11時47分42秒 | diary
昨日のことなのですが、ヘルパーのアルバイトで六甲道へ行ったら、六甲ボウル(ボーリング場)の横に移動メロンパン屋の車を見かけました。
昨日の神戸は雨だったこともあり、買い物している客もおらず、今さらメロンパン販売ってどうなのかなぁと思ってしまいました。

5,6年前でしたかね?全国的なメロンパンブームだったのは。
神戸でもしょっちゅうこういう移動メロンパンの車が来て、たくさんの人が行列をしながら買っていて、あまりに多い時は整理券を出すほどでしたね。
そのブームも長くは続かず、しばらくすると販売の車が来ても閑古鳥。そのうちそういう車も見かけなくなってしまいました。
昨日本当に久々に見かけたわけですが、どれだけ商売になっているのか疑問です。

メロンパン販売で思い出すのは、元Jリーガーで元サッカー日本代表でもある山田隆裕氏ですかね。
メロンパンブームにのって仙台でメロンパン販売の事業を始め大成功し、一時はJリーガー引退後のセカンドキャリアのモデルケースとして大きく取り上げられていました。
でも、メロンパンブームが終焉してからどうしているのかな?とちょっと気になっていました。
なので、昨日たまたまメロンパン販売の車を見かけたことから、山田隆裕のことをネットで検索してみました。
そしたらメロンパン販売の事業は今も続けているようですが、その移動販売をしていた男性らから「パン生地の質が落ちて損をした」として、加盟金返還や損害賠償など約1300万円の支払いを訴訟を起こされ、昨年2月仙台地裁から計約316万円の支払いを命じられた判決が出されたとのこと。

事業自体の業績が現在どうなのかわかりませんが、人生なかなかうまくいかないものですね。
また、スポーツ選手の引退後のセカンドキャリアというものがよけいに気になってしまいました。
プロ野球の世界で、選手が巨人に行きたがるのも、もちろん人気のある巨人で現役での年俸が高くなることもあるようですが、巨人と他球団の選手では、引退後の人生が大きく違うことがけっこうあるそうです。人気のないパ・リーグの球団で中途半端にレギュラーはってたよりも、テレビにしょっちゅう映る巨人で代打などでちょこちょこ出ていた方が、引退後の再就職には有利という話もあったりしますね。

ただメロンパン販売の車を見かけただけなのに、いろんなことを考えてしまいました。

コーヒー会

2010年10月03日 11時18分47秒 | diary
昨日の日記です。

10月2日は私の主宰するコーヒー会でした。いつもは日曜日に開催することが多かったのですが、今回はいつも利用している神戸クリスタルタワーの創作工房Aで空いている日がこの日しかなかったので土曜日の開催になりました。
参加者がなかなか集まらず、正直中止にしようかとも思っていたのですが、ぎりぎりになって人数が集まり、結局いつもと同じくらい9名での開催。

ちょっと最近マンネリ化しているかなということもあり、今までの私がコーヒーを淹れて参加者の皆さんに飲んでもらうという形式から、今回はコーヒーの淹れ方教室みたいな感じで、コーヒーを実際に自分で淹れてみたいという参加者の方に、私からカフェバッハ式のペーパードリップを伝授して淹れていただき、みんなで味見をするという形式にしました。

ドリップするポットやドリッパーなどのセットは2セットしかないので、2人ずつ2回に分けて、計4名の方に実際にドリップ体験していただきました。
コーヒー豆は皆同じバッハブレンドを使ったのですが、やはり皆それぞれ微妙に味が違い、ちょっとのお湯の温度やドリップの仕方によって味が変わるというのがよくわかり、なかなかおもしろいコーヒー会になりました。

今回は私は淹れないで楽をさせてもらおうかなと思っていたら、最後にやはりマスターも淹れないと言われ、最後に淹れさせていただきました。
マスターの淹れたコーヒーが一番おいしくなかったと言われたらどうしよう?とちょっとドキドキしましたが(笑)、まぁなんとかいい感じに淹れられたのでよかったです。

初参加の方も2名いらっしゃって話もはずみ、いい雰囲気でコーヒー会を楽しむことができましたね。

だいたい2カ月ごとに開催しているコーヒー会ですが、年末年始は皆さん忙しいと思うので、次回コーヒー会は2月あたりに開催しようかと思っています。
また次回も盛り上げていきたいです。

二兎を追う者一兎も得ず

2010年10月01日 00時06分44秒 | baseball
矢野、7回宙に舞う=プロ野球・阪神(時事通信) - goo ニュース

このエントリのタイトルが適当なのかどうかわかりませんが…。

我が阪神は30日の横浜線、8回まで3-1とリードしておきながら、好投の久保に代わった藤川球児が連続四球の後、4番村田に逆転HRを打たれ、その裏の反撃も得点には至らず、優勝は絶望的と思われる1敗と喫しました。
阪神のマジックは消滅、中日にマジック1が点灯し、明日にでも中日の優勝が決まります。

実はこの試合、甲子園球場での今年のリーグ戦最後の試合だったので、今年で引退を表明している矢野の引退セレモニーが行われる予定でした。
試合展開によってはどこかで矢野が出場する可能性もあり、ファンもそれを期待していたようでしたが、試合は8回まで3-1と微妙な点差の試合。もっと点差が開いていれば矢野の出場はあったでしょう。
それでももしかしたら9回ツーアウトをとったら最後に矢野がキャッチャーで登場という可能性もありました。実際、9回の藤川球児の登板のBGMも、いつものリンドバーグの歌でなく、矢野が今年バッターボックスに入る時のBGMでの登場でした。
藤川球児はそういう優勝へのプレッシャーとはまた違う気負いがあったのでしょう。コントロールがままならず連続四球を出したあげく、村田にHRを打たれました。逆転を許した時点で矢野の登場は完全になくなったと言えます。

元々優勝へ向かってギリギリのところで戦っていた阪神。
これは私の印象ですが、優勝へ向かって勝利に徹しなければならないところで、矢野の引退試合という別の要素を考えたところで、心の隙というか邪念というか、無駄な力が入ってしまったように感じます。
打たれた藤川球児も二重三重の責任を感じているでしょうが、矢野ももしかしたら自分のせいで負けたようなものを感じているかもしれません。
私は藤川を責めるより、なんだか優柔不断な感じの真弓監督に怒りを感じます。
この試合で失ったものはあまりにも大きいです。

元から優勝は諦めたとは思っていたものの、心のどこかでもしかしたら奇跡が起きるかも…という期待もあっただけに、とてももったいない敗戦でした。
クライマックスシリーズもピッチャーが足りない阪神は1位通過でないと厳しいと思われるので、こちらはまったく期待していません。
明日からの生活の楽しみがまた一つ減ってしまった気がします。

とにかく矢野選手、お疲れ様でした。
近年2回もリーグ優勝を見せてもらえたのは、あなたのおかげです。
ありがとうございました。
しばらくゆっくり休んで、またグラウンドに戻って来て下さい。




余談ですが、矢野の引退の挨拶の中で、両親、家族、監督コーチ、選手達…と感謝の言葉を並べた後で、ファンの皆さんへの感謝の言葉の間に、「いい時よりもつらい時に支えてくれた友人、仲間達」という感謝の言葉がありました。
おそらくこれは矢野が入信している宗教団体の会員に向けたメッセージと思われ、この宗教団体の力を見せられたような気持ちになりました。