その弐からちょっと間が空いてしまいました。他に書きたい記事があったからというのもあるんですが、実はちょっと記憶が混乱してまして・・・。
その弐では学生時代に証券会社の門をたたいたと書きましたが、これがなんか記憶があやふやなんです。本当にそうだったかどうか。もしかしたら大学卒業してからだったかもしれません。証券会社に行ってアンケートみたいなのを書かされたときに、職種を書く欄があって、福祉施設に就職した私はなんと書いてよいのか悩んだ記憶はあるんですよ。だから本当はその時が最初だったかもしれません。とにかくはっきり覚えてないので、ここからは時系列の部分は微妙にごまかしながら書いていこうと思います。
中国ファンドは数十万単位で買い付けしていたのですが、必要な時にはちょくちょく部分解約していました。引越しでお金がいる時だったり、友達からスキーに誘われてお金が足りなかった時だったり、大学へ通っていた友人が学費が払えなくなったので貸してあげたり(苦笑)。もちろん解約ばかりしていたわけでなく、お金に余裕が出来た時には再買い付けしてました。
当時、私の担当だった方はかわいい若い女性だったのですが、すごく熱心な人で、私が最初の職場を辞めたことや実家を出て一人暮らしを始めたことを連絡していなかったのに、それをつきとめて連絡してきました。そして当時の勤務先の作業所の名刺を渡すと、それから頻繁に作業所に電話をかけてくるようになりました。「こんな商品が出たんですけどいかがでしょう?」という営業の電話です。そんなに色々投資するほどお金に余裕のなかった私ですが、あまりの熱意にほだされ、当時投資信託の商品としてはかなりよかったエースという商品を10万円だけ買うことにしました。このエース、確か国債中心型と株式中心型というのがあったのですが、私は勝負をかけて、リスクは大きいけれど当時かなりの利益を出していた株式型を選びました。しかしこの勝負が失敗でした。
私がこのエースを買った直後、日本の株価が大暴落。その後も低迷が続き、数年後、またお金が必要になって解約した時には9万円弱に減って返ってきたのでした。勝負した額が少なくてよかったというところですね。
でも、このまま負けてばかりでは悔しいというもの。担当のお姉さんもまた頑張って他の商品を勧めてくれ、詳しい商品名は忘れましたが「北米債権ファンド」とかいうようなものをまた買いました。いくら買ったかも忘れましたが、これは当たりで、2年後に2~3万円増えて返ってきました。とりあえずエースで負けた分は取り返せたわけです。
その後、ぱったりと新日本証券の担当のお姉さんから電話が来なくなりました。連絡が来なくなると、私の投資意欲も薄れてしまって、それはそれでそのままにしていました。でもその後、新日本証券が新光証券に変わり、私も色々あって、中国ファンドを全解約するために連絡をとると、私の担当の人が変わってることがわかりました。前の熱心だったお姉さんは辞めてしまったらしい。寿退社だったのかな?なんて勝手に思いましたが。
その後、私は結婚したので、自由にお金は使えなくなり、まったく財テクとは縁のない生活になりました。しかも、その後離婚。そして病気休職になり、貯金もほとんど使い果たしてしまったのでした。結局もう職場復帰の目処がたたなくなったところで退職。病気も快方に向かう気配もなく、暗い時代が続くのでした。
しかし、ひょんなことからまた私のプチ財テク人生が始まるのです。
その弐では学生時代に証券会社の門をたたいたと書きましたが、これがなんか記憶があやふやなんです。本当にそうだったかどうか。もしかしたら大学卒業してからだったかもしれません。証券会社に行ってアンケートみたいなのを書かされたときに、職種を書く欄があって、福祉施設に就職した私はなんと書いてよいのか悩んだ記憶はあるんですよ。だから本当はその時が最初だったかもしれません。とにかくはっきり覚えてないので、ここからは時系列の部分は微妙にごまかしながら書いていこうと思います。
中国ファンドは数十万単位で買い付けしていたのですが、必要な時にはちょくちょく部分解約していました。引越しでお金がいる時だったり、友達からスキーに誘われてお金が足りなかった時だったり、大学へ通っていた友人が学費が払えなくなったので貸してあげたり(苦笑)。もちろん解約ばかりしていたわけでなく、お金に余裕が出来た時には再買い付けしてました。
当時、私の担当だった方はかわいい若い女性だったのですが、すごく熱心な人で、私が最初の職場を辞めたことや実家を出て一人暮らしを始めたことを連絡していなかったのに、それをつきとめて連絡してきました。そして当時の勤務先の作業所の名刺を渡すと、それから頻繁に作業所に電話をかけてくるようになりました。「こんな商品が出たんですけどいかがでしょう?」という営業の電話です。そんなに色々投資するほどお金に余裕のなかった私ですが、あまりの熱意にほだされ、当時投資信託の商品としてはかなりよかったエースという商品を10万円だけ買うことにしました。このエース、確か国債中心型と株式中心型というのがあったのですが、私は勝負をかけて、リスクは大きいけれど当時かなりの利益を出していた株式型を選びました。しかしこの勝負が失敗でした。
私がこのエースを買った直後、日本の株価が大暴落。その後も低迷が続き、数年後、またお金が必要になって解約した時には9万円弱に減って返ってきたのでした。勝負した額が少なくてよかったというところですね。
でも、このまま負けてばかりでは悔しいというもの。担当のお姉さんもまた頑張って他の商品を勧めてくれ、詳しい商品名は忘れましたが「北米債権ファンド」とかいうようなものをまた買いました。いくら買ったかも忘れましたが、これは当たりで、2年後に2~3万円増えて返ってきました。とりあえずエースで負けた分は取り返せたわけです。
その後、ぱったりと新日本証券の担当のお姉さんから電話が来なくなりました。連絡が来なくなると、私の投資意欲も薄れてしまって、それはそれでそのままにしていました。でもその後、新日本証券が新光証券に変わり、私も色々あって、中国ファンドを全解約するために連絡をとると、私の担当の人が変わってることがわかりました。前の熱心だったお姉さんは辞めてしまったらしい。寿退社だったのかな?なんて勝手に思いましたが。
その後、私は結婚したので、自由にお金は使えなくなり、まったく財テクとは縁のない生活になりました。しかも、その後離婚。そして病気休職になり、貯金もほとんど使い果たしてしまったのでした。結局もう職場復帰の目処がたたなくなったところで退職。病気も快方に向かう気配もなく、暗い時代が続くのでした。
しかし、ひょんなことからまた私のプチ財テク人生が始まるのです。